「痛……っ」
突如、頭に痛みが走る。耳鳴りが鼓膜を突き抜ける。
顔を
動かした先はなぜか頭ではなく首元で、指に例の跡が触れる。
(私が死んだときの傷跡……目の前の男が、私を
一際大きな頭痛と耳鳴りが起きた。
ぐわん、ぐわん。頭が鐘になり、棒で叩かれている気分だ。
痛みと音が頭の中で反響しあう。
「待て。どこに行く」
頭痛と耳鳴りにが足元がふらついた。身体が重力に勝てない。
崩れ落ちそうになる身体を支えるために、自然と足が一歩、また一歩と動いた。
その姿がキラ達には歩き出したように見えたようだ。梓自身は意思を持って動いているつもりはないのに、目的地を尋ねてくる。
「……」
キラが話しかけるが、梓は反応を返せなかった。
俯きがちな顔に梓の長い黒い髪がかかって、前がよく見えなくなる。きっと、キラにもロイドにも梓の顔を伺うことは難しくなっているだろう。
梓がキラの横を通り過ぎる直前、ロイドが警戒のために身を硬くした。「キラ様、お下がりください」と耳打ちする。
「おい、話を聞いてるのか?」
ロイドの警戒と梓の醸し出す不穏さで部屋の空気に緊張が走る。
足を止めることのない梓に、再びキラが問いかけた。
もちろん梓は返事をしない。尚もキラが「おい、どうした。“
──その時。部屋の窓が大きな音を立てて揺れる。
耳を塞ぎたくなるほどの轟音だ。キラとロイドは二人とも視線を梓から窓に移した。
「?! なんだ? 竜巻か?」
「いえ、そんな雲の出方はしてませんでしたが」
強風が窓に吹き付ける。ガタガタガタという音が窓枠ごと揺らす。勢いはどんどん増していき、しまいにはガラスが割れそうなほどになっていった。
部屋の中は壁に沿って複数の窓が付いている。それが全て激しく揺れれば、会話も普通の声量では困難なレベルになってしまう。「な、なにが」というロイドの声はかき消された。
「……えります」
なのに。ポツリと呟いた梓の声だけはしっかりと部屋の中に響く。
不思議なことに梓が声を出した時だけ、窓の揺れがおさまったのだ。梓が喋り終えると、またも窓は揺れ始める。
「聞き取れなかった。もう一度大きく話せ」
「キラ様、何か様子がおかしいです。ここは一度避難を」
「避難と言ってもどこに? この部屋には多くの窓があるし、部屋の外も天井に大きな硝子が取り付けられているんだぞ?」
「ですが……」
「君も何か取り乱しているようだが、外は危険だ。風が収まるまでここに、」
「私は落ち着いてます! 私は家に帰るだけです!!」
逆に今度は梓が声を張り上げた瞬間、ひと際大きく窓が音を立てた。
外で吹く風がガラスを突き抜け、室内に入って来たかのように空気も振動した。
そして更に。
「?! 照明が割れた?!」
壁掛けのランプが明滅し始め、いくつかが弾け割れた。もちろん割れたランプの光は消え、その分だけ部屋は暗くなる。残ったランプがチカチカと明滅を繰り返す。
ロイドがキラに「お怪我は?」と聞く。「いや、大丈夫だ」と答えるキラは梓を見やった。黒い髪の毛の間からは少し茶色がかった黒い瞳が見えたが、視線は絡まらない。
梓の心ここにあらず。梓もキラを見つめ返すが、焦点の定まらない瞳だった。
「もしかしてこれは君の力なのか?!」
未だにけたたましい音を出し続ける窓に負けぬよう、キラが一際大きな声を出した。
また一つ、壁についていたランプが割れる。
「キラ様!」
ロイドも声を大きく出して、梓に声をかけていたキラを制止する。
そしてロイドは強い視線を梓に向けた。敵意だけじゃない、拒絶も混じった視線を。
梓はロイドの視線を受け流すと、止めていた足を動かし始めた。
またも新たにランプが音を立てて割れた。どうやら壁についていたランプの最後の一つだったようで、瞬く間に部屋が暗闇に包まれる。
視界で捉えられるのは入口近くだけだ。
そこにはロイドが持ってきた手持ちランプが床に置いてあった。ランプの中に添えられた
梓は床に置いてあった蝋燭付きのランプを持つと、入口の向こう側へと踏み込んだ。
「待てっ……!」
部屋を出ていこうとする梓をキラが止める。
だが梓はキラの声を無視して歩き続けた。
梓が手にしたランプの中は
自身の顔辺りまで持ち上げてしまっては、足元を照らすことなど出来ない。
覚束ない足取りだった梓は案の定、見えていない敷居につま先を引っかからせる。
転ぶ。そう思った瞬間、身体を捻れば本棚に背中をぶつけた。
反転する身体についていったランプが右から左へと残像を描きながら、室内に向けて微かな光を差す。一メートルもない光に、手袋をはめた手が見えた。
その手は梓に伸びるが、躊躇ったように動きを止めると引っ込もうとする。
「――!」
梓は咄嗟にその手を掴んだ。梓よりも一回り大きい、骨ばった手だ。
(誰の手――?)
ランプは手の持ち主を照らさない。
なぜ、梓はその手を掴んだのか。本人にも理由はわからなかった。
握り返されない手から、冷たさが伝わってくる。氷にでも触れているみたいだ。しかもその冷たさは上へ上へと這い寄り、首に到達すると今度は下へ下へと広がっていった。
(あ、これ、は――)
冷たさで鈍っていく頭の中で、ユーリの声がした。
“王子は呪われているんです。その
息が吸えない、胸が痛い、手足に力が上手く入らない。
これは、この手は──キラの手だ。
梓は止まりゆく自分の心臓に既視感を持ちながら、床に叩きつける音と共にその場へと倒れた。