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第15話 担ぎ上げられた聖女



 ロイドが放った言葉の意味がよくわからなかった。

 彼は黙った梓を見て首を傾げる。かと思えばすぐに梓に視線を戻して、緑色の目を細めた。



「戯言、信じてるんですね」



 合点がいった、とでも言いたい素振りだ。



「戯言って……」

「妄言とも言い換えられますよ」



 戯言と妄言、別の言葉を二つ言ったロイドにユーリの姿が浮かぶ。頭の中のユーリは“似た言葉でも違う意味ですからねぇ?”と言っていた。

 でも梓は言語学者とかではないから。その二つの細かい違いはわからない。


 わかるのは、ロイドが梓の反応を見ているということ。ユーリと違って、ロイドは言葉を重視する人間ではないということ。


 彼はニュアンスが近ければ、どの言葉であろうと気にしないタイプらしかった。

 梓を追いつめられるなら、どんなワードでも良いのだ。



「騙されてるって言いたいんですか?」

「傍から見たらね。ちなみに神官連中はいたって本気ですよ。本気で女神だの聖女だの、はたまた魔術だのって信じてる。あなたは頭が軽そうなので、担ぐのにちょうどいんですねー」



 彼の表情にわざとらしい憐憫れんびんが混ざる。

 その憐憫さは、梓にもわかりやすい物で、梓が眉間に皺を良せれば満足そうに笑った。



「それって……まるで神官の人たち以外は女神とかを信じてないって言ってますよね」

「まぁそこは否定しません。聖女だなんて、異世界だなんて、この世界の大半の人間が信じてませんから」

「でも、あなたは私のことを“聖女”って呼んで、」

「名前を知らないから便宜上そう呼んでるだけです。不法滞在者と呼んで欲しいなら今すぐそう呼びますよ」



 ロイドは続けて「どちらが好みです? お好きな方で呼んであげますよ」と聞くが、なんと答えると思っているのだろうか、彼は。


 ことごとく、全ての発言が梓を煽る。

 梓は自分の心臓が頭に必死に血液を送り、早く言い返せ!と急かすのがわかった。



(なんなの、なんなの、なんなのっっ……!!)



 だが、エネルギーを送られれば送られるほど、思考回路は愚鈍になり始める。

 言い返すべき言葉も思いつかないほどに。

 放出したくてもできない怒りに、気持ちが暴走しそうだ。


 怒りで強く握っていた手を頬に持っていく。顔が熱い。手だって熱い。



(早く何か言い返さないと!!)



 梓の感情は完全に冷静さを欠いていた。

 いまこの場では落ち着いて話すのが最適解なのに、ロイドの煽りにあてられて言い返したい気持ちでいっぱいだ。



(てか、部下がほぼ初対面の相手にこんな発言してて怒らないの?!)



 梓はロイドの隣に立つキラを見た。

 キラは口を閉じたまま、綺麗な立ち姿で梓を見ていた。

 完全に落ち着き払っていて、口撃をやめないロイドを咎める様子はなかった。


 そんな彼の顔に影が落ちる。かと思えば、数秒後にはまた月明かりが当たった。青白い光が耳飾りを照らす。


 チカッ──。耳飾りが音を立てて光った。

 すると不思議なことに、白波だっていた梓の気持ちがぐ。

 なぜなのかはわからない。でも確かにグツグツ煮えていた気持ちが静かに収まったのだ。



「あと、キラ様は結婚に承諾してませんから」

「……え?」



 その凪の瞬間に、ロイドの言葉がストンと心に届く。

 梓はロイドに視線を向けた。嘘は言ってなさそうな顔をしている。

 すぐさまキラに視線を戻す。やはりキラは特に何も口にせず、碧い瞳を梓に向けるだけだ。



「どういう、ことですか。それ」

「どうもこうも。キラ様は結婚するつもりはないって、そのままの意味ですよ。だからあなたは神官共に無様に担ぎ上げられてるって言ってるんです。そもそも出自の怪しい人間と結婚する王族がいます?」



 ロイドの「どんなことをあの男と話したのか知りませんが、信じちゃってまぁ……」と言う言葉の後に続くのは、可哀そう、なのだろう。


 冷や水を被った。そんな気分だ。

 頭が一気に冷えていく。

 さきほどまではロイドに何とかして言い返そう!と感情を煮えたぎらせていたのに、今ではそんな気概は木っ端みじんに打ち砕かれてしまっている。

 三角にして怒りを表現していた梓の瞳も、今では戸惑いの色が中心にいた。


 無意識に足を後退させれば、足に木箱が当たる。中には不思議な道具のランプが入っており、そのランプが蝋燭の火のように揺らめき始めた。



(そういえば)



 足が当たったせいで割れてしまったかも。確認しなくては。

 と思って床の上のランプを手に取ろうとすれば、ロイドがキラの前に立った。


 ロイドの肩越しに、尚もキラと視線が絡む。その瞳は左右に動くことすらせず、ロイドの言葉に一切の動揺がないことを表していた。

 目はものほどに言う、という日本のことわざがここでも当てはまるなら、彼はロイドの発言に同意しているのだ。



 (この人も私のことを“聖女様”って呼んでたけど、)



 キラの様子を見て、この部屋に入った時のことを思い出す。


 あの時、キラは梓を“”と呼んだ。ロイドみたいに棘のある言い方で。

 侵入者と勘違いされたからだとか、部屋でなぜ大人しくしてないという皮肉を込められてだとか。

 そういう意味でのあのトーンだと思っていたが……。つまりキラも信じていないのだ。


 梓が聖女であること、異世界から来た、ということを。



(そりゃ、私だって信じきれてないけどさ。でもこんなの酷い、酷すぎる)



 目の前に立つロイドとキラの後ろに、窓の向こう側の景色が幻覚として見える。

 ここは異世界なのだと突きつけてきた光景。もちろん目の前にいる二人だって異世界の証拠の一つだ。彼らのような出で立ちの人間など、元の世界にいやしない。

 なのにその証拠たちに“お前を信じていない”と言われてしまっては、不明瞭な自分の存在が更にあやふやになってしまう。


 必要があったから呼ばれたのではないのか。必要としていないならなぜ呼んだんだ。

 もしかして異世界から来たってことが夢、思い込みなのかもしれない。そう考えてしまうほどだ、自分の存在を否定されるということは。


 足場が、足元が、崩れ落ちていく感覚がした。考えがまとまらない。自分がなんなのかわからなくなっていく。



「……部屋を抜け出したことは罪に問われるんですか?」



 ロイドにそう尋ねる梓の声は震えていた。

 床のランプの揺れがさらに酷くなる。



「良くて幽閉、悪くて絞首刑ですかね」

「ゆうへい、こうしゅけい……」

「ロイド。口を慎め」

「かしこまりました」



 みるみるうちに顔が真っ青になる梓。でも二人とも梓の体調を心配する素振りは見せない。その態度もまた、梓を信用していない証拠だった。


 キラは王子だとロイドは言う。ということは、本当に刑罰を与えられる立場にあるのだ。

 キラは怪訝そうな顔をしており、今まさに梓の処遇を決めかねているのかもしれない。そんな表情に見てとれた。



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