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魔域ダル=バルテ 三

 王宮の一室。側近の寝起きする場所として用意されたそこで、セリウスという黒髪の──国王の隣に立っていた男が、青燐盤と向き合っていた。


「万事順調かい?」


 蒼いローブを纏った男がそこにいる。


「恙なく。内臓も盗み出せました……あの三人も、魔域で死ぬでしょう」

「ならいい……心臓は残しているだろうね?」

「ええ、勿論。あれがなくては聖骸が朽ちてしまいますからね……」


 セリウスはティーカップを置いた。魔力を通すことで効果を発する、魔導式によって提供される灯が、その部屋を暖かく照らしていた。


「聖骸を使った魔域、か。偽装も十分。君に任せて正解だったよ」

「有難きお言葉……ノルフィアの再興も、そう遠いことではないでしょう」


 青燐盤の上にいるのは、サグアだ。



 ◆



 魔物が、羽化しようとしている。天井からぶら下がったシャンデリアを取り込んだ繭の表面に、亀裂が走った。膿のような穢れた気配が、その巨躯を更に大きくする。


「来るぞ!」


 リシェリスが言う。


「斬り合いは勘弁してくれよ……」


 サーデルは剣を抜きつつ呟いた。


(加護を遮断するレベルの結界ってなんだよ、どんだけ魔力があればそんなことができるんだよ!)


 ヴセール教会に於いて最も重要視される神は、五柱。五貴神と呼ばれている。その聖なる力は、他の神の比ではなく、多少知恵をつけた程度の魔物では抗えない。


 それを、こうして断絶させている。単に年月を重ねて魔力を育ててきたのとは違う、何かを彼は感じ取っていた。


 繭が蒼い光を纏い、爆ぜた。


 ヴセール教会にこんな言い伝えがある。ノルフィア騎士の多くは、魔族の力を取り込み、黒き稲妻を放つ、と。もしそれが真実であるのなら、サーデルの目の前で姿を現した、シャンデリアを王冠のように戴いた鎧の騎士──それも、黒の稲妻を纏っている騎士は、つまり。


「ノルフィアだ……」


 ぽつり、彼が言葉を漏らす。


「ノルフィア騎士の遺骸を使ったんだ!」


 身長百八十センチの騎士は、インサに向けて稲妻を放つ。漆黒のそれを、サーデルがどうにか受け止める。鎧と盾の二重で防護されている彼の肉体は、僅かな痺れを感じ取った。


「二人とも! 気をつけろ! 鎧越しにダメージが来やがる!」


 騎士は左腰の赤い剣を抜き、リシェリスに迫る。数度打ち合い、彼女が蹴りを入れようと思うと一気に体を引き、稲妻で相手の動きを止めた。剣で受けたリシェリスは、なるほど、得物を手放したくなる痛みがチクチクと彼女の腕を刺した。


 一方で、ラハンは騎士の背後に回っていた。長期戦にはしたくない。なら、一撃で決めるのみ。


「蒼炎百華!」


 蒼い炎で剣身を包み込み、全力で振り抜く。側腹部に斬り込み、鎧へめり込む。聖なる炎が傷口へ入り込み、爆発。


 だが、彼は勝利を確信できてはいなかった。浅いのだ。事実、目の前の騎士は脇腹を吹き飛ばされつつも健在であり、どろりとした腐臭を放つ体液を垂れ流しながらラハンに斬り掛かった。


 二つの剣がぶつかり合って、甲高い音を立てる。彼は相手の剣をツツーッと受け流し、絡め取らんとした。しかし、騎士も馬鹿ではない。その直前に剣を手放し、兜で覆われた顔面を殴り飛ばした。


