インサは、サーデルに向けて槍を投げた。
「血迷ったか!」
緋眼は高揚のままにそう叫び、少女に向けて棘を放つ。それが突き刺さる直前、盾にぶつかった稲妻の槍が跳ね返って、緋眼の右肩を吹き飛ばした。
「ッシャオラ!」
サーデルもまた興奮して、困惑する魔物の腹を刺す。怯んだ緋眼は、二歩三歩よろめいた。
「なんだ、何をしたというのだ!」
「自分で考えろ、糞魔物!」
サーデルは防御魔法を応用し、雷を受け止めるのではなく反射したのだ。盾を起点としてシールドを展開する防御魔法は、大きくなればなるほどその耐久力が増す。それは、受けた衝撃や魔力を偏向、拡散させる効果が大きくなるからだ。
つまり、その偏向及び拡散する角度や散布界を制御できれば、飛来した魔術を意図した方向に跳ね返すことができる。
殆ど試したことのない実験だった。事実としてそれは成功し、緋眼に確かな痛撃を与えた。
「俺たち二人を一緒にするべきじゃなかったな。第一層の戦いを見て、俺らが弱いって判断したんだろ?」
再生しない右腕を庇いながら、緋眼は森に逃げ込む。
「舐めんなよ」
◆
ラハン側。突然緋眼の右肩が消し飛んだことには驚いたが、概ね事情は理解できた。別の空間にいる他の肉体が受けたダメージの内、条件を満たすものは全ての肉体が受ける、ということだ。
ならば、攻めるまで。左側だけが残った棘を弾きながら駆け、顔面に蹴りを入れた。鎧の重さが加わった打撃は、やはり威力がある。緋眼の首が砕け、千切れた。
一瞬の死角。最大火力の炎を剣に纏わせ、振り抜いた。脚を断ち、倒れた所で胸に剣を刺す。
「蒼炎百華!」
爆発的に炎が広がり、緋眼の胸が弾ける。大穴の開いた、胸骨のあったであろう場所。彼の見立てが正しければ、この魔物の核は心臓にあった。だが、邪気は消えていない。
「ア……ア……」
赤ん坊の泣き声のようなものが聞こえてくる。肋骨の下、ぽっかりと空間がある。そこから胎児が這い出していた。
「お、ラハン、生きてたか」
サーデル、インサ、リシェリスが戻ってきていた。
「私の所は下級の魔物ばかりで退屈だった。それで、これはなんだ」
「わかりません。この魔物から出てきたんです……」
赤子を指差すリシェリスに、彼はそう答えた。
「殺すか? どうせ教会が知れば異端と判断するだろう」
「子供なら、まだ人間社会に溶け込める可能性があります。殺すべきではないかと」
「甘いのだな」
褒めているのか貶しているのか、抑揚に乏しいその声では、彼も判断しかねた。
「ッギ、ギ……」
骨が砕けるような音がする。足元を見れば、赤子は見る見るうちに大きくなり、既に背の高い子供程度にまで成長している。
「……そうか」
その子供は呟くと、親である緋眼の脚に触れ、骨を引き抜いた。するとそれは剣となり、この瘴気に満ちた空間で一筋の光を見せた。
「僕は、生まれたんだ」
病的に白い肌、ひょろりとした四肢。目は緋色だ。
「何者だ」
ラハンが剣を構えながら問う。
「穢れの子、とでも呼べばいい。この魔物から生命を授かったんだ」
穢れの子の剣には、蒼い炎と黒い炎が二重螺旋を描いて纏わりついている。
(蒼と黒、二つの力……風喰いのヌシと同じか)
ラハンは自分の魂に問う。まだやれるか、と。答えはいらない。わかりきっていた。
「魔物の子、か」
リシェリスがその隣に並ぶ。
「どう見る」
「おそらく聖骸を取り込んだのかと。魔と聖、二つを併せ持った魔物は見たことがあります」
「どう殺した」
「赤い稲妻はよく効きます」
彼女は僅かに微笑んだ。
「私とインサが鍵、か。いいだろう、お前に従ってやる」
穢れの子が剣を掲げ、一気に振り下ろす。黒い炎が駆け出して、森を焼きながら飛来する。それを、ラハンが防いだ。出力は然程でもない。十分、通常の防御魔法で耐えきれる。
