ロイドが黙ったことで、室内に静寂が訪れる。
チラリ、とロイドを盗み見るが、彼は壁を向いたまま。梓を見ることもなければ、口を開くこともなかった。
自然と梓の眉の間にも皺が出来る。今はなんの時間なのだろう。
自分から問いかけるべきか、彼が口を開くのを待つべきか。梓は眉間の皺を指の腹でさすった。
皺が入っているところを見られれば、またも棘のあるお言葉をいただいてしまう。
(この人の今までの言動からして、良いご身分ですねぇ、とか言う。絶対に言う)
暴言に慣れていない。いや、慣れていたとしても、もらいたくないものだ。
(早くこの時間終わんないかなぁ)
張り詰めた空気が流れ続ける。
とりあえずロイドに視線を向けるのをやめた。見ていると、彼の動向に無駄に緊張してしまう。
天井を見て、ドアを見て、暖炉を見て。
最後に窓を見る。壁に取り付けられた二つあるステンドグラス風の腰高窓の内一つが、換気のためか少しだけ開いていた。
(入ってくる風が気持ちいい、落ち着く)
窓を開けている、ということは脱走ルートに窓が使われたと気がついていないのか。それとも、もう脱走しないと思われているのか。
はたまた違う理由があってなのかもしれないが、ロイドに聞く度胸はない。
そよぐ風に目を閉じた。風に乗ってお日様の香りが微かに届く。
梓の肌を柔らかく撫でる風に意識を向ければ、ロイドによって乱されていた気持ちが徐々に落ち着いていった。
(ん?)
このまま寝たふりでもしてしまおうか。だなんて一番取ってはいけない選択肢を思い浮かべながら、瞼に映る残光を追う。
すると、その内の一つが八の字を描く。
(なんか変な動きしてる)
まるで意思を持ったかと錯覚する動きだ。
残光は八の字に飛んだかと思えば、上下に跳ね、
(ま、待って。なんか、近づいて来てる……?!)
蛇行しながら梓の方に近づいてくる。極小だった光が大きくなっていき、果てには瞼すべてを白い光でいっぱいにした。
そして、何かが梓の瞼に触れる。
窓から入ってきた風かと勘違いしてしまうほどの優しい触れ方。
驚いて目を開ければ、──綿毛のようなものが目の前にふよふよと浮いていた。
「えっ?!」
「聖女様、失礼いたします」
「はい、どうぞ」
咄嗟に梓は自身の口を両手で覆う。びっくりして声が出てしまった。
しかしありがたいことに同時にノックの音と女性の声が聞こえ、それに答えるようにロイドが返事をしたことで梓の声はかき消されていた。
ノックをしたのはリシアだった。彼女のすぐ後ろにはユーリと、あと一人。
花束を抱えた女の子が立っていた。
「どうぞ」
リシアに入室を許可したロイドがチェアから立ち上がり、三人に向かって軽く会釈をした。
「ロイド様。ごきげんよう。神官補佐のリシアと申します」
「知ってますよ。ユーリの妹でしょう」
「はい」
ロイドの浅い会釈に対し、リシアは深々とお辞儀をする。
片手で
「どうもぉ」
「……あぁ」
「え、やだぁ。そっけなぁ」
「兄さんって、噂通りロイド様と仲悪いのね……」
対してリシアの後方に立っていたユーリの挨拶は片手をあげるのみ、というフランクなものだった。
だがロイドは彼の挨拶を一瞥する程度といったもので、ユーリの態度から二人は親密でないのが推しはかれた。答え合わせのように、リシアがそんな二人を見て困った顔でぼやいているのが聞こえる。
リシアの声はロイドにも聞こえているだろうに、歩き出した彼はドア付近に立ったままの女の子に近づくだけで否定も肯定もしない。
もちろんユーリは「そんなことないよぉーう。よく無視されるってだけでぇ」と否定していた。
ロイドはユーリの戯言も無視し、女の子に何やら話しかけている。
女の子はロイドが喋るたびに首を縦に振った。
「聖女様。おはようございます」
「あ、お、おはようございます……」
「……もしかして体調が優れませんか?」
「い、いえ、そんなことはなくて」
「?」
ドアの近くで話し込んでいるロイドと女の子の横を通り、リシア達は梓の座るベッドまで歩いてくる。その際、リシアはしっかりとロイドに会釈をし、ユーリは素通りという対極な行動をしていた。
ロイドが何もせず横を通り抜けるユーリに舌打ちめいたことをした気がしたが、確信はない。というのも、梓は目の前でふよふよと浮いている光に気を取られているからだ。
リシアに話しかけれても気がそぞろで、体調が悪いのかと心配されてしまう。
「聖女様ぁ? 聞いてますぅ?」
「! 聞いてます、聞いてます! 私は元気です!」
「?」
今度はユーリに話しかけられた。
ユーリが梓の目の前で不健康そうな色をした大きな手を振る。だが、その手よりも光の方が気になってしまって、やはり梓の返事は要領を得ない。
突如現れた光はユーリの手にタッチしたり、ユーリとリシアの間を反復横跳びしたり、とかなり自由に動き回っている。
(この光って……暗闇で一番最初に声をかけてくれた子だよね?)
暗闇の中では蛍らしく輝いていた光が、朝日の差し込む室内だとタンポポの綿毛みたいだ。
あの時は最終的にはかなりたくさんの光が梓と共にいた。きっと数百はいたはず。
みな似た見た目をしていて、見分けるのは容易ではない光。
タンポポの綿毛と例えたように、空に飛んで行った綿毛の大群を見て「あれはA」「こっちはB」「そしてこれはC」と瞬時に判断するレベルの難しさだ。
でも梓には自分の目の前を飛ぶ光が、一番最初に声をかけてくれた子だとすぐにわかった。
「変なことを聞きますが、これって見えてたりします?」
「これ、とは?」
念のためにリシアとユーリに質問してみる。
どうやら二人とも見えていないらしい。どちらも梓の質問の意味がわからず、首を傾けた。
確かに二人とも光を目で追う仕草をしない。光がユーリ、リシア、それぞれの周りをくるくると回っても、視線は梓を向いたまま。
光が梓の方に飛んできて、僕のこと見えないのかー、と愚痴るのがわかった。
「いえ、なんでもないんです。気にしないでください。えっと、やっぱりちょっと体調が優れないのかも。あはは」
またも梓の冴えない愛想笑いが出た。リシアが不思議そうな顔をする。
この世界に来てから誤魔化す場面がたびたびあって、しかし上手く濁せない自分の経験値の少なさを痛感する梓。
ロイドも梓たちの会話を聞いていたのか、片方の眉をあげて訝しんだ顔をしていた。彼の表情を見るに、ロイドも光が見えていないようだ。
「聖女様。体調が良くないのであれば、また改めてお伺いしますが……」
「だ、大丈夫です。気にしないでください」
「聖女様がそうおっしゃるなら……。では、もしも具合が急に悪くなったらすぐにお申し付けください。医師を呼んでいきますから」
「ありがとうございます」
嘘をついていることに変わりはないので、リシアの澄んだ瞳と気遣いに罪悪感を持ってしまう。
梓は心の中で彼女に謝罪した。ごめんなさい、と。
当の光はというと、梓の心情など汲むことをせず、無邪気に梓の髪の毛で遊んでいた。