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魔域ダル=バルテ 二

 魔域の入り口は、礼拝堂に存在していた。王城と同じ白い石で作られていたそれは、魔域による浸食で半分が黒く染まっている。


「この魔域は、便宜上ダル=バルテと呼ばれている」


 礼拝堂の中に入ると同時に、リシェリスが言う。


「特に意味はない。ただのコードネームだ」


 かつて人々が静かに祈りを捧げていたのだろう空間は、床から天井まで、黒い泥のようなものに覆われていた。そして、祭壇にはぽっかりと穴が開いている。


「ダル=バルテが出現したのは、一か月前。突如としてこの礼拝堂を、魔の力が乗っ取った」


 リシェリスは、左肩から飛び出している柄を握り、するりと剣を抜いた。血潮のようでもあり、炎のようでもある赤い刃が、光を揺らめかせている。


「入るぞ」


 ラハンとサーデルも鎧を纏い、黒々とした口の中に足を踏み入れた。途端に押し寄せる、邪気の嵐。糞を貯めた壺をひっくり返したような不快感が、彼らを襲った。


 加えて、足元も泥めいている。一歩進む度に気持ちの悪い音が鳴る。若輩たちは、銘々剣先のような警戒を尖らせながら、とにかく深みを目指していた。


 入り口から暫く、階段が続く。道の横には切り裂かれた何かの肉片が、蒼い炎を立てていた。


「魔域において、魔物は中々消滅しない」


 それを疑問に思ったラハンに、リシェリスが言う。


「蒼い炎や黒い炎で焼かれても、千切れた部位が燃え尽きるまではそれなりに時間がかかるのだ。ラハン、うまく焼けよ」


 彼女は兜を被っていない。首から下はしっかりと魔導合金に包まれているのだが。


 やがて、開かれた空間に到達する。広間のような場所だ。天井には朽ちたシャンデリアが下がる。しかし、それはいまだ輝いていた。


 礼拝堂の地下は、大抵聖職者を含めた亡骸を葬るために使われる。それを補強するのが、目の前で呻いている亡者アンデッドだった。


 聖職者は、魂まで高位であるわけではない。肉体は腐敗し、骨しか残ってない部位もある。それでも、魔の力によって魂の欠片を埋め込めたそれらは、侵入者に向かって歩き出した。


「手早く片付けるぞ!」


 リシェリスが赤い剣を振るうと、魔力の刃がそこから飛んで、亡者数体を一気に両断した。ラハンも前に出て亡者の群れを蒼い炎で焼いていく。サーデルの詠唱もあって、そう苦労する仕事ではなかった。


