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揺れる世界

 カマ王国の同盟国は、スルガン共和国と、辺段べだん島南部を統治する尾根祖おねそ、そして神聖教会領である。


 前者二か国と共同してニバイ帝国の海路による南下を防ぎ、安全な交易を実現していた……はずだった。


 ニバイ帝国は蒸気機関ではなく、魔力を蓄積できる特殊な鉱石を動力源としたスクリュー船を戦力の中核としていた。それが可能とするのは、速度と破壊力の両立。


 新兵器、魔力投射砲を三基備えたことによる圧倒的な火力は、カマ=スルガン連合艦隊の主力艦を容易く沈め、デオまでのルートを明け渡すことになった。


 幸いにも、王都ルドランへの航路には狭い海峡が存在し、大型船は通行できない。陸路で侵攻するよりないのだ。しかし、それはデオを失っていい理由にはならない。


 デオ沖に、帝国艦隊が接近しつつある。それを認めた防衛隊は鐘を鳴らし、避難を呼びかけた。


 艦隊の先頭には、巨大な青黒い砲を備えた艦がある。廿メートル近い砲身を設置するために一切の装備を取り払ったその一隻は、特殊なアンカーを降ろし、惑星を流れる巨大な魔力の流れ──魔脈から莫大な魔力を取り込んでいた。


「魔脈爆裂砲、発射準備完了」


 艦橋で、一人の技師がそう報告する。


「……撃てえッ!」


 号令の直後、八十センチの空洞から赤い光が迸った。空間を歪ませ、射線上のみならずその周囲に展開していた敵艦を破砕しながら進んでいったそれは、デオの防壁に直撃する。そして、それを構成する魔力の流路を破壊。維持を不可能とし、崩壊させた。


 十秒ほどの照射だった。しかし、これで魔脈爆裂砲は使用不可能となる。都市一つを一か月分機能させるほどの魔力を集めてエネルギー兵器にできる形へ変換させる炉は、その熱で内部構造が破壊される。同時に、砲身も内側が熔解し、廃棄するしかなくなる。


 つまりは、一度きりの兵器なのだ。それが露呈する前に勝負を決める必要があった帝国軍は、こうしてその目的を達しつつある。


「海兵隊を出せ! 一気にケリをつける!」


 既に、デオの防衛艦隊は壊滅的な被害を受けていた。抵抗も空しく、その放火の前に上陸を許してしまう。


 だが、これからだった。



 ◆



 少し時間を遡る。デオに帝国艦隊が襲来する前、ラハンらは想定され得る侵攻パターンについて机上演習を行っていた。


「奴らが件の兵器を艦載式にしている場合、この街は容易に防御力を喪う」


 キッスが駒を動かしながら言う。


「陸上に限定されるものだとしても、通常の装輪車両では運搬できないだろう。無限軌道か、列車砲か……」

「仮定ばかり。いっそ打って出ちまおうぜ」


 退屈そうなグッバードが頭を掻きながら口にする。


「現在祈祷騎士を中心とした斥候部隊が北上しているが、まだ接触できていない。私の勘にはなるが……海から来るだろう」


 そうなれば、最悪の事態に発展する。海上から件の兵器を打ち込まれ、無防備になった街に砲弾が降り注ぎ……。


「勝率は、いかほどで?」


 エーエストが冷たい声で問う。銀色の短い髪を掻き上げ、灰色の瞳でキッスを見つめた。


「一割もあれば、御の字だろう」


 勝てるはずのない戦。ラハンは無意味にさえ思った。できることなら、民を連れて街を脱出すればいい、とも。だが、戦う前に負けようとしている事実に、口を閉じるしかなかった。


 重く痛い空気に包まれた騎士たちの耳に、鐘の音が入る。


「休もう。ちょうど食事の時間だ」


 キッスの言葉で、一旦お開きとなる。ラハンは、死というものの色濃い影を見つめているような気持だった。


 ここデオを統治するのは、バルテン公爵だ。その居城たるファードゥー城は、防衛隊の指令所としての機能も持っていた。故に、その一階にある食堂では赤い軍服に身を包んだ士官の姿が見られるのだった。


