リシェリスの手が震える。黒い稲妻で心臓を貫かれた友人が、視界の端で横たわっている。
聖別──聖なるものとして特別な加護を受けた盾を一瞬にして侵食するほどの、魔力。そんなものの持ち主がどうしてこの魔域にいるのか。修業の一環で平定できる程度のものではなかったのか。
焦る頭はよく回らない。力んだ体が剣先をブレさせる。勝てるか、逃げられるか、そもそも次の瞬間生きているか。
翳された、ノルフィアの剣。彼女は打ち下ろされる前に走り出し、腹に蹴りを見舞った。後退った所で、黄色い稲妻を浴びせる。黒い鎧は爆ぜて散るが、内側の肉はすぐに癒えてしまう。
(私のせいだ)
一度退く判断をしていれば。
(私が状況を楽観視したから、トウカは!)
後悔に意味はない。それでもせずにはいられない。だが、足を止めることもできなかった。
黒い稲妻が宙に走る。ノルフィア騎士の掲げられた剣を中心として回転を始め、やがて一つの円を作り出す。嫌な予感が、彼女の背中を駆け抜けた。
「
水の刃を打ち出して右腕を斬り落とす。同時に、円を描いていた雷霆が彼女を襲った。兜を掠めただけだが、呪いの力が籠ったそれは、聖なる合金を黒ずんだ滓にしていく。数秒の時間で、兜は散った。
然るに、彼女は踏み込んでいた。剣を持てない今が、攻め時だと判断して。
結果から言えば、その考えは間違いだった。黄色い雷を纏った刃は、確かにノルフィア騎士の腹を裂いた。しかし、体内で黒い雷電を炸裂させた黒の戦士は、入り込んできた剣を侵食し……崩壊させた。
得物を失ったリシェリスは、呆気にとられてしまった。その間に蹴り飛ばされ、壁に頭を打つ。
(ああ、死ぬんだ)
頭から血が引いていく。剣を拾い上げたノルフィアが近づいてくる。トウカと共にここで朽ち果てるなら悪くない。
(いや、ちゃんと埋葬してあげよう)
戦う術を失った体を持ち上げ、息を吐く。
(一か八か。やってみるしかない!)
そして彼女は走り出す。目標は、魔剣だ。飛んでくる稲妻を躱しながら、ただ真っすぐに走る。赤い刃の剣を握った瞬間、何者かの思惟が流れ込んできた。目の前には、揺らめく赤い炎。
『汝、何故我を求める』
「死にたくないからだ。友達の遺体をここから運び出すんだ」
『それだけか。本当にたったそれだけのことか』
「……できることなら、私のような人間を生みたくない」
炎の中に、彼女は微笑みを見出した。
『我を握れば異端となるやもしれんぞ。それでもか』
「教会だって、時には間違う。なら、その間違いで死ぬ人間をなくしたい。異端と言われたっていい」
『いいだろう! 振るえ、我が名は──』
「ヴァルト!」
リシェリスは、その大ぶりな武器を一度振るう。剣身から魔力の刃を飛ばし、ノルフィアの剣を断った。
次いで、一挙に距離を詰める。力強く柄を握りしめ、鎧ごと心臓を貫く。頭の中に来る、イメージと言葉。
「赤雷破!」
赤い稲妻を内側から放ち、毒によって今度は彼女が侵す。明確な殺意を持った一撃は、ノルフィア騎士の肉体を引き裂いた。
それで、終わったと彼女は思った。だが、まだだ。剣が何かを訴えている。
『これで一つになれた』
「……ヴァルト、そうか、お前がこのノルフィアだったのか」
『そう。剣の中に魂を留め、自らを封印したが、解れてしまってな。魂の本体はこちらに残ってしまい、どうにもならなかった』
リシェリスの左手の中に、鞘が生まれる。
『魔剣を従えられるということは、紛うことなき才能の発露だ。もう一人の子供であれば、飲み込めていた』
「お前が殺したのか」
『我から分離した、目につくものを傷つけるだけの存在だったのだ。我に責任を問われても困る』
剣を納め、背負う。
