「それでいつも以上に熱心なわけ」
「別にいつもと変わらないと思うぞ」
今日の朝練はチーム練習じゃなくて自主練。
俺は眠そうな目で緩んだバッシュの靴紐を結び直す。
その様子をすぐ隣から眺めるフユはボールを抱えたまま、呆れたように呟いた。
「知ってる。アンタって昔から一つの勝負に囚われて、周りが見えなくなるってこと」
「そんなの普通だろ。目の前の勝負に全てを賭けられないやつが勝てるわけないからな」
昨日の夜、俺が眠りに就いたのは深夜1時過ぎだった。
20時ぐらいから0時ぐらいまで外で走り、アドレナリンの所為でなかなか眠れず。
気づいたら布団の中で1時間近くが経過していたんだ。
そして起きたのも結局朝の4時過ぎ。
そこからまた軽いジョギングを1時間。
「だから心配なのよね。アンタの場合、それで本当に全部を投げ出しちゃいそうだから」
「1つの試合に燃えるのが、そんなに悪いことなのかよ」
「誰もそんなこと言ってないじゃない。でもアンタの場合、度が過ぎてるって言ってるの。オーバーワークは体に毒だし、その練習試合に出たいなら体を休めることも必要でしょ」
「……別にオーバーワークって程じゃない。人よりも足りないものが多すぎるから。それを埋めるためにはなり振り構っていられないんだよ。特に俺にはバスケで必要な才能……身長が欠けているんだからな」
俺の身長は誇張して120センチ。
実際はそんなにないことを知ってる。
対して小木冷の身長は目算で230センチほど。
今まで対峙したことのある大樹比呂は220センチ。
ウチの巨人――盾島海斗にしても225センチしかない。
それよりも5センチも大きい巨体。それを相手に110センチ以上の差は厳しい。
この前の1on1だって、たった10分の試合だったのに想像以上の疲労を味わった。
身長差を補うため、いつも以上に走ったり高く跳んだのが原因だ。
それでもあいつに得点をしたいと思わせられなかった。
つまり俺はそれほどの相手じゃないということ。
そのことが昨日から頭の片隅で引っ掛かり続けてる。
「だからどれだけ練習しても、俺が本当に埋めたい差は決して埋まることがないんだ」
靴紐を結び直して俺はようやく立ち上がる。
朝練の残り時間は既に10分を切っている。
いつもなら仕方がなく、フユの1on1の相手をしている時間帯だ。
だけど今日は――
「というわけで今日はお前の相手をする気はない」
「本当に不器用な生き方しかできないのね」
「器用に生きられるなら、初めからバスケなんてやってないだろ」
俺はフユに預けていたボールを受け取り、ゴール下から昨日のシュートを再現する。
高弾道のゴール下シュートを。
それはノータッチでネットを潜り、体育館の床へ着弾する。
それを見て、フユが何かを小声で呟いた気がした。
「でもアンタが器用な人間だったら、きっと私もアンタを好きになっていなかったわね」
試合まで練習時間は今日と明日の2日間。絶対にこのシュートの精度を上げてやる。
***
朝練が終わり、午前中の授業。気づいたら授業が全部終わっていた。
俺の机の上には数学の教科書。
はて? 午前の最後は現国のはず。なんで1時間目の数学の教科書が?
まさか練習のし過ぎて疲れて寝てた? 4時間以上も?
「またオーバーワークか?」
俺が口元の涎を拭いていると、すぐ隣に眼鏡を掛けた相棒が立っていた。
司は未だに眠そうな俺の態度を見て、深い溜息を零す。
「お前は試合前になると、無駄にオーバーワークになるからな。まだ練習試合に出れると決まったわけでもないのに。相変わらずお前は無駄なことばかりする。試合前は体を休めるのがセオリーだ」
「いいんだよ。俺は昔からこの方がエンジンの掛かり具合がいいんだ」
「エンジンを掛けたと同時に故障しなければいいがな」
一見すると冷たいもの言い。
だけど3年近くも相棒をしていると、司の言葉の裏側が何となくわかってくる。
「お前にしては珍しく、俺のことを心配してくれてるのか?」
「ふざけるな。俺は一般論を口にしたまで。選手として自分の体調管理は大切だからな」
「本当にお前って素直じゃないよな」
「……俺はお前のそういうところが嫌いだ」
俺がニタニタとした笑みをすると、司が心底嫌そうな顔をしていた。
バスケ部入部当初、俺と司は何度も何度もぶつかり合っていた。
今でこそ俺も司を相棒だと認めているけど、本当に1年生の入部仕立ての頃は最悪の関係性だったんだ。いつも互いを意識して張り合って、いつもバスケに対する考え方で喧嘩した。その度によく先輩や監督にゲンコツをもらったのを覚えてる。
それが相棒に変わったのはいつからだろう?
少なくても今はチーム内で最も信頼してる相手だ。
その信頼は高等部にいる先輩たちよりも上。
たぶん、コート上で誰よりも俺と心が通じ合っているからだ。
「お前ならどうする。決して届きそうにない相手を前にした時、どう戦う?」
「愚問だな。別に試合の中で俺個人が勝つ必要はない。確かにそういう場面も想定されるが、最終的に必要なのはチーム単位の勝利だ。個人の勝利を優先して、チームの勝利を後回しにするなど愚かな行為だ。まあ考え方が簡単に変わるとも思えないがな。少なくても俺はそういうバカとの付き合いが長いからな。そこはある程度割り切っている。それにそのバカがウチのエースなら、そいつには常に勝ってもらわないとチームの指揮に関わる」
長々と自分の考えを述べる辺り。
司の根本は何も昔と変わらない。
でも昔みたいに嫌な気分はしない。
今は司の考え方も理解できるから。
「なら俺はずっと勝ち続けないとダメだな」
「人の話を聞いていたのか。俺は一度たりともお前の話をした覚えはない」
「はいはい。本当、お前の方がかなり面倒くさい性格だよな」
だけどその面倒くさい部分も含めて俺は司を信頼している。
そしてそれはきっと司もそうなんだと思う……思っていたい。
だから俺は時々、司の言葉を素直に受け入れることにしている。
「精々、壊れない程度にオーバーワークを続けるよ」