その炎は、子の視界を埋め尽くしていた。故に、リシェリスは背後に回ることが得策だと判断する。だが、穢れの子は、首を捻じ曲げて彼女を睨んでいた。骨剣を振り抜き、斬り結ぶ。
そこへ、インサが槍を投擲した。外れ。後ろに目があるかのように躱し、リシェリスを蹴り飛ばす。
「ラハン、お前も攻めろ! インサは俺が守る!」
「しかし!」
「あいつは魔力探知が得意みてえなんだ! 二人でかかって、反応する余裕を与えるな!」
「……承知した!」
サーデルの執った戦術は、後世に於いて飽和攻撃と呼ばれるものだった。処理能力を超える攻撃を行えば、一撃は必ず入る──簡単だが、実行することは容易くない。
それでも、幾らかの死線を超えてきた騎士は、その期待に応えてみせた。蒼い剣が揺れて、穢れの子の左腕を落とす。
「やるね」
一瞬で再生させた子は、黒い炎を収束させ、ラハンを襲わせる。その間にリシェリスが反対側に入り、長剣を振るった。二重螺旋の剣でそれを受け止めた子が、跳ぶ。その肉体へ、ラハンが狙いを定めた。
「
飛び立った無数の蒼い炎の矢が、魔力探知を塗り潰す。真下に、リシェリスが潜り込んだ。
「
直上へ伸びる、水の槍。腹を穿ち、赤い血が散った。
魔族の血は赤い。それはラハンも知っていた。人と同じ身体構造を有するが故だ。しかし、人間を殺しているようで気分が悪くなるのも事実だった。
子の着地と同時に、ラハンは剣から炎を飛ばした。無論、その一撃はブラフであった。再び炎番を連射し、リシェリスの攻撃する隙を作る。
だが、その彼女は足を止めていた。
「飛来 襲来 嘆く霆 望まれざる事象 天地の逆転」
捧げ銃にも似た姿勢で、リシェリスは何かを呟く。
「至れ
彼女の紅い剣が、黒い稲妻を帯びる──そして、収束。静寂の後、一歩、踏み込んだ。
穢れの子の鋭敏な魔力探知が、その脳に危機を知らせる。逃げるか、仕留めるか。後者を選ぶ。全身に魔力を纏った熟練の騎士から、逃れることなどどうせできないのだ。
結果、穢れの子は胴体を真っ二つに断たれた。魂を劈く黒の雷は、一つの命を奪った。
「今のは……」
ラハンが小さな声を漏らす。
「あまり使いたくないものだがね。魔力も結構な量を消費する」
「違います。ノルフィアの黒い稲妻! なぜ、なぜ異端の力を!」
「言っている場合か?」
口が止まる。
「ナイフがあれば、赤子でも人を殺せる。だからと言って全ての人間からナイフを取り上げるのは間違っている。私は、そう考えている」
そう言ったリシェリスは、穢れの子の腹に手を突っ込む。そうして取り出したのは、ピンク色の肝臓だ。
「聖骸の一部だな。持っておこう」
彼女が指を鳴らすと、肝臓が消える。彼女の持つ収納空間へ転送したのだ。
「魔というのはな、皮肉にも同じ魔の力で攻撃するのが一番効くのだ。それに、お前とてインサの持つ異端の力を軸に戦い方を考えていただろうに」
反駁のしようもなく、ラハンは剣を納めた。
「異端となってでも、守りたいものがあるのですか」
「守れなかったのさ。小さなプライドに拘ったが故に。だから二度と失わないと決めた」
彼に真意を質すつもりはない。だが、だが。
「進もうじゃないか。あまり時間をかけるわけにもいかないだろう?」
「……そうですね」
リシェリスがいなければ、穢れの子は殺せなかった。その事実を苦々しく噛み締め、ラハンは先頭を歩いた。
主を失ったがためか、森の木々は徐々に萎び始めていた。蒼い炎で焼かずとも、剣で十分道を切り開ける。
彼らが踏み込んだ第三層。そこは、美しい湖だった。踝ほどまでの水が無窮と思わせるほどに広がり、爽やかな風が静かに吹いている。
だが、またも皆分離させられてしまっていた。リシェリスが見たのは、かつての思い人だ。