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異端戦争 開幕

 魔法封印を紀元とする封印歴、その一〇一二年、初夏。ニバイ帝国帝都ダルメークにて、一つの扉が開かれた。馬車に牽かれていく、巨大な檻。そこに詰め込まれていたのは魔物たち。これが、『異端戦争』の始まりであった。



 ◆



 ラハンとリシェリスはヴァリモン司教の下を訪れていた。サグアを通じてパイプを作り、セリウスが異端である可能性を告げるためだ。


「……なるほど。ノルフィアの術で聖骸の内臓を盗み出し、魔域の餌とした、か」


 聖堂の奥にある私室、ヴァリモンは苦い顔で若き騎士の正義感から来る言葉を反芻した。


「それが事実であれば、聖骸を侮辱する異端となるが……証拠はあるのかね?」

「これを」


 ラハンは例の羊皮紙を取り出す。セリウスの名前が魔法で刻まれたものだ。それについて、簡潔に説明する。


「私はね、ラハンくん、セリウス様には随分と良くしてもらっている……それを弾劾するというのは……人の道に悖るとは思わんかね」

「しかし、ここで看過すれば、神の道に悖ることとなります」

「神の道で腹は膨れんよ」


 若い騎士は自分の耳を疑った。


「真っすぐであることは否定せんがね、鴉を黒と言わない器量が世の中には必要なのだよ」

「へえ、司教様は鴉が黒いって信じないのかい。鴉が白だって言えば、下々に笑われてしまうよ」

「リシェリスくん、君が異端の力を持っていることは知っている。あまり楯突くのであれば、審問にかけてもいいのだよ」

「おお、怖い怖い。大人しくしておくよ」


 黒革の椅子の上で、サリヴァンは指を組む。


「セリウス様の代わりになるような後ろ盾を用意してくれるのであれば、考えるがね」

「サグア首席聖導官にこのことは報告済みです。それでは足りませんか」

「皆まで言わんとわからないのかね?」


 要は金を出せ、と言っていることは、ラハンにもわかる。だが、そんな薄汚いもので異端を裁くか否かを決める、というのは、信仰に生きる者の一人として許せなかった。


「然るべき用意をしてから、また来給え……む、なんだ」


 部屋の奥にあるサリヴァンの青燐盤が輝いた。その上には赤いマントを羽織った国王の姿。彼はそこに駆け寄って、言葉を交わし始めた。


「ええ、ええ……サリヴァン司教の名に於いて。それでは」


 短い会話の後、彼は騎士二人に向き合う。


「ニバイ帝国が我が国に宣戦を布告……ナバラシア信条に違反したとみなし、教会はこれを異端と判断。従って、カマ王国に滞在する騎士を、国土防衛の任に命ずることとなった」


 ナバラシア信条──それは、封印歴一八〇〇年代に採択された、ヴセール教国家同士で争うこと勿れ、という教えである。単に法的なものではなく、宗教的な意味を伴うものだ。従って、これを侵す国家はそれ全体が異端と見做される。


「二人にも戦ってもらう。ラハンくんも、どうせニバイに向かうのだろう?」


 ラハンは、人を殺したことはなかった。故に首を縦に振ることができない。


「そうさな……君の活躍次第では、弾劾の手続きを行おう」


 目の前に餌を吊るされるような扱いを受けて、彼は一層不快感を強める。


「君くらいの年頃であれば、手柄を立てるのに夢中になるものだと考えていたがね……思ったよりも理性的だ」


 老人は立ち上がり、ラハンの背後に回る。そして、肩に手を置いた。


「君には何もない。首席聖導官がどれだけ推薦を添えた所で、それは後ろ盾にはならんのだよ……」


 ギリッ、と奥歯を噛み締めてから、青年は口を開いた。


「戦えば、いいのですね」



 ◆



 ニバイ帝国。南カラザムから北に突き出た半島を本土とし、北カラザムにも幾らかの領土を保有する国家である。


 しかし、ナバラシア信条への同意以降二百年はその活動を止め、雌伏の時を過ごしていた。


 それが目覚めた。予てより帝国の武器であった魔物を操る従魔技術により磨きをかけ、カマ王国の国境基地に殴り込んだ。


 先陣を切ったのは、鉄殻戦団だ。堅牢な甲殻の上へ更に鎧を重ねた馬ほどの大きさの魔物に跨った、これまた重装の騎兵たちが、夜の中、ライフル弾の雨の中を駆け抜けていった。


