フユの買い物に付き合った日の晩。
風呂上がりに部屋で髪を拭いている時だった。
不意にベッドの上に放置していたスマホが、メッセージの到着を知らせる。
表示されていたのは司からの短いメッセージ。
それを見た瞬間、俺は慌てて部屋を飛び出す。
そして階段を駆け下りてリビングへ。
するとリビングでは親父が軽い晩酌をしていた。
「騒がしいぞ。少しは静かに階段の上り下りを――」
「親父に聞きたいことがある」
乱れた息を整えて、俺は唾を呑み込んでから尋ねる。
俺にとっては重要な1戦に関する質問を。
「永玲との練習試合。それが8月31日に決まったってのは本当か?」
「……一体誰からその話を聞いた」
「司が、中等部の顧問から聞いた」
「あのお喋り男が……」
情報源を聞いて、親父は軽く頭を抱えていた。
ウチの顧問と親父は学生時代からの先輩後輩らしい。
今でも度々ウチに来るから俺からすれば親戚の叔父さん。
そんな立ち位置にいる顧問だ。
「それで? 聞いたからどうだって言うんだ?」
「俺をその試合に出して――」
「断る。お前にウチのユニフォームはまだ重――」
「だとしても‼ 俺にはその試合に出る理由があるんだ」
俺は親父の言葉を大声で遮り、スマホの画面を見せつけた。
そこにはとあるバスケット選手の画像が映し出されている。
背は2メートルを軽く超え、サラサラとした金色の髪。
表情は無表情で何を考えているのかわからない。
「こいつの名前は小木冷。俺と同じ中学3年生だ。こいつも試合に出るんだろ?」
司から送られてきたメッセージ。そこには冷の画像も貼られていた。
理由は俺に確認を行うため。このプレイヤーを知っているかと。
ああ、知ってるさ。こいつは紛れもない俺のライバルだからな。
「だとしてもお前には関係ない話だ。そもそもお前は彼のことを知って――」
「小木冷。中学3年生。姉が現在の永玲大学附属高校の監督で、中学3年間はバスケのためアメリカにある姉妹校ヘと留学。既に来年の永玲バスケ部特待生として確定している。これで満足かよ?」
俺は俺が知っているだけの情報を親父に語った。
だけど親父はどこか不満そうにグラスを傾ける。
「それだけか?」
少量の酒で喉を潤した親父の声が、何故か俺の中に重く圧し掛かってくる。
威圧感とでも言うべき重み。そしてその重みは親父に投げられた海外のスポーツ雑誌。
それを見た瞬間に考えるまでもなく、頭が勝手に理解した。
「小木冷。彼は日本人プレイヤーとして、お前の同年代の中では最も完成された選手だ」
スポーツ雑誌の表紙には力強いダンクで、相手のディフェンスを弾き飛ばす男の姿があった。それも無表情や鉄仮面じゃない。威勢に溢れた猛々しい表情で。これが冷の本当の姿。
「親父に聞きたい。小木冷はオフェンスとディフェンス、どっちが得意なんだ?」
「断然、オフェンスだ。それ故に弱点でもあるがな」
「どういう意味だよ」
「力自体はある。その代わりにまだ器が完成し切っていない」
親父はさらに一口酒を口に含んだ。
その間に俺がパラパラと雑誌を捲っていると、ようやく見つけた冷の記事を。
そこにはこう書かれていた。『負傷により一時帰国』と。
この記事は今から数ヶ月前のもの。でも今のあいつに怪我をしてる様子はなかった。
「小木冷の完成度は高い。だが体はまだその才能を支え切れるほど成長し切っていない。これはお前にも言えることだが、大き過ぎる才能は育成年代のお前たちの体を容易に蝕んでいく」
親父の言葉を聞いて、俺が真っ先に思い浮かべたのは2段ドライブだった。
あれは医者から正式に使用制限を施されている。
原因はスピードの切り替えにまだ体がついて行かないため。
冷のやつもそんな感じだって言うのか?
でもそんな素振り今日は1度も――
「なんでも今はリハビリのため、ディフェンス以外の参加はさせないようにしているらしい。ディフェンスはオフェンス以上に疲れる動きはあるが、ある程度選手が想定した力しか出ないからな。力のコントロールが乱れるのは主に攻める気持ちが強いオフェンス時、よく考えたものだ。ディフェンスで体を鍛えて、さらに怪我防止のためのトレーニング。永玲の新監督は余程できた監督らしいな」
親父が冷について色々な説明をしてくれた。
だけど俺の耳はそれを左から右へ聞き逃している。
無意識に両手に力を込めていた。
手にした雑誌が少しだけクシャッとなる。
だけど俺の意識はもうそんなところにはない。
ただ今、頭にあるのは小さな怒りの炎だけだ。
……つまり万全の状態じゃなかった?
……攻める気にもさせられなかった?
……それで勝って俺は浮かれていた?
「――全然足りない」
俺は雑誌をテーブルの上に放り投げる。
それから静かに部屋を出ようとした。
すると後ろから声が。
「こんな時間からまた自主練か?」
「ただ走りに行くだけだ。それよりも練習試合参加の件、まだ前向きに考えなくてもいい。俺がそいつと――小木冷と戦えると思った時、初めて使ってくれ。高等部の監督さん」
俺は今、どうしようもなく自分に腹が立っていた。
少なからず冷に勝利して浮かれていた自分に。
それで対等なライバルになれたと勘違いしていた自分に。
練習試合まであと3日。
それまでに絶対認めさせてやる。
俺が冷と肩を並べられる選手だってことを。