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青と黒

 ダダッ、とラハンが走って、蒼い炎を纏った剣で魔族の腹を斬りつける。通常なら再生できないはずの傷だが、同じ力を持つそれは、少しずつ傷を癒していた。


(何故だ)


 臆することなく立ち向かい続ける彼だが、思考も止めなかった。


(何故、魔族が聖なる力を使える⁉)


 振り下ろされる腕を躱し、時に盾で受け止め、剣を振るう。悉く、元通りだ。一旦距離を置き、攻撃の時機を掴めないインサに近づく。


「あと何発出せる」

「さ、さあ……」

「そうか。好きなタイミングで撃て。避ける」


 そして再び走り出し、魔族の腹に剣を突き立てた。黒い体液が噴き出すが、それだけだ。抜けば、首を絞めた巾着袋のように傷が塞がっていく。彼の口の中に、苦い味が広がる。


 背後で、魔力の兆候。魔族のそれに近いが少し異質な、害意の乗り切っていない気配だ。しゃがめば、その上を赤い槍が駆け抜けていった。顔の右半分を吹き飛ばし、後ろの壁面に深い窪みを作る。


 再生は、しない。


「魔族の霆! 何モンだお前!」


 そうしてできた、魔族の死角。ラハンは右に回り込み、脚を斬り付けた。姿勢を崩した所に、インサが槍を投げる。左腕が断たれた。


 魔族は右腕を元の形に戻し、黒い火球を生み出す。


「消えロ!」


 それが炎の渦を生み出す、直前。ラハンは弟子の前に割り込んだ。次いで、盾を起点にして防御魔法を展開。青く半透明の防壁を、黒い炎が少しずつ焼いていく。


 せめぎ合いが続いた。一瞬でも油断すれば押し切られそうだった。そして、それは現実になろうとしている。防壁が破られるまで、後数秒──。


 だが、声が聞こえてきた。騎士の魔力を底上げする、祈祷の声が。


「グレルヴァルドの抱擁を彼の者に……」


 サーデルらが追い付いたのだ。罅の入った防壁が修復されていく。更に、その神聖なる祈りが魔族の力を削ってもいた。渦は勢いを弱め、ラハンに前進の余裕を与える。


 状況を理解した魔族は、攻撃の対象をサーデルに向けようとする。それと同時に、アネが放った矢が残った左目に突き刺さった。完全なる、隙。ラハンは力強く踏み込み、残った右腕を切断した。


「インサ!」


 再生が始まる前に、一層太くなった赤い稲妻が、魔族の心臓を射抜く。ぐらり、巨体を揺らせたそれは、仰向けに倒れた。


「終わった……のか?」

「邪気は感じねえ。多分死んだ」


 さらさらと、躯は灰となって消えていく。


「赤い稲妻が、魔族の再生を止めた。何かあるのか」

「そりゃ“毒”だな」

「毒?」

「赤い稲妻は、魔物の中でも支配階級に当たる魔族が受け継ぐ力だ。知性のない連中を躾けるために、魔物の再生を阻害する毒になるよう進化した、ってのが定説だな。俺たちの鎧は、そういうのも跳ね返すようにできてるぞ」


 そんな危ないものを扱っていた自覚がなかったことを、ラハンは恥じた。


「邪気、まだでかいのがあるよな」


 サーデルが言うので、彼は頷いた。石の寝台の上、死骸の所へ案内する。


「……一部の高位な魔物や魔族を除いて、魔ってのは死んだり、魂が引き剥がされると灰になる。偉い魔族の可能性もあるが、ここまで生気を保ったまま死んでるってことは──聖骸かもな」

