「ただいま~」
昼休みのショックから抜け出せず、俺は珍しく部活を休んだ。
今日もフユが泊るらしいが、向こうは向こうで部活のため俺とは別行動。
家に帰ると、玄関に母さんの靴の他に見慣れない靴が一組。
この靴は確か。
「……なんで叔母さんがいるんですか?」
リビングに足を踏み入れた俺はダイニングを確認して、思わず声を上げた。
そこには海外出張でいないはずのフユママの姿が。
フユママはウチの母親と険しい顔でお茶をしてた。
それもテーブルには高そうなケーキと紅茶を広げて。
「あ、アンタ部活は?」
「色々あって休んだ」
珍しく部活を休んだ俺を見て、母さんが明らかに苦い顔をする。
どうやら俺が部活を休むのは想定外だったらしい。
「とりあえず叔母さんがいる事情から教えてください」
***
「海外へ引っ越し⁉ 叔母さんが?」
ダイニングテーブルに並んで座る二人の母親。
俺はその前に座り、紅茶だけを嗜んでいた。
しかしフユママからの唐突な告白に、思わず声を上げてしまった。
それぐらい予想外の発言だったからだ。
「落ち着きな、ハル。引っ越しと言っても三年ちょっとの話らしいよ」
「でもそうするとフユは……」
頭の中に過ぎるのはインターハイに奮起するフユの姿。
インターハイがお預けになったと知れば、かなりのショックを――
「それも心配なし。ウチで預かることにしたから」
「はい?」
母さんの言葉に俺は首を捻る。
もしも~し。ここに年頃の息子がいるんですけど。
「あ、あのさ。自分で言うのもなんだけど、俺もうすぐ男子高校生なんだけど?」
「知ってるよ。でもアンタ、成績的に高等部に行けるのか甚だ疑問だよね」
「そうじゃなくて‼ そんな男がいる家に一人娘を預けるとか不安じゃないんですか?」
ウチの母親とは違い、のほほ~んとした雰囲気のフユママ。
彼女はしばらく考えたのち、「問題ナシ」と親指を立てて宣言する。
「現に昨日の夜は何も起きなかったでしょ? ならダイジョーブ。叔母さん、ハル君のこと信用してるし」
「だとしても……」
「グダグダグダグダ。たっく、久しぶりに早く帰って来たんなら勉強でもしな。これは大人の話だよ。当事者のフユちゃんはともかく、アンタが口を挟む必要は全くに話さ」
相変わらず厳しい物言いの母親だ。
できることなら、フユママとトレードしたい。
まあフユママもフユママで、色々と大変そうだが。
「わかったよ。でも言っておくけどな、昨日だってギリギリだったんだぞ。フユはすぐ俺の隣で寝ちゃうし。いきなり抱きついてくるは。俺だって男なんだぞ。その辺りをちゃんと言い含めて――」
俺がそこまで言うと、何故かフユママが幸せそうに笑っていた。
母さんに関しても、首を何度も振ってうんうんと頷いている。
な、なんだよ、その反応は。
「やっぱり幼馴染同士。昨日に関しては、同じ布団で眠らせて正解だったようだね」
「そうね。おかげであの子も久しぶりにグッスリ眠れたみたいですし」
「……本当に一体、何の話をしてるんだよ?」
俺がオロオロとしていると、母さんが呆れた様子で俺の問いに答えてきた。
「気づいてなかったのかい。ここ最近、フユちゃんほとんど寝れてなかったらしいよ」
「何をバカな。そんな状態のあいつを見て、俺が気づかないわけないだろ」
「あの子、アンタに弱味を見せるのだけは嫌うからね。私も黙ってたのさ」
俺が母さんの言葉の真意を確かめるため、叔母さんに視線を向けると静かに頷かれた。
「実は大会の敗戦を夢に見るらしくて、その度に飛び起きては眠れなくなるそうです」
「それってもしかして今年の――」
「はい。本人も周りも誰一人気にしてないのですが、やっぱり無意識にトラウマになってるみたいですね。サンちゃんに聞きましたが、ハル君も一年生の頃は相当苦しんだとか」
「人の恥ずかしい秘密をよそ様に話すなよ‼」
それも寄りによってフユママだなんて。
ここからフユにバレたら、恥ずかしくてもう会えないぞ。
「別に減るもんじゃないからね。それにトラウマを克服したアンタなら、フユちゃんを助けられるだろ?」
「無理だ、無理。流石の俺も去年優勝して、ようやくあの夢を見なくなっただけだ。トラウマを克服する方法は実績と経験しかない。過去の敗戦を塗り替えるほどの大きな勝利。それだけがトラウマを掻き消してくれるんだ」
とは言っても俺のトラウマも完全には克服されてない。
三年前のリベンジを果たさない限り、忘れられるかよ。
「う~ん。だったら……」
俺が過去の苦い敗戦の記憶を思い出していると。
フユママが顎に手を当てて、唸り声を上げていた。
表情は何かを考えている様子で。
視線はあくまでも俺を捉えている。
一方で隣に座るウチの母親は呑気にケーキを口へ運ぶ。
毎回思うけどこの二人、本当に同じ部に所属してたのか。
あまりにも性格や態度に違いがありすぎる。
「あの~う、叔母さん。そんなに俺の顔を見たところでですね――」
「わかりました‼ ハル君が隣にいたからグッスリ眠れたんですね‼」
いつも意味の分からないことを言う人だけど、今回ばかりは本当に意味不明だ。
なんであの状況で俺が隣にいただけで、フユが熟睡できたと思ってるんだろう。
むしろ同年代の男と同じ布団で寝るなんて、警戒するべきでしかない状況だ。
「ハル君は本当にニブチンさんですね。女の子は平然と好きでもない男の子の前で寝たり――」
「でも俺フユに、一緒に居ると恥ずかしい人認定されてるらしいんですけど……」
「……さてと。今晩のおかずは何にしようかな」
「もうこんな時間! 急いで帰らないと、あの子が来ちゃいます!」
「せめて、この哀れな中学生を慰めろよ‼」