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魔域ダル=バルテ 四

 第二層に名前を付けるとすれば、『穢れた森』とするのが似合うだろう。湿地のように粘着く地面と、暗緑色の黴めいたものに覆われた木。舞い落ちる葉は血のような色。呼吸すれば、肺まで侵されそうだった。


 そんな中、ラハンを先頭とした一行が進む。道を塞ぐ倒木や茂みを蒼い炎で焼き払い、道を作っていた。


「汚えだけなら、それでいいんだが……」


 鎧越しに鼻へ纏わりつく悪臭に顔を歪ませながら、サーデルが言った。


「なんでサーデル様も、リシェリス様も、ラハン様に頼るんですか?」


 サーデルの後ろ、リシェリスの前。その位置を進むインサが問う。


「蒼い炎ってのは、先天的な素質が必要になる。その理由は色々言われちゃいるが……太陽神グレルヴァルドの力ってこと以外、詳しい所ははっきりしてねえな」

「勇者因子だ」


 リシェリスが口を挟む。


「あらゆる生物は、遺伝子と呼ばれるものを持っている。これは肉体の形質を決めるものと、魂の形質を決めるものが存在しているのだ。その後者の中に、魂に勇者の力を与える因子があるのだよ」


 遺伝子という言葉は、まだ一般的なものではなかった。故に、その場にいる誰も彼女の言葉を理解できていない。


「えっと……わかりやすく言ってもらえないっすかね」

「生まれついての才能というのを詳らかに説明してやっただけだ。理解できないならそれでいい」


 インサとサーデルは顔を見合わせ、肩を竦めた。と、同時に。


「魔物だ!」


 ラハンが声を上げる。木の上に、一見すると猿のような生物。だが緑の苔のようなものが表皮にあり、腹に開いた大きな穴から途切れた腸が垂れ下がっている。それが、群れを成している。


 猿たちは、腸を握り、投げる。まるで蛇のような正確さで襲い来るそれを、盾を持つ二人が防いだ。


「こいつら、分銅鎖みたいなもんだな」

「ああ、かなりの威力がある」


 盾には僅かな凹みができていた。だが、すぐに修復される。


「サーデル、守りは任せる」


 そう言って、ラハンは地面を蹴った。蒼い炎を纏った剣を握りしめ、猿が逃げ出すより速く森を駆ける。やがて、その切っ先は猿の首を刎ねた。


 次だ。腸を枝に巻き付けて遠心力で加速する敵へ、炎番ほむらつがえ。腸が切断され、無様に落下する。そこに、彼は剣を突き立てる。


 この縹渺たる森にいる猿を、全て殺すようなことはできない。離れすぎたことを感じ取り、彼は三人に合流した。


 だが、いるはずの者はいなかった。いや、いたのだ。骸となって。


「……サーデル?」


 鎧を引き剥がされ、心臓を抉り出された親友。


「インサ?」


 四肢を引き千切られた初弟子。


「リシェリスさん?」


 自身の剣で腹を裂かれた先輩騎士。


「そう遠くには行ってないはずだ……何が、何が起こったんだ!」


 手が震えて、剣を取り落とす。心臓が早鐘を打つ。膝をつく。それでも、それでも盾だけは保持していた。有り得ない──理性が働くまで、ほんの僅かな時間が隙になった。


「お前の弱さだ」


 耳元で、昏い声が囁く。


「お前が、目を離したからだ」


 心に何かが入り込んでくる。ぬるりとした、黒い腕だ。奥底に封じ込めていた後悔に触れる。あの日、独立派に殺された家族の墓参りにすら行けなかったこと。忍び出ようとしてセオドランにひどく叱られたこと。その時、師を恨んだこと。


