「なんで不機嫌そうなんだよ」
いつもの公園から離れて駅へ向かう途中。
隣を歩くフユは少しだけ不機嫌そうな顔をしていた。
「別に何でもないわよ。誰かさんの頭はさっきの二人のことで一杯みたいだし」
「そんなことねぇよ。あるとしても頭の片隅にだけだ。それで何に怒ってるんだよ」
「言わないとわからないわけ?」
「自慢じゃないが、俺は乙女心には疎いぞ」
「本当に自慢できないわね」
俺の言葉を聞いて、フユはこれ見よがしにいつかの白いワンピース姿でくるりと回転する。まるで俺に何かを気づかせようとするみたいに。そういえば、今日のフユの服装をちゃんと見たのは初めてかもしれない。さっきまであの勝負を見るのに夢中で、それどころじゃなかったし。
「アンタ、あの日もこの服の感想結局言わなかったわよね?」
「いや、この前見た時はそんな余裕1ミリもなかったからな」
前にその白いワンピース姿を見たのは、俺があのゴリラに負けた日。
つまりフユの保健室カウンセリングがあった日だ。
色々と悩んでいた俺に服の感想なんて言う余裕はなかった。
「そんな風に女の子の変化に無頓着だと、アンタそのうち、女の子から相手されなくなるわよ」
珍しくフユが頭に被った白いワンピースとお揃いの白い帽子。
そのつばを弄りながら、フユは少しだけ顔を赤くして俺に言う。
きっと顔が赤いのは暑さのせいだ。今日の最高気温は35度ぐらいになるらしいし。
それにしても今更感想って言われても。そういうのを言うのが一番苦手なんだよな。
「似合ってる……とか言えばいいのか?」
「なんで私に感想の確認を取るのよ」
「だってお前、変なこと言ったら絶対に怒るだろ?」
「怒らないわよ。だからアンタの素直な感想を聞かせて」
隣を歩くフユが俺の顔を強く見つめる。
思わずその強い眼差しに胸がドキッとした。
当然だ。俺はフユのことが好きなんだから。
そんな眼差しで見られたら、心臓ぐらい軽く弾む。
だからこそ、軽はずみな感想なんて言えないんだよな。
「言っておくけどね。女の子なんて案外単純な生き物なのよ。条件はあるけど、『似合う』の一言でつい顔がニヤけることだってあるんだから」
それは暗に俺から『似合う』の一言を引き出すための言葉に聞こえた。
にしても条件ってなんだろう。それに当てはまらなかった場合、俺はどうなるんだ。
でも求めてきたのはフユの方だし、俺が責められる謂れはないはずだ。
足を止めた俺は、グッと覚悟を決めてフユに告げる。
「似合ってると思うよ。小学生の頃、お前とウチの両親に連れられて行ったキャンプ。その時も似たような服を着てたよな。あの頃から見た目は変わったけど、中身は変わらない。そんなお前とこれからも一緒に居られて良かったと思う。日本に残ってくれてありがとな」
気づいた時には、ベラベラと余計なことまで言っていた。
俺の本音には違いないけど、言うつもりはなかった言葉。
それなのにふと思い出話を口に出した瞬間、「これからもフユと一緒に居られる」という喜びの感情が溢れてきたんだ。それで気づいたら、言うつもりのない本音を口にしていた。
絶対にフユから怒られる。
だってフユが日本に残ったのは俺のためじゃない。
こいつはバスケをやるために残ったんだから。
俺はハラハラしながら、俺に釣られて足を止めていたフユの方を見る。
彼女はしばらく俺の顔を見ていたと思うと、すぐに俺を置いて歩き出す。
それも少しだけ早歩きで。明らかに俺を置いて行こうとするスピードだ。
「ちょっと待てよ‼ 怒ってるのはわかるけど――」
「私の3歩後ろを歩いて来なさい‼」
フユの叫び声が周囲に響く。
一瞬、周りにいた人たちの視線が俺たちに注がれた。
だけどその視線はすぐに戻され、今俺たちを見る人間は誰もいない。
きっと俺とフユの身長差の所為で、周囲には姉弟喧嘩にしか見えなかったんだ。
いつも二人で街中を歩いていても、カップルとして認識されたことは一度もない。
非常にムカつく話だけど、ここは我慢するほかないだろう。
だけどなんでフユは、いきなり大声で叫んだりしたんだ?
それも『3歩後ろを歩いて来い』なんて細かい注文までして、怒っていることは明白だ。現に今も耳まで真っ赤にして、俺の少し前を歩いている。やっぱり本音の部分が余計だったんだな。なんで俺、あんなことまで口にしたんだろう。
前を歩くフユとの距離は本当に3歩ほど。
普通の人間なら歩幅を広げれば、追いつける距離。
俺なら走らなければ追いつけない距離。
まるで俺とフユの心の距離を表してるようだ。
俺はフユに近づきたいのに、いつも彼女は先を歩いてる。
そして追いついた頃には、彼女もまた数歩前進していて。
俺とフユが一緒に歩くことは決してない。
いつも決まって一歩目を踏み出すのは彼女の方だから。
「……遠いな」
いくら全中で優勝しようと。
いくら中学MVPになろうと。
その距離が縮まることはなかった。
それぐらい俺とフユの間には見えない距離がある。ただ俺がそう感じているだけかもしれないが。でも正直、フユ以外の相手に負けると焦るよ。それだけで1歩、フユから遠ざかった気がして。
秋月フユは寄り道をしない。いつも真っ直ぐに自分の目標と戦っている。
俺はいつも寄り道ばかり。目標以上に勝負を楽しんでる状態。
それを思うと、勝負に拘ると決めた心にも少しだけ揺らぎが見えてしまう。
でも俺が彼女の隣に立つには必要なことだ。
いつか高校女子バスケ界最強になる女の子。
その隣に立ちたいなら、誰が見ても最強の男でいないといけない。
そのためには絶対に負けちゃダメなんだ。
それでその時にはちゃんと絶対言うから。
ずっと言わなかった言葉をはっきりと。
「……結婚したいぐらい好きだよ」
自分の数歩先を歩く女の子の後ろ姿をみつめて、俺は誰にも届かないぐらい小さな声で呟いた。