 亡者は、一般に知性のない存在とされる。その上聖なる力に極端に弱く、サーデルの齎す祈祷によって動くことすら叶わないほど弱体化していた。


 退治、というよりも一方的な殺戮や鏖殺に思えて、ラハンは申し訳なささえ抱いた。一度穢れた者は二度と戻らぬというのに。


 剣を亡者の胸に突き立て、内側から蒼い炎で焼く。一気に火は広がり、その腐った肉体を消し去った。


 そういう、“作業”を幾度となく繰り返した。十体、二十体と燃やし尽くしていく中で、彼は、死者を弄ぶ者への憤怒が、心の中で燃え始めたことに気づく。


 ついに、広間から亡者を排除した。では下へ降りる階段を、と思った彼らは、亡者の残った部分が中央に向かって引き寄せられていくのを見る。


「まだ来るか!」


 皆、次なる敵に身構える。躯から黒い糸が伸び、シャンデリアにぶら下がって空中に繭のようなものを作り出す。


「今の内だ! インサ!」


 ラハンの呼びかけに応じ、少女は赤い槍を投擲する。だが、遅かった。繭の周囲には結界が張られ、あらゆる物理的・魔術的干渉を拒んでいる。


 繭の表面に、蒼いラインが走る。黒い稲妻が走る。サーデルが必死に祈祷で抑え込もうとする。


「……加護が届かねえ」


 そんな彼が、恐れに満ちた声で言う。


「こいつ、加護を遮断してやがる! 祈祷じゃ無理だ!」


 蠢きだす、繭。解き放たれるまで、あと幾らか。



 ◆



 灰色の聖導官と呼ばれる人物が、教会領に存在する。首席聖導官サグアと行動を共にし、常に兜で顔を隠す謎の人物だ。


 性別すらわからないが、そのがっしりとした体躯から男と目されている。故に、彼と言及されることが多い。


 大聖堂地下にある、封印の神殿から出たサグアの隣に、今日も彼はいた。


「全て順調だよ」


 サグアは彼にそう告げた。


「砂漠連合の聖骸も取り込ませたよ。今はラハンとサーデルが王国にいるのかな?」


 彼は頷いた。カシャリ、金属の擦れる音。


「正体を明かしたくないのはわかるがね、そう無口では会話ができないよ」


 灰色の聖導官は、一言たりとも発さない。


「カマ王国は、今魔域が発生している。魔王の力が強まるにつれ、魔域も増えていくだろう。そしたら、便乗してより多くの教会騎士を各地に派遣させる」


 封印の神殿は、それが存在する地下への出入りも厳しく制限されている。


「魔族因子に適応しなかった四人も、まあ死ぬだろう。あの若さで七つの聖骸など集められるはずもない。そもそもカマ王国の聖骸は、内臓を取り出しているからね……魔域を平定して内臓全てを取り戻せるとは思えない」


 故に、こうして知られたくない会話をするにはうってつけだった。


「おっと、君には気分の悪い話だったかな?」


 わかった上で、サグアは腹心に問う。灰色の聖導官は何も答えなかった。


「誰も聞いてなどいないよ。普通に話すといい」

「……何故、“彼”を正式な弟子とさせなかったのです」

「“彼”はね、魂が清らすぎるんだ。魔の力を塗りつぶすかもしれないほどにね。でも、頭まで綺麗だから、利用させてもらうことにした」


 灰色の声は、重く、腹の底を震わせるようなものだった。


「それでは、君も休むといい。その鎧は暑いだろう?」


 鎧の騎士は、サグアが聖堂の奥にある部屋に向かうのを見送った。誰もいないことを確認し、鎧を消す。そうして現れたのは、髭面の強面。



 ◆



 ラハンの同期には、一人、女騎士がいた。セーラという。金色の髪を短く切り揃えた、大変な美女だった。


 だが、最早剣は握れなかった。土着信仰の根強いテンゾ砂漠を北に抜ける道中、異教の信徒に襲われたのだ。


 待ち受けていた異教徒は、彼女とその同期の男デイガがオアシスで休んでいる所を奇襲。デイガも奮戦したが、二十名の訓練された兵士の前には、どうしようもなかった。



 セーラは縛られ、彼らの礼拝堂へと連れていかれる。スオン教徒。ヴセール教会の教えを受け入れない者たちだ。


「生贄にでもするつもりか」


 彼女は祭壇に乗せられてなお、強気な声を発した。


「改悛するのであれば、生かしてやろう」

「改悛? 私は何も間違ったことはしていない」


 そう言って唾を吐きかけた。それが、スオン教徒を怒らせた。首長らしい白髪の男は槌を持ってこさせる。鉄でできた、剣を鍛えるようなものだ。


 男はそれを高く掲げ、彼女の脚に叩きつけた。鎧が歪み、ゴキリ、と嫌な音がする。


「この程度か、異教徒!」


 それでもまだ啖呵を切る彼女の体が、潰されていく。まず両脚を徹底的に砕き、もう二度と立ち上がれない状態へと追い込む。


「鎧を消せ」


 どうせこの重さの打撃を前に鎧など意味を為さないのだ。彼女はそれに従った。と同時に治癒魔法を使い、どうにか意識を繋ぎ止める。


「やれ」


 ぐっ、と両手首を縛られる。何を──問いかける前に、男が服を脱いだ。


 尊厳を奪われて猶、暴力は止まらなかった。血が飛び散り、肉から骨が飛び出る。治癒魔法も限界がやってきた。


「改悛せよ」


 特権を楽しんだ男が、静かに命じた。答えはない。


「……残念だ」


 ついに、頭が叩き壊された。


 その後、彼女の内臓は天日干しにされ、スオン神に捧げられた。二人の騎士が死んだ報は、青燐盤に施された死亡通知魔法によって、教会領に届けられた。


「そうか、なんと……」


 涙を流すサグアは、心の中で笑んでいた。これで、邪魔者が二人消えた、と。

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