「だが、タルカ族に角はないぞ」

「それなんだ。何か……おかしい……」


 タルカ族が集まって、その遺体を取り囲んだ。


「こ、こりゃ勇者様だ!」


 老いた男が言う。


「タルカ族の古い伝承に、こんな話がある。灰色の肌と青い角を持った勇者が、タルカ族から生まれた、と」


 ラハンはアネとの会話を思い出した。確かに、角のジェスチャーをしていた。


「だとして、何故記録が残っていないんだ」

「それは……」


 タルカ族たちはしっかり十二人揃っていた。そんな彼らの前で、遺体が灰になっていく。


「……一つ、思いついた」


 ラハンが口を開いた。


「先の魔族は、蒼い炎を扱えた。これが聖骸だとすれば、それを取り込んだのではないだろうか」

「なるほどな。魂の宿る心臓がなくとも、その魔族の生命力で状態を維持した、とも考えられる……待てよ、そしたら心臓はどこに行ったんだ」

「魔族が喰ったんじゃないのか?」

「魂ってのは心臓に宿るんだ。勇者ともなれば、その力は強大だ。多少知恵がある魔物でも、まともに取り込めば受肉って形で別の存在に作り替えられる」

「つまり……」

「ああ、そういうことだ……」


 彼はスッ、と息を吸う。


「どういうことだ?」


 親友の言葉を、サーデルが予期していなかったわけではない。だが、それでも肩の力が抜けてしまった。


「心臓を持ち去られたんだよ」

「それだけで何ができるんだ」

「さあな。勇者の心臓は、とんでもない魔力を供給する。使い道はいくらでもあるだろうさ」

「嫌な話だ」


 剣を納めながら、ラハンが言った。


「……なぜ、教会はこの勇者の存在を隠したのだろうか」

「俺にはわかんねえよ。ひとまず帰るぞ」


 この時、ラハンは抱いてはならない疑念を抱いてしまっていた。


「少なくとも、ありゃ人間じゃねえ。魔族の類だ。蒼い炎を扱える突然変異体だったのさ」

「本当に、それだけで片づけていいのだろうか」

「あんまり踏み込まない方がいいと思うぜ」


 彼は、歩きながら隣の親友をちらりと見る。長い祈祷で疲弊したのか、べったりと汗が張り付いていた。表情からは、心の動きを読み取れない。


「事実が確定するまで、教会への報告はなしだ。何も、魔王との戦いの後に聖骸に相当するものが誕生しなかったわけじゃないからな。後世、死体が消えないほど強力な魔族が生まれたっておかしくねえ」


 二人は、同じ感情を共有していた。だからこそ、口にはしなかった。


 彼らが各々のテントに戻ったのは、日が沈んでからのことだった。


「ね? 言ったでしょ、タルカ族にも勇者がいたんだよ!」


 シンプ一家の客人用テントで、アネが大声で言った。


「その話はやめとけ」

「なんで?」

「なんでもだ」


 サーデルもラハンも、決して明るくない顔をしている。横に並ぶその表情に居心地の悪さを感じて、アネも居た堪れなくなってきた。


「……じゃ、私寝るから。明日にはカマ王国に入れると思うよ」

「おう、ありがとな」


 インサは既に寝ている。


「カマ王国の勇者の名は、何だったか」

「ハビララント、だな。一番手柄を挙げた勇者だ」


 天井に吊り下げられた魔導灯。その柔らかい光の中で、ラハンは腹の底で渦を巻きだした感情に翻弄されていた。


「やはり、教会に一言伝えておくべきではないだろうか」

「言ったろ、確定するまではナシだ、って。最悪のパターンなら──言わないでおくか」


 教会の教えに反する報告を行えば、異端と認定される可能性もある。それは、避けたかった。


「……おそらく、王国も簡単には遺体を分けてはくれないだろうな」


 話題を変えたくて、不器用な口調でラハンが言った。


「そうなったらそうなったで頑張ればいいだろ。やることは一つだ」

「無辜の民を、魔から守る」

「ああ、そうだ。俺たちはそのために生きてる」


 視線をぶつけ合って、二人は覚悟を確かめた。





 眠っていたラハンは、気がつけば玄室のような場所に立っていた。薄暗いが仄かな灯に包まれ、中央には石でできた寝台がある。そう、魔族と戦った場所と似ていた。


「名前は」


 寝台の上にある、灰色の亡骸から声がした。


「……ラハン」

「ラハン、君には素質がある。私の力を継ぐ、素質が」

「何が、言いたい」

「相反する二つの力を同時に扱えれば、と思ったことはないか」


 要領を得ない。


「君が戦ったあの魔族は、穢れと聖性を併せ持っていた。何も、それは魔物に限ったものではない、ということだ」

「だから、何が言いたい!」


 叫ぶと同時に、彼は目を覚ました。細やかな光がテントの中に差し込んでいた。

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