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第10話 金髪碧眼の男


 男を御伽噺おとぎばなしに出てくると表現したのは、金髪碧眼以外にも理由がある。

 目の前に立つ男は実に目鼻立ちがとても整っているのだ。


 はっきりくっきりとした二重にすっと通った鼻筋。エラのはっていないシャープな顎。日本で見たどのモデルよりも美しい顔をしていた。


 むしろ整いすぎていて怖いほど。梓を見下ろす瞳はとても冷たい。

 暖かみのある夕日が当たっていても、身震いしてしまうほど冷たい表情で男は梓を見ていた。



「寝込んだと聞いていたが、体調は良さそうでなにより」



 男は慇懃無礼いんぎんぶれいにそう言うと、床に倒したチェアから右足を下ろす。

 そのまま壁にもたれて腕を組む様は、絵画になりえそうなほど美しい。



「どうかしたか? 僕の顔に何かついているのか?」

「どうかしたかって……、あなた、いま、足を引っかけたよね?! 私、床に倒れたんですけど?!」



 梓はわなわな震える手で目の前の男の足元を指差す。今はただ床に転がっているだけのチェアだが、そのチェアの上には男の右足が乗っていたのだ。

 梓が部屋に入る直前、男がチェアを床に倒し、動かぬように足で押さえて固定したのは明白だった。



「足なんか引っ掛けていないが? この椅子で勝手に君が転んだんだろう?」

「同じようなものでしょ?!」

「どちらにせよ、受け身が上手くて良かったな。怪我も軽微なようだ」

「軽微って、結構痛かったよ!」

「“聖女様”なら、その程度の怪我、すぐにだろう?」

「私は聖女じゃな、」

「ないならなんだ? 侵入者か?」



 すぅっと細められる瞳はとてつもなく冷酷だ。

 男が“”という言葉を口にする様は、まったくもって友好的ではない。


 蛇に睨まれたカエルのように固まってしまう。明らかにこの男が梓に足をかけた犯人だとわかっているのに、こんな態度をされては押し黙るしかなかった。

 男は梓を見下ろし、梓は男を見上げたまま時が過ぎてゆく。



(この人、会ったことがある……? いや、ここまで綺麗な人、一度見たら忘れないはず)



 肌がひりつくほどの静寂。梓が身動みじろぎすれば、衣擦れの音がはっきりと聞こえた。男は梓に向けていた瞳を一度伏せると、眉間に皺を寄せる。


 男の肩が上下した。深呼吸でもしたのかもしれない。男はまた瞳を開けて梓を一瞥いちべつすると、そっぽを向く。その時に男の耳についている飾りが揺れ、頭の片隅に痛みが一瞬蘇った。

 男というよりも、あの耳飾りを梓は覚えている。おぼろげな記憶でも、あの耳飾りが揺れたのをはっきりと思い出した。



「ここに何しに来た」



 このまま上手くいけば連鎖的に記憶を掘り返すことが出来そうだった。しかし、記憶をじっくりと掘り返す前に、男が問いかけてくる。


 梓が黙ったままでいれば、「早く答えろ」と畳み掛けてきた。男の言動は威圧感がすさまじい。素直に答える他ない。



「そ、外の景色が見たくて」

「部屋からでも見えるだろう」

「部屋からじゃ庭しか見えないから」

「その庭じゃ不十分なのか? ここの庭は国随一の庭師が管理している。ここ以上に美しい場所などないはずだが」

「見たいのは庭とか、そういうのじゃなくて」

「ほぅ。城の庭が美しくないと?」

「違う! 遠く、もっと遠くが見たいの! 街並みだとか、海だとか、地平線だとか、遠くまで一望できるところを探してここに来たの!」



 本当に冷たい言い方をする男だ。

 梓を小馬鹿にしている態度もあからさまで、話しているとあおられて語気が強まってしまう。


 窓を背にしてドアそばの男を見上げる形の梓。男の肌にあたるオレンジ色は徐々に狭くなっていて、夜まであとわずかの時間しかないことを示す。



(このまま相手してたら日が暮れちゃう!)



 梓は床についていた手を強く握り、勢いよく立った。手のひらの中に小石か何か、尖ったものが入り込んだが気にせず、梓は踵を返して、



「日が暮れる前に見たかったので! 外の様子を見たらすぐに部屋に戻ります!!」



 と、大きな声を出すと窓へと一目散に向かった。



(こんな態度取ったら、もしかして……処罰とかされるかも)



 男の恰好から、高貴な人物であることは容易に推測出来た。

 ユーリやリシアも上質な衣装を着ていたが、男の服の豪華さはその何倍もいく。刺繍だとか、飾りとしてついている宝石だとか。男の服には装飾品があらゆるところに施されている。


 立ち振る舞いや雰囲気も、そこらの使用人や衛兵とは違う。全てにおいて格上に見える男は、かなりの権力の持ち主なのかもしれなかった。



(てか、あの人が王子?)



 男の耳飾りがまたも頭の中で浮かび上がる。記憶ではあの耳飾りには、金色の髪の毛がかかっていた。

 金髪の知り合いなど、碧眼の知り合いなど、元の世界ではいない。出会ったことすらない。

 となれば、ここに来てからあの男に会っているということだ。詳しく思い出そうとしても脳内にもやがかかるが、“王子”というワードが出れば不思議としっくりと来た。


 あの態度も口調も王子だからこその太々しさなのかもしれない。

 王子の前でこんな勝手をしては、やはり処罰もしくは刑罰を受ける未来が頭をよぎる。



(いや、そんなことを気にしてる場合じゃない!!)



 だとしても。今の梓は窓の向こうを見ることが第一優先だった。不敬か否かを気にして日没を迎えてしまうことの方が嫌だ。


 梓はオレンジ色の光が入ってきている西側の窓に近づくと、窓を外に向けて開いた。ガサツな開け方に大きな音が出る。

 なぜか男はそんな梓を咎めることも、止めることもしなかった。



「これが外の景色」



 早鐘を打つ心臓につられて上がっていた体温を下げるかのように、梓の肌を涼しい風が撫でていった。


 沈みゆく夕陽の奥から宵闇が現れてきている。オレンジとダークブルーのコントラストが綺麗だ。

 その空模様に街並みがよく馴染んでいる。

 風情ある景色、というのはこういうのを指すのだろう。


 どうやら城は小高い山の上に建っていたらしい。眼下に広がる街並みは、なだらかな傾斜を描きながら遠くまで広がる。レンガやタイルを使った家々が並ぶ様は美しい。夕飯時なのか、あらゆる家の煙突から煙があがっていた。その様は実に情緒あふれる光景。



(……っ、)



 梓は目をこすった。頬を叩いた。さらには窓から上半身を出し、目を皿にするがごとく遠くまで見届けようと奮闘した。



(なにも、ない)



 でも頑張れば頑張るほど、現実が大きく跳ね返ってくる。

 地面はアスファルトみたいに黒くないし、電信柱などもない。車も自転車もない。あるとすれば馬が引いた車、馬車だ。


 日本ではあり得ない景色だった。




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