 その隙を狙う、リシェリス。騎士は落ちた剣を素早く拾い上げ、飛んできた赤い斬撃を防いだ。


 更に、インサが赤い槍を投擲する。騎士はこれを稲妻で相殺した。


 騎士の傷は癒えつつある。また神聖なる力を取り込んだ魔物か、とラハンはくらくらする頭で考えた。


「リシェリスさん、こいつには赤い稲妻が効くはずです。隙を作ってください」

「私の剣だって、赤の力を持っているさ。だが、その前に死ぬかもしれないな」


 彼女の手は震えている。聖別を受けていない武具で黒い稲妻を受け止めれば、肉体にかかる負荷は増す。そのことを理解し、ラハンは彼女の前に走った。


「俺が防御します。鎧までは再生できないはず……攻撃を叩き込んでください」


 事実、騎士は爛れたような肌を、脇腹から見せていた。


「私に指示できるほど偉くは見えないが……いいだろう。従ってやる」


 ラハンは剣先を相手に向ける。そして唱える。炎番、と。蒼い炎の矢が飛び出し、顔に命中。ほんの僅かな間だが、確かに視界を潰した。


 その間に、リシェリスが騎士の横にしゃがみ込んで、深く、両手剣を突き刺した。背後に回り込みつつ得物を引き抜けば、体液が噴出した。


 次いで、魔力を込めに込めた赤い稲妻が飛翔。騎士の左肩から先を、鎧ごと穿った。


 危険を感じた騎士は、すぐさま肉体を復元しようとする。だが、叶わない。魔への毒を含んだ攻撃が、再生を阻害している。


 優先順位をつけ、インサを狙う。剣先から、黒い稲妻を撃つ。サーデルが防御魔法を展開してどうにか防いだ。


「とっとと片付けてくれ!」


 それもいつまで持つか。少しずつ罅が入り、端から割れていく。


 ラハンが跳躍し、騎士のヘルムを掴む。押し上げて、首に空いた隙間へ剣を突き刺した。藻掻きだしたそれは、攻撃の手を止める。


「リシェリスさん!」


 彼女が左肩の断面に剣を刺し込み、魔力を流す。


赤雷破せきらいは!」


 切っ先から赤い稲妻が迸り、騎士の肉体を内側から侵していく。やがて水に濡れた紙切れのようにグズグズになっていき、ついには崩れる。


 主を失った鎧は形を維持できなくなり、床に落ちる。残ったのは、胃と腸だ。


「内臓……?」


 怪訝そうにラハンは近づき、触れてみる。まだ生きているかのようにハリがあった。


「……聖骸か」

「そんな、あり得ません」


 リシェリスの言葉を否定したくても、今なお綺麗な桃色をしているこの臓器に朽ちる気配のないことは、理解していた。


「何者かが聖骸を盗み出し、魔物を強化するために使った。そう見るのが自然だな」

「国王が魔域を利用した、ということですか」

「さあな。だが、裏切者がいるにしろ、国王が何かの実験をしようとしているにしろ、由々しき事態であることに変わりはない。どうする、戻るか?」


 ラハンが口を開く前に、サーデルが話し出した。


「魔域を平定することが、俺たちのやるべきことっすよね。その事実があれば、国王だって俺たちを無下にはできない。なら、まず魔域を攻略してから戻るべきだと思う」

「よくわかっているじゃないか。そういうことだ。インサ、まだ戦えるか?」

「はい!」


 四人は、第二層に足を踏み入れた。



 ◆



 ニバイ帝国帝都ダルメーク。その地下にある研究所で、培養漕から一つの命が生まれた。


 その命は、人の形をしていた。灰色の肌と蒼い角。だが背丈は一般的な成人男性のそれと同じだ。


「君に名前を与えよう」


 若い将軍が、その裸の男に向かって言った。


「ナベルダッシュ。古い言葉で、未来を握る者を意味する言葉だ」

「ナベル……ダッシュ……」


 名付けられた命は、小さな声でそれを反復した。


「君の心臓は、第八の勇者をコピーしたものなのだよ……故に、その力は何より強大だ。扱い方を学ぶといい」


 将軍が指を鳴らすと、研究者たちがわっとナベルダッシュに群がり、服を着せた。ゆったりとした白い服だ。


「剣術と魔術。その二つをある程度習得してもらう。君の魔力量を以てすれば、多少の修練でそこらの騎士など圧倒できるさ……訓練場に案内してやれ」


 白衣の者たちに連れられ、彼は更に地下へ潜った。風喰いにも似た、狼型の魔物が群れている。


「こ、これを……」


 研究者の一人が剣を手渡すと、彼はそれを生まれ持った体の一部であるかのように振るい、魔物を両断した。更に、左手の中に蒼い炎を生み出し、焼き払う。


「あ、ああ……」


 ひときわ年老いた白衣の男が、感涙する。


「これこそ私が望んだもの……ああ……」


 帝国は、斯くして王国侵攻の用意を進めていた。

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