一か月前。カマ王国南部群島の一つで、青年が礼拝堂の地下に忍び込んだ。誰も寝静まった夜の中、彼の目的であったのは魔剣『ザレグエル』。かつて孤高の騎士が振るったという、伝説の剣だ。
魔王が魔王と呼ばれる以前から存在したそれは、黒炎を以て魔を祓い続けてきた。だが、今となっては握る者が途絶えて久しい。
青年は、その一人になりたかった。そうすれば騎士として身を立て、この小さな島から出られると思っていた。
現実は残酷だった。蒼い鞘に収まった両手剣を引き抜けば、黒い炎が噴出し、彼を包み込む。
『不適格』
荒れ狂う炎の中で、青年は声を聞いた。
『されど、無価値ではない』
炎が青年を呑む。単に肉体的に焼かれるだけではない。心が、精神が、魂が爛れていく。全身を震わせる、巨大な意思。
青年のそう大きくも立派でもない肢体が、心臓を起点に作り変えられる。ひょろりとしていた四肢は太く、そして力強いものとなり、血に錆びついたような赤黒い鎧がその上に生まれていく。
斯くして、古代のノルフィア騎士、ラダマは一人の青年を器として復活を遂げたのだった。
◆
「サーデル、加護は届くか」
一歩進む度に邪気が濃くなる下り坂で、ラハンは親友にそう問う。
「そうだな……地上よりかは弱いが、ないこたぁないな」
正直な所、自分が場違いであるような思いを抱くインサは、一つ気になったことを口にする。
「加護って、具体的には何なんですか?」
「神様に頼んで、その力をこっちに向けてもらうのさ。そんで、誰の力を強くして、誰の力を弱くするのか、ってのを制御する。簡単じゃないんだぜ、これ」
自慢げに語る中、錆び付いた扉の前に一行は立つ。
「この先、か」
リシェリスが呟く。力を込めるが、一寸とて動かない。
「俺が破ります」
ラハンが前に出て、手を翳した。蒼い炎を燃やし、爆ぜさせる。扉は吹き飛んで、落下点で派手な音を立てる。
その先にあったのは、厳かな祭殿だ。白い花が捧げられ、銀でできた卵型のオブジェが置かれている。だが、何より目を引いたのは、石でできた台に腰掛ける、赤黒の鎧を纏った騎士だ。
ラダマ。四人はその名前を知らないが、敵意は鋭敏に感じ取った。片手で握っている、黒い両手剣。鎧の隙間からは黒い稲妻が漏れており、口の穴からは呼気が頻繁に吐き出されている。
剣士二人が前に出て、得物を構えた。
「サーデル、祈祷を止めてくれるなよ」
ラハンはそう言うと、走り出した。飛んでくる黒い稲妻を防御魔法で弾く。長い刃を躱し、剣に炎を宿す。ラダマが武器を振り抜いた、攻撃と攻撃の間隙で、彼は仕掛ける。
タンッ、と飛んで身長三メートルの敵の腹を斬りつける。通り過ぎた後、
「蒼炎百華!」
と叫んで爆発を起こした。
それで決まったとは、彼自身思っていなかった。伽藍と穴の開いた脇腹から、赤い血が流れ出ている。それでも、ラダマは体を動かした。
「
その巨躯の騎士は、もごもごとした声で術の名前を唱える。掲げられた剣先に黒い光が点り、数秒後、炎の雨として降り注ぐ。
防御魔法を展開して耐え忍ぼうとしたラハンは、その青白い壁が黒く染まりだしたのを認めた。
サーデルの方をちらりと見る。雨はそちらにはあまり降っていない。
「ならば!」
受けるのは諦めて、攻めに転じる。再び剣に蒼い炎を纏わせ、跳躍。上昇しつつ顎を蹴り上げ、黒い炎の塊に剣を打ち下ろした。打ち消し合う聖と魔が、光を散らして消え去った。
「やる!」
一方で、リシェリスも攻め時を待っていた。黒雷の剣を握りしめ、脚を斬りつける。倒れ込むな否や、というタイミングで地面を蹴り、心臓を刺した。
だが、ラダマは止まらない。ガントレットのある手で剣身を握り、引き抜く。そのままリシェリスごと放り投げ、立ち上がった。
傷は最早ない。どうしてこうも、とラハンは文句の一つでも言いたくなった。
何度か、振り下ろされる剣を避けた。黒い刃が石の床を割り、礫々を飛ばす。攻めあぐねた二人は、肩を並べた。