『まあ……その代わりと言っては何だが、好きに使え。文句は言わん』
そこで、リシェリスの意識は現実に帰還する。自分が顔を沈めている胸は、死者のもの。
「……私の心に踏み込んだのだ、相応の報いを受ける覚悟はあるな」
涙を流しながら、湖の中で剣を拾う。
「
黒い稲妻を放ち、想い人を消し去る。
「ケケケッ! やっとお目覚めか!」
羽根を生やした紫色の子供。それが、彼女の前に現れた幻影の主だ。
「トウカは死んだ。私が土に埋めた! お前は、そんなトウカを愚弄したのだ!」
飛び去ろうとする子供に向け、水の刃を何発も繰り出す。
「当たるわけないだろうが! バーカ!」
が、それらは目晦ましだった。大量の水が吹き出て、リシェリスの姿を隠す。どこへ、と子供が首を捻った時、真下に黒い稲妻を構えた姿を見た。
そこで、子供はトウカを生み出した。
「どうせ何も救えやしないわよ」
彼女そのものの声音で投げかけた言葉。動きを止めるには十分だった。
子供はリシェリスの髪をひっ掴み、頭突きを食らわせる。クラッとした彼女から離れ、硬質化させた羽を雨のように降らせた。
リシェリスは割れた額を抑えながら逃げ回る。いや、それではいけない、と踏みとどまる。脚を踏ん張り、剣を振るう。その兆候を感じ取った子供が生み出すトウカの幻影。それごと、翼の片方を奪った。
「行くぞ、ヴァルト」
『存分に振るえ!』
黒い稲妻を剣に纏わせ、溜め、そして一気に解き放つ。
「
ひらりひらりと落ちていく子供の脳天を、黒い光線が穿つ。灰となって、その魔物は消えた。
「リシェリスさん!」
ラハンらが突然に現れた。
「……お前たちは、何を見せられた」
「見せられる? 低級の魔物の群れを相手にしていただけですよ」
ラハンがそう言うので、彼女は大体のことを察した。
「インサもか」
「はい、そうですね」
心に影のある人間を狙って、弱みに付け込む下らない魔物。
「次が最下層っすね」
「だといいな。何か感じるか、サーデル」
「でかいのが蠢いてる感じはあるっすね。多分、核の魔剣とその持ち主っす」
四人は歩き出す。
「ラハン、前にも言ったが魔剣はお前が持て。それが最善だ」
「何が、あなたをそうさせるのです」
「私の恋人は、教会の判断ミスで死んだ。私にも責任はあるが、教会とてその咎を背負うべきなのだ。だが……あろうことか聖導官はそのミスを隠蔽し、私を魔域平定の英雄にした。教会に全幅の信頼を寄せるわけにはいかない」
ラハンは答えようもなく黙った。湖を脱したのは、その十五分後のことだった。
◆
神聖教会領首都、ヴンダ。平穏な街の一角に、魔剣を封じる地下倉庫が存在していた。今、そこを訪れたのは、サグアと灰色の聖導官だ。
「ノルフィアの従者たちに持たせる剣を選んでくれ。こういうことは、君の方が得意だろう?」
灰色は静かに武具を物色する。魔剣、と言ってもそれが必ずしも分類上の剣であるわけではない。ナイフのような小型のものや、槍のように長いもの、はたまたメイスのようにそもそも刃物ですらないものまで、十把一絡げに魔剣と呼ぶ。
そんな中で、灰色は比較的力の弱いものをいくつか選び出した。
「大して魔力は感じないけれど……それが却って使いやすさに繋がるということか。わかった。複製させよう」
形状としてはシンプルな直剣だ。
「君が使うものも選んだらどうだい?」
「私は、これで十分です」
左腰に佩いた、何の特徴もない剣を差して灰色は言った。
「つまらないねえ。もっと派手な武器の方がいいよ」
「親しんだ武器の方が、頼りになります」
サグアは、魔王復活に係る保険として、魔剣の複製を命じた。誰も彼自身が魔王を解き放とうとしているとは知らない。
「その地味な剣で、かかる火の粉は払ってくれよ」