国境基地の失陥。その一報が耳に入った時、国王は
「話にならん!」
と叫び、手に持っていたワイングラスを玉座の間で投げたという。
「あそこには相応の戦力を割いていたはず……やはり教会騎士か……」
呟きながら、王は爪を噛む。
「陛下、我が国に駐在する教会騎士で部隊を再編成するべきなのでは」
隣のセリウスが言う。
「ああ、そうだな……参謀本部に向かうぞ。腑抜けた奴らに一つ言っておかなければ」
結果、ラハンに下されたのは最前線への配属の辞令だった。それに伴い、カマ王国軍少尉相当の待遇を受けることとなった。
この戦争に於ける教会騎士の役割は、魔術師部隊の指揮と、将軍クラスの敵との直接戦闘だ。その部下の中に、インサも含まれていた。
若輩者の自分に務まるか、と不安を抱いた彼は聖堂で静かに祈りを捧げていた。跪き、指を組み、ただ黙る。
「心配があるのかね?」
そんな彼に、ヴァリモンが声をかけた。
「魔物以外を相手にした経験がなく……本当に、教会の指示なのですね?」
「いかにも。教会令第七五〇号によって、教会が認可を下した騎士を、カマ王国軍の指揮下に置くことが承認された」
わかってはいても、信じ切れない気持ちが彼の中にはあった。世俗の争いに介入することが教会の利益になるのか、と。教会に何らかの思惑があることは理解できる。だが……。
「異端国家を野放しにはできない。そうだろう、若い騎士よ」
「そうでは、あるのですが」
立ち上がり、ラハンは暗い顔を司教に向ける。
「ニバイ帝国という国家がナバラシア信条に違反した異端であることは、受け入れられます。しかし、そこに生きる国民までも敵なのでしょうか。皇帝の破門という、たったそれだけのことで十分なのでは、と思うのです」
「その指示を受けた軍隊もまた、異端なのだよ。故に戦わねばならん」
ラハンは、自らを盾と規定していた。襲い来る脅威から民を守る、信仰による盾。だが、このあり方は剣だと思っていた。
「話は変わるが、聖骸の内臓の移送許可が下りたと聞く」
「……ええ。サグア様は、疑わしい時点で相応しくないとしてセリウスに保管させるのではなく、教会領で活用すると判断されました」
「何も無理に弾劾せずとも良かろう? 君の目的は達せられたのだから」
「それとこれとは別です。現にセリウスは国王の腹心としての地位を追われていない……」
サリヴァンはそっと笑った。
「潔癖も行き過ぎれば己を傷つける。妥協し給え」
軽く肩を叩いて、司教は奥に消えた。
カマ王国には、鉄道が敷かれている。王都ルドランから、東部海岸沿いの主要都市を結び、帝国との国境地帯に繋がっている。
黒煙を吐き出しながら進むその列車の中で、ラハンとインサは向かい合って座っていた。
「慣れないですねえ」
馬とは比べ物にならないスピードで過ぎていく景色を見ながら、インサが呟いた。
「ずっと気になっていたんですけど、どうしてラハン様は騎士なのに動物に乗らないんですか?」
「そうだな……少し歴史の話になる」
窓から入ってくる風を感じながら、ラハンはゆっくりと語りだした。
「昔は、馬によく乗っていたという。だが、身体強化魔法の発展と、交通網が整備されたことで、徐々に騎乗する必要がなくなってきたんだ。今では、騎士という言葉は身分を表すだけだな」
「……?」
「馬に乗らなくても移動できる上に、戦場での速さも手に入れたということだ」
「なるほどぉ」
陸蒸気が目指すのは、ヴェルノーラ。国境警備隊の拠点であり、その家族が住まう城塞都市である。
魔物に対抗するための火砲の発展から、一見すると城壁はその意味を失ったように思える。
しかし、教会騎士が盾を起点に防御魔法を展開するように、都市もまた、城壁を起点として魔力の壁を築いていた。これによって、単なる砲撃で都市を攻略することは難しくなる。
「基地にも壁を張ってやれば、陥ちることもなかったでしょうに」