「わかっていたさ」


 呟く。


「騎士になるということは、個人の幸せの優先順位を下げるということだ、とは。そのつもりで生きているさ」


 立ち上がる。


「去れ、魔よ。俺は今更振り返らない! 姿を現せ!」


 そう叫ぶと、死体が蒸発するように消えた。


「クックック……思いの外強い心をしているな」


 次いで現れたのは、緋色の目をした、緑の骨ばった人間。腹には大きな穴があり、そこに胎児のようなものが納まっていた。


「幻覚で俺を殺せると思うな」

「なら、真っ当に殺すのみ!」


 緋眼は、肩から生えている無数の棘を伸ばし、ラハンを襲わせた。斬り落とし、盾で受け、時には鎧に任せる。そうして接近した彼は、首を狙って突きを繰り出した。


 見事、刺さる。蒼い炎を送り込み、爆破。黒い体液が噴水のように散った。そこに残るのは、肩から上を失った人型だ。


 だが、消えない。魔域であることを加味しても、その邪気はあまりに濃い。そしてその嫌な予感に応えるようにして、緋眼は再生を終えた。


(魔物は、心臓に当たる臓器として、魔力の核を有している)


 再生の起点となる核は、必ず存在する部位だ。この緋眼なら、頭にないことは確実だ。蒼い炎を受けても再生を行うということは、それに加えて何らかの聖骸を取り込んでいる。


(そして、他の三人はどこにいる? まさか、空間そのものを隔離したのか?)


 盾と剣を構え、ラハンは相手の出方を窺う。真っ直ぐ来るならそれでいい。策があるなら潰すのみ。


「焼き尽くす!」


 蒼い炎を一層輝かせ、彼は誓った。





「なるほどねえ」


 サーデルとインサは、緋眼を前にしていた。


「空間操作系の魔術だな? それを使って、俺らを分離させた」

「随分と口が回る」

「へへっ、お喋りが好きなもんでね」


 彼はインサを庇うように前へ出ていた。最前線での殺し合いは本職ではないが、訓練は積んでいる。


「インサ、お前の一撃がカギになる。いいとこでぶっ放せ」

「は、はい!」


 彼の剣が、鋭利な風を纏う。


虚刃からやいば絡刃らくじん!」


 風の刃『虚刃』を剣の周囲に絡ませることで、切れ味を向上させ、加害範囲を増大させる。それが絡刃。教会騎士なら必ず通る道である。


 緋眼が、肩の棘を伸ばす。雨のように降り注ぐそれらを弾き、サーデルは距離を詰めていく。だが、妙だ。斬れない。


ラハンほどではないにしろ、彼の魔力出力は常人のそれを遥かに上回る。斬れないものなどないと思っていた。


 だとして、脚を止めて考える時間はない。踏み込み、払い、近づく。まずは動けないようにしたい。狙うなら下だ。


 ヘルムの上スレスレを通り過ぎる棘を躱し、スライディング。すれ違うタイミングで左脚を切断した。その後、起き上がるのと同時に胸を刺す。一瞬動きを止めた緋眼の頭を掴み、上に投げた。


「インサ!」

「はい!」


赤い稲妻が飛ぶ。しかし、当たらなかった。


 緋眼は棘を木に突き刺し、自分を引き寄せて回避したのだ。木々の間に隠れ、走り回る。


(どこから来る⁉ どこだ、どこからだ!)


 動物的直観が、サーデルを動かす。とにかく走り、インサの前に立った。そこへ、棘。盾で受けると、それは広がって表面を覆った。やがて裏側にまで絡みつき、引っ張ってくる。


「やらねえよ、くそったれ!」


 そう言って彼は盾を力強く引っ張った。森から緋眼が飛び出した、その瞬間。魔物の首から上が爆ぜて、大量の体液を撒き散らした。


「……そういうことか! ラハン!」


 すぐさま再生を終えた緋眼は、再び森に潜んだ。


「どういうことですか?」

「多分、あいつは三つの空間に跨って存在してる。でも、その魂は一つだ。だから、蒼い炎みたいな魂に響く攻撃を受ければ、その影響が全ての肉体に及ぶんだ。つまり──インサ、お前が稲妻を当てれば全員楽になるってことだ」


 自分の役割を理解した彼女は、雷の槍を握る。


「ちょいと、試したいことがある」


 そんな彼女の傍で、サーデルは囁く。


「──それ、大丈夫なんですか?」

「大丈夫じゃなかった時のことは、そん時考えればいいさ」


 不安げな表情を浮かべるインサは、顔の見えない相手の感情を推し量りかねる。だが、信じてみたくなった。


 サーデルは盾に魔力を込め、少しインサから離れた。そのタイミングで、緋眼が来る。そして彼女は槍を投げる。その対象は、サーデルだった。

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