「まだいけるだろう?」
「ええ、問題なく」
黒い稲妻が飛来するので、二人はまた別れた。
連続する魔法の中を、一筋の赤い光が駆けていく。兜を弾き飛ばし、素顔を露にする。そこにあったのは、涙ぐんだ青年の顔だ。途端、ラダマは頭を抱えて蹲る。
「受肉体……!」
リシェリスがそう口にした。
「受肉体?」
「魔剣に乗っ取られた、元人間ということだ」
「救う手立ては」
「……確実な手段は、ない」
嫌な味が広がるのを、ラハンは克明に感じた。
「封印を解いた馬鹿が、魔剣に肉体も魂も奪われ、底に沈められている。だが、それを引き出す方法は未だ発見されていないのだ……ただ一つ、別の誰かが魔剣の力を引き受ける以外に」
「なら、俺があの剣を取ればいいんですね」
「お前がこうなるかもしれんのだぞ」
「その前に首を掻き切ります」
覚悟、というにはあまりに無謀な決断。
「……そうか。託す」
一言、背中を押されてラハンは走った。インサが連続して槍を投擲することで、ラダマの注意を引き付けようとしている。僥倖だった。いや、必然だったのかもしれない。
それがどちらだったにせよ、ラハンは隙を見つけることができた。最大火力で剣を燃やし、相手の右肘を狙って剣を振り抜く。
飛び散った体液の中で、断面から伸びた触手が、落ちた右腕を繋げようとしている。リシェリスが黒い雷でそれを妨害する。
着地、から素早く動いて、彼はついに魔剣を握った。瞬間、黒い炎に包まれた。
『適格』
目の前にある炎の塊が、彼の頭の中に声を流し込んだ。
『ノルフィアではないな……特定の神というわけではなく、ヴセールの子らを広く信じる騎士、ヴセール騎士とでも言うべき存在か』
魔王との戦い以前、教会騎士は信仰する神の名前によって派閥が分かれていた。だが、今では多くの神々を広く信奉し、その加護を得ている。
『気高き魂に、確かな実力。そして自らを投げ出す覚悟。気に入ったぞ』
ラハンは何も言えなかった。黒い稲妻と炎を操るということは、ノルフィア騎士の中でもかなり高位の存在であることを意味している。それを受け入れれば、自分も異端になるのではないか、と訝っていたのだ。
だが、リシェリスの言葉も刺さる。何より、この剣に取り込まれた者を救わねばならない。
『案ずるな、肉体は彼奴に返す。この魔域も、我の魔力なしでは維持できん』
「魔剣、名前は」
『眠る魂の名はラダマ。号はザレグエル』
炎が剣の形を作る。ラハンは躊躇うことなく、そこへ手を伸ばした。
「俺のものになれ、ザレグエル!」
黒い炎を纏った両手剣。炎が晴れ、彼は確かにそれを握っていた。いつの間にやら鞘に収まっていた剣とは別に、左手に蒼い鞘が生まれる。
「……魔剣を、従えたか」
ラハンは黒剣を納め、背負う。
「存分に振るえ。それは、お前の力だ」
リシェリスが、軽く彼の肩を叩いた。と同時に、魔域全体が地震でも起こったかのように震え出す。インサが悲鳴を上げた。
「落ち着け! 魔域が消えて地上に送られるのだ!」
その言葉通り、礼拝堂へと四人と一人は転送された。黒い浸食はなく、壮麗な輝きを、その礼拝堂は取り戻していた。
魔剣に飲み込まれた青年も、意識はないが生きていた。今はリシェリスに担がれて、船の上だ。
◆
「にしても、魔剣使いのラハン様、か」
一週間ほど後、王宮に向かう道の途中、サーデルがそう煽てる。
「やめてくれ、両手剣の使い方から習得しなければならないんだ。そんなたいそうなものじゃない」
盾の下に剣を背負うラハンは、よく目立つ。
「ずっと聞きたかったんですけど、魔剣って何ですか?」
「簡単に言えば、特別な効果を持った武器だな。魂が宿っていたり、呪われていたり、はたまた聖なる加護を受けていたりで、武器そのものが魔力を持っているんだ。中々手に入るものじゃないんだぜ?」
サーデルの解説に、彼女は頷く。
そんな功績を上げた彼らを、次なる試練が待っていた。