デオの攻防戦は、概ね帝国の優勢として推移した。揚陸した鉄殻戦団を主軸とした帝国軍は、その装甲によって砲撃・銃撃の中へ吶喊。教会騎士率いる魔術師部隊だけが、まともに抵抗できていた。
そこに、小型ドラゴンによって構成された灼熱戦団が接近したことで、王国軍はこれ以上の損害を被るわけにはいかず、撤退を判断した。
だが、当然その一報は国王を更に怒らせることになった。
「ま、生きて帰れたんだからこれ以上のことはねえよ」
リシェリスの屋敷にて。食卓についたサーデルは、友人たちにそう言った。
「とは言っても、俺は偵察だったから特に何もしてねえんだけど。ラハンは大活躍したんだろ?」
茶を片手に、ラハンは少し暗い顔をしていた。
「……人を殺すというのは、気分が悪いな」
豚のソテーは、あまり進んでいない。ナイフとフォークを取った彼が、それを小さく切って口に運んだ。
「そう思い詰めるな。戦場とは特殊な場……人が人の命を奪うことを肯定する、日常とは全く異なる場だ。だから、君に罪はないさ」
上座に座るリシェリスが言う。
「リシェリスさんも、人を?」
「そりゃあね。ナバラシア信条があっても、各国は秘密裏に軍隊を動かそうとしていた。ニバイ帝国なんてその最たる例さ。カマ王国も似たようなものだから、そういう作戦をこっそり妨害するわけだ。そこで、私みたいなのが動く。いざとなれば異端として切り捨てられる駒がね」
彼女はそこまで言ってワイングラスを傾けた。
「おっと、これは話してはいけないのだった……聞かなかったことにしておいてくれ」
ニヤリ、笑いを浮かべて彼女はグラスを置いた。
「首都防衛となれば、私も動くことになるだろうね。サーデル、医療魔術の心得はあるかい?」
「ま、祈祷騎士なんでね。吹っ飛んだ腕を繋げたりはできなくとも、銃弾で空いた穴を塞いだりはできらあよ」
少し話し方の崩れたリシェリスに応えるように、サーデルも態度を一気に柔らかくしていた。
「帝国は講和を提示したそうだ」
ソテーの皿を空にしたリシェリスが、唐突に言う。
「おそらく、主要都市を抑えた状態で早期に戦争を終結させたいのだろう。そこに、奴らの弱点がある」
「弱点?」
ラハンが問う。
「防壁破りの兵器、あれは大量生産できる代物ではないように思える。つまり、何年か前から準備を進めても、首都までの道を確保できるようにするのが精一杯なのだよ。最後の準備をするまで、時間が欲しいのさ」
「そして、平和の間に例の兵器を再び作り、ここを攻めるのですね?」
「そうなる。故に、都市の一つでも奪還してそんなことはできない、と意思表示をしなければならない」
「しかし、俺たちにそんな権限はない……」
その悲しい声を聴きながら、リシェリスは使用人にワインを注がせた。
「考えることは皆同じだろう。今頃参謀本部は侃々諤々さ」
彼女は、嘲笑うのか、それとも単に興が乗ったのか、どちらにせよ人がいいとは思えない笑みで言った。
「さて、速く食べないと冷めてしまうよ」
急かされて、ラハンは淡々と食事を進めた。
◆
エーエストを、白銀の貴公子と呼ぶ者がいる。彼の生まれが特別に良いわけではない。ただ、端麗な顔立ちと氷を纏ったような雰囲気が、人にそう呼ばせるのだ。
その彼も、デオの攻防戦で戦果を挙げた。そこで、少し時を遡ろう。
放火に沈んだ都市の細道で五人ほどの騎兵部隊と遭遇。魔術師の援護を受けつつ、戦闘に入った。
滑らかな動きで、彼の
「……魔剣か」
銃を持った部下に囲まれて、剣を抜いた騎兵隊長がそう呟いた。
「最期の言葉はそれでいいか?」
エーエストは左手の盾を突き出して、走る。飛来する銃弾を叩き落し、大きく飛び上がった。狙うは指揮官。
掲げられた剣が振り下ろされ、指揮官の右腕を打つ。すると、不思議なことに指揮官は得物を取り落とした。
困惑する暇も与えず、エーエストは責め立てた。腰を打てば相手は姿勢を維持できず、魔物から滑り落ちる。それに跨って、鎧の隙間から喉を刺した。