 ラハンも彼らと同じように食事を買おうとしたが、不意に、その入り口で大きな木箱を抱えてパンを売っている少女が目に留まった。


 あまり売れてはいなさそうだった。身なりも綺麗とは言えず、栗色の髪もひどく痛んでいる。そんな彼女を、ラハンは放っておけなかった。


「クリームパンと苺ジャムのパン……それと、卵のサンドイッチを一つずつ」


 泣きそうな顔の彼女に、声をかける。


「は、はい!」


 幾らかの小銭を渡し、パンを受け取る。


「君、歳は」

「十三です!」

「その年齢で働いているんだな。大変だろう」

「い、いいえ! 私パン好きなので!」


 彼は少女を連れて、ホールを出る。


「食堂よりは、外で売った方が買い手もつくだろう」


 ラハンは木陰に座り、必死に客を呼び込む彼女を眺めながらパンを食べた。素朴だが、確かに美味い。


 庭園を見に来た市民も相手にして、少女は少しずつ売っていく。十五分もした頃、軽くなった木箱を持ってラハンの隣に座った。


「君、名前は」

「リナです」

「俺はラハン。教会騎士だ」

「騎士様⁉ 私なんかと話してもいいんですか?」


 大袈裟なほどに驚く様を見て、ラハンは少し笑いそうになった。


「……この街も、狙われるんでしょうか」

「ニバイ帝国が戦争を仕掛けた理由は、エネルギーにある。帝国の魔脈は衰弱しつつあり、カマ王国を流れる魔力を求めて侵攻を始めたんだ。だから、デオにも帝国は攻撃を仕掛けるだろう」

「やっぱり、騎士様ってすごいですね。私全然わからないや」

「親友の受け売りさ」


 チチチ、と鳥が鳴いていた。涼風が流れていく。だが、それももうすぐ崩れることを皆知っていた。


「お母さん、病気で」


 リナは俯いて言う。


「もう長くないんです。だから、せめて最期の時くらい故郷にいさせてあげたいな、って」


 重い。ラハンはそう感じた。成功率一割の防衛戦をするのだ、とはとても口にできなかった。


「お願いします。この街を守ってください」


 立ち上がった彼女が、深く頭を下げる。


「……約束は、できない」


 彼の中にある生真面目さが、そんなことを言わせた。


「勝率はそう高くないんだ。だから、絶対に守れるとは言い切れない」


 また、リナの瞳が潤む。


「それでも、精一杯やれることはやろう。君の母が、安らかに眠れるように」


 リナが何かを言おうとした。だが、それは海岸からの甲高い警鐘によって掻き消された。


「来たぞ、来たぞ!」


 魔法で増幅された声が街に響く。帝国艦隊の襲来だった。


「避難するんだ」

「あ、あの!」


 走り去ろうとしたラハンを、少女の細い声が呼び止める。


「パン買ってくれて、ありがとうございます!」


 親指を立てた後、彼は鎧を纏った。


 城の外、特別隊の魔術師と合流する。


「ラハン様、私たちは何をすればいいですか?」


 インサが問う。


「上陸する敵を妨害するんだ。減った戦力を騎士が叩く」


 港湾に向かう中、赤い光が空を覆った。通常不可視の防壁が蒼い光を放って人の目に映る。数秒後、割れた。


「これが、巨大兵器の威力……!」


 次いで、戦艦の副砲が吐き出した榴弾が街を襲う。爆風や破片、子弾が構造物を穿ち抜き、崩壊させていく。空から降り注いだ榴散弾の鉄球が、逃げ惑う親子をずたずたに引き裂いて殺した。


 そんな光景が、至る所で繰り広げられていた。耳を劈くような爆発音。血のように真っ赤な魔力の流れが、鐘を鳴らす監視塔を破砕する。瓦礫が落ちて、ラハンらの先で道が塞がる。


「切り開きます!」


 一人の少年兵が、爆裂魔法でその邪魔者を蹴散らした。


「君、幾つだ」


 魔力を爆ぜさせる、というのはそう簡単なことではない。それを構造の弱い部分を的確に狙って行うのだから、ラハンは彼からただならぬ才能を感じ取った。


「十四です」

「……君も、死なせるわけにはいかないな」


 教会の定める成人の基準は十八歳。ラハンは、自分が言うのも何だが若すぎるように感じた。


 斯くして、若き騎士は、初めて人と刃を交えるのだった。

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