銀色の髪を靡かせる、端正な顔立ちの青年がそう言った。ラハンとインサの座る席から、通路を挟んで反対側だ。
「まあそう言ってやるな、エーエスト。大規模な障壁を張るには、
エーエストと呼ばれた銀髪の彼は、不満げに頬杖をついて外を眺めた。その向かいに座っていた、左目に嵌めてある魔導義眼をギョロギョロと動かす偉丈夫は、席を立ってラハンの方に近寄る。
「お前がラハンか?」
「……ええ」
「俺はグッバード。お前と同じ、第八特別隊だ」
教会騎士を編成に組み込んだ部隊を、特別隊と呼ぶ。数人の騎士と、それが率いる魔術師部隊から成る。
「その年で魔域を平定したんだろう? そのでかい方の剣が魔剣か?」
「そうですね。触らせませんよ」
「ハッハッハ! 俺は魔剣などなくとも、百人分の戦力になると自負していてな! 盗ることなどないさ」
グッバードはラハンの肩を何度も叩きながら、左目だけを動かしてインサを見ていた。
「……異端か。使えるんだろうな?」
急にトーンを落としてそう言うので面食らったラハンだが、正面から相手の目を見て、
「間違いなく」
と力強く言い切った。暫し睨み合うような沈黙が訪れ、汽車の駆動音や、魔術師たちの騒ぐ声ががそこに横たわった。
「なら、信じよう。お嬢ちゃん、名前は」
「インサです」
「インサ、この先は引き返せんぞ。それでも行くか」
「私だけが何もしないわけにもいきませんから」
汽車は一つ目の中継地点、港湾都市デオに入った。王都ルドランの北東に位置している。
そこで石炭と水を補給するため、一時停車する。車内を行くカートからスモークハムとチーズを包んで焼いたパンと水を買い、ラハンは発車を待った。そこに、大声が響く。
「やばいぞ! 騎士は集まってくれ!」
パンを水で流し込み、彼はエーエストと並んで汽車から飛び降りた。声が聞こえてきたのは、駅の待合室。軍用列車が行くということで貸し切り状態だ。
そこに一つ机があり、青燐盤の上に毛の一本もない頭を輝かせる老人が立っていた。
「……ヴェルノーラが陥落した」
挨拶もせず、老人──参謀総長は震える声で告げた。
「防壁があるはずでは」
エーエストが落ち着いた声音で確かめる。
「奴らは、防壁を一撃で打ち破る兵器を開発しおった。映像を出す」
総長が消え、列車一両をそのまま大砲に改造したような巨大兵器が映し出される。機関部の上に、廿メートル近い砲身が乗せられ、そこから赤い光を放ち──映像は途絶えた。
「この砲によって、防壁を一撃で破壊、その後地上部隊を突入させて制圧したと思われる。諸君には、オルセレア防衛隊に合流してもらいたい」
ここから海岸沿いに北西へ進んだ街だ。ラハンが頭の中で地図を広げていると、青燐盤から喧しい声が聞こえてくる。
「なんだ、話して──じ、事実か⁉」
元から大していい色をしていなかった総長の顔が、一層青くなる。
「ニバイ帝国からの侵入を防ぐべく、スルガン共和国と共同で海上防衛に戦力を投入しておったのだが……今しがた、それが突破された。もう、オルセレア防衛は間に合わん……」
老人は頭を抱えるも、すぐに騎士たちを見渡した。
「デオは、デオだけは守ってくれ。そこが破られれば、王都も危うくなる。それではな、私も会議がある」
青燐盤が黙る。残った者たちは顔を見合わせた。
「ひとまずは、ここを突破されないよう備えるんだ」
そう騎士たちに言ったのは、腰背部に二振りの剣を提げている若い男だ。双剣のキッス、と呼ばれている。戦場でもないのに鎧を纏う、焦げ茶色の髪の持ち主である。
「備える、とは言っても、どんな兵器を使っているかもわからんぞ」
言い返したのはグッバード。
「防壁を破壊するようなものが使われているのなら、俺たちが何をした所で無意味だ」
「そうかもしれないが、逃げるわけにもいかないだろう。民のために戦うしかない。圧倒的に不利なのだとしてもな」
そして、空が砕けた。