「まだやるか?」
噴水のように散る血の中で、彼は周りの騎兵を睨んだ。その視線は兜の奥にあって確かめることはできないが、騎兵たちは確かな恐れを心の深い部分に植え付けられた。
反転して去っていく騎兵に、魔術師たちが色とりどりの魔術を放つ。しかし、有効打となったものはなかった。
撤退の指示が下ったのはその直後。それの責任を感じた彼は、騎士館に戻ることもできず、夜の街を一人歩いていた。
酒でも飲んで振り切りたい、と思い、適当な酒場に身を滑り込ませた。そこは、やけに騒がしかった。その正体を探ろうと考える前に、彼はその理由を悟った。
酒場は机や椅子が端に押しやられ、中心に置かれた一つの机を挟んで、男が二人向かい合っている状態だ。その片方は、大木のような腕を持った男。
「グッバードさん」
エーエストは、冷たい声でその名前を呼んだ。
「おう! エーエストじゃねえか! いっちょ腕試ししていくか?」
そう大声を発するのと同時に、グッバードは目の前で踏ん張っている男の腕を机に叩きつけた。腕相撲大会だったのだ。
「結構です、酒を飲みに来ただけなので」
カウンターに向かった貴公子の肩を、酔っ払いが叩く。
「あの人と知り合いってことは、あんちゃん騎士様だろう。一発見せてくれよ、な?」
肩を組まれ、ブランデーを一杯というわけにもいかなくなる。呆れた溜息の後、エーエストは中央のテーブルに向かった。
「一回こっきりですよ」
夏の暑さに汗の流れる腕を回し、彼は構えた。
「後悔すんなよ?」
グッバードの手を握り、エーエストは一気に最大出力の身体強化をかけた。不意を衝けば、一瞬にして勝負が決まる──そう思っていた彼は、予想外の抵抗に戸惑った。
「これくらいのこたあ予測してるに決まってんだろ。それともなんだ? 若造が俺に勝てるとでも思ってたのか?」
「あんたって人は……ッ!」
拮抗。下らない争いだ、とエーエストは自らを嗤った。ここの勝ち負けには何の意味もない。それでも、彼は負けたくない、と野性的な欲望を抱いていた。人の持つプリミティヴな闘争本能が、彼に本気を出させる。
気が付けば、五分もの間押し合っていた。鍛え上げられた肉体に、魔力が加わる。賭けをしていた酔っ払いたちの野次が酒場を満たす。腕に浮かんだ血管の上を、汗が流れていく。
少しずつ、エーエストの腕が倒れ始めた。
「馬力が!」
ググッ、とグッバードは優勢に立つ。
「ちげえんだよ!」
力強く、彼は後輩の腕を倒し、机を叩き割った。すっ転んだエーエストが、頭のくらくらするような振動の中で立ち上がる。
「よし、一杯奢れよ」
「……今まで何杯飲んだんです」
「いちいち数えちゃいねえさ」
満足したグッバードはカウンターに向かう。
「一番うまいウイスキーを出してくれ」
「……一〇〇八年でいいかい?」
「おうよ。ダブルで頼む」
マスターは淡々と注文に応えた。
「エーエスト、お前、何人やった?」
「騎兵を八人、歩兵を十二人」
「それでも負けるんだから、戦場ってのはわかんねえな」
後輩の方はアップルブランデーをストレートで頼んだ。
「ラハンってのは、リシェリスと仲がいいらしい。異端スレスレだな。どう思う?」
「僕は聖導官を信用していません。それが異端だと判断しても、ただ政治的に邪魔なだけである可能性もある。この目で、排除するべきかを判断したいんですよ」
「今回の戦争は異端審問みてえなもんだろ」
「この王国に愛着があるんです。異端であろうがなかろうが、そこに踏み入るのであれば排除します」
「真面目だねえ……」
出てきた酒を一息に飲み干し、グッバードは臭い息を吐く。
「しっかし、何だって俺じゃなくてキッスが指揮官なんだ。俺の方が経験を積んでるはずだ」
「グッバードさんは単独行動をする欠点があります。指揮官にはふさわしくありません」
「随分とまあ、正論なことで……」
夜は続く。どこまでも、深く。