 王国とて、帝国が信条を破り侵攻してくる可能性を考慮しなかったわけではない。ボルトアクションライフルを物陰から撃ち、時折手榴弾や迫撃砲の爆発が重騎兵を襲う。


 だが、魔法で強化された帝国の切り込み隊は、それらを乗り越えて王国兵の喉笛を掻っ捌いた。


「俺に続け! 軟弱な王国軍を踏み潰せ!」


 最初に王国軍基地の地面を踏んだのは、魔鎧まがい将軍グラドゥス。王国の魔術師が放った炎は、彼の鎧に当たっても傷一つ付けられなかった。


 その手にある骨太で肉厚な剣は、ライフルで受け止めようとした赤い軍服の若き兵を、その筒ごと断ち切り、頭蓋骨から脳漿を散らせた。


 グラドゥスは全身を赤銅色の鎧に身を包み、真っ赤に染まった無骨な長剣を握って更に基地の奥へ進んだ。銃剣を構えて突撃してくる者は、一撃のもとに斬り捨て、果敢にも正面に立った者は、重さに任せて蹴り飛ばした。


 銃弾の衝撃も、特殊な魔術でそれを吸収する鎧の前には意味を為さない。ただ、少し痒いだけだ。


「ケッ……狙撃手がこそこそと……」


 そう呟いた時、炎の球が監視塔に直撃して倒壊させた。小さなドラゴンの群れが空に浮かんでいたことで、そこから発せられたものだと彼は理解する。


「ミルサの部隊も来たか。お前ら! あいつに手柄をくれてやるなよ!」

「応!」


 大声が揃って返ってくる。満悦した彼は、目の前に現れた男を見て、魔物を下りた。青を基調とした鎧に、紋章入りの盾。


「へえ……お前、教会騎士だな」

「いかにも」


 嗄れ声が、兜の中から聞こえてきた。


「遊ぼうぜ、強いんだろう?」


 教会騎士はするりと白刃を抜き、盾で体を隠す。そこへ、グラドゥスは突撃した。


 タックルが盾に直撃し、騎士を数メートル後退させる。更に、剣を脇に構えて追った。蒼い炎が放たれるも、魔鎧の力には勝てず、彼は炎の中から剣を振り上げて現れた。


 激しく何度も打ち合った両者。優勢なのは魔鎧の戦士だった。丸太のような手足を振るって、彼は教会騎士の盾に凹みを作る。聖別の上に魔力で強化された金属を歪ませるほどの一撃は、単に膂力によるものだけではない。


 それでも、教会騎士は諦めなかった。ぐっと踏み出した足に力を籠め、刺突を繰り出す。銀色の刃は空を過ぎ、グラドゥスの左肘と左膝の間に挟まり、折られた。


「なんとッ……!」


 驚愕した老騎士は、次の瞬間、鎧ごと胴を断たれて息絶えた。飛び散った血を浴びて、グラドゥスは高らかに笑い出す。


「老いた騎士! 中々楽しめたぞ!」


 兵の質、士気共に劣っていた王国軍は、数時間の攻防で一つの基地を失った。圧倒的であった。降伏した者は壁の前に並べられ、最新ライフルの試し撃ちに使われた。


「このボルトアクションというのは面白いな」


 武器庫から持ってきた銃を司令室で眺めながら、グラドゥスは机に足を乗せていた。今年で四十二。真っ赤な短髪を時折撫でながら、小銃のメカニズムを確かめていた。


「おじさん、銃嫌いなのに?」


 将軍の一人である彼を『おじさん』などと呼べるのは、帝国軍には一人しかいない。ミルサ。燃えるような赤髪を、手鏡を見て整える彼女は、二十四歳の最年少将軍だ。


 二人は鉄紺色の軍服に身を包み、腰に拳銃を提げていた。だが、ミルサの方は下衣をスカートに改造した上で深いスリットを入れていた。


「銃ってのは当たると痒くてなあ。まあ、そうでもしねえと撃たれたことにも気づかねえから仕方ないんだが」


 司令室には、司令官が座るべき席と、来客が座るべき席がある。グラドゥスは前者、ミルサは後者に着いていた。


 彼の傍らでは、愛する剣が机へ立て掛けられている。


「猶予は一か月。明日には動くとするかねえ」

「王都に入ったら観光したいなあ。ね、いいでしょ?」

「お前の魔法で更地だろうな。やりすぎんなよ?」


 今しがた人を殺したとは思えない軽快さで、二人はその部屋を出た。

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