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第4話  音とこころの間

前よりも、少しだけ呼吸を合わせることができた。


 アンサンブル練習2日目。

 昨日よりはほんの少し音が重なった気がしたけれど、それでもまだ遠かった。

 日向心音ひなたここねは、自分の譜面からそっと目を上げた。


 ピアノの神谷奏多かみやそうたは、相変わらず表情を変えない。

 フルートの石井澄香いしいすみかは、音は明るいのに、笑顔がどこかぎこちない。

 チェロの佐伯陸さえきりくは、黙って低音を支えてくれているけれど、目が合うとすぐに視線を逸らす。


 誰かの心に触れたくて音を出しても、届かないまま宙を漂っている気がした。


 「……もう一回、やってみてもいいですか」


 思わず口から出ていた。自分でも驚くような声だった。


 奏多が少しだけ目を細める。


 「いいけど、次で最後にしよう。もう時間も遅い」


 澄香が「うん」と頷き、陸も静かに構えなおす。

 心音も、弓を持ち直した。もう一度だけ──ちゃんと伝えたい。



   旋律が始まる。

 最初に入るのはピアノ。穏やかに、しかし芯のある音。

 そこに澄香のフルートが重なり、空気を柔らかく彩っていく。


 そして、心音のヴァイオリンが入る。

 今度こそ、迷わず、震えずに。


 (ちゃんと、伝われ……)


 願うように奏でた。

 昨日よりも、ずっと近くで音が響いている気がした。

 ふと視線を落とすと、陸のチェロがそっと呼吸を合わせていた。まるで、背中を支えるように。


 最後の和音を鳴らし終えた瞬間、音楽室の空気がすっと静まった。


 「……悪くなかった」

 奏多が、ぽつりと呟いた。


 その一言が、心音には小さなご褒美のように感じられた。

 澄香も

「ね、少しまとまってきたよね」

と微笑む。でも、その目はどこか遠くを見ていた。


 心音は、弓をそっと下ろして、みんなの顔を見渡した。


 それぞれが不器用で、何かを抱えていて。

 でも、たった一小節でも──今、音がふれあった気がした。




 片付けの最中、陸がぽつりと言った。


 「心音の音、昨日より……あたたかかった」


 「え?」


 思わず彼の顔を見た。

 陸は照れくさそうに視線をそらしながら、弦を丁寧に拭いていた。


 「なんとなく。……昨日の夜、少しだけ、考えてた」


 「考えてた、って?」


 「どうしたら、君の音に寄り添えるかって。……まだ答えは出てないけど」


 その言葉が、心のどこかにやさしく染み込んだ。


 (私の音に……寄り添おうとしてくれた人が、いたんだ)


 心音は涙が出そうになるのを、必死にこらえた。


 そしてその背後で、澄香がそっと心音たちを見ていた。

 誰にも気づかれないように、そのまなざしを、ほんの少しだけ伏せながら。


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