「ああ、マジで帰宅部って…あるんだな」
俺、秋山翔太はまだ半信半疑のまま、帰宅部の部室に向かっていた。
いや、「帰宅部の部室」って何だよ?
普通、帰宅部は“部活に所属しない”って意味だろ?
けどここにはちゃんとした部室がある。
校舎の隅、体育館の裏にひっそりと佇むその小部屋は、年季の入った木製のドアに「帰宅部」と墨で書かれた紙が貼ってある。
鍵はかかっていなかった。
俺はドアをそっと押し開けた。
「おお、秋山くん、来た!」
部室の中は薄暗いが、既に数人が集まっていた。
中心にいるのは
彼女は部屋の隅に座布団を敷き、何やら小さなメモ帳を手に持っている。
「早く座って、もうすぐミーティング始まるよ」
俺は重い腰を上げ、窓際の椅子に腰掛けた。
他のメンバーもちらほら見える。
まずは、声の大きいあの体育会系の男。
名前は
彼は元々バスケ部に所属していたが、部活でケガをして帰宅部に“落ち着いた”らしい。
「おう、秋山! 初めてだな、よく来たな!」
その声は威勢が良く、筋肉質な体格も手伝って、まるでスポーツマンそのものだ。
けど、本人曰く「帰宅部はスポーツではない。心の鍛錬だ」とドヤ顔で言う。
次に紹介するのは、眼鏡をかけた細身の女子、桜井みどり。
彼女は文学少女で、いつも何か小説を書いている。
「…よろしく、秋山くん」
小声で挨拶をされたが、その声には確かな知性と、どこか寂しげな響きがあった。
「活動報告? そんなこと何もないけど…」
彼女の瞳は、実は部屋の隅に置かれた古い日記帳に向けられているようだった。
最後に、一番謎めいた存在。
男子高校生だが、どこか透明感があり、静かな笑みを浮かべている。
「こんばんは、秋山くん。僕は
その言葉に俺は軽く笑った。
癒し系って何だよ…
黒川は普段からポケットにぬいぐるみの小さなクマを忍ばせていて、疲れた顔の人を見ると、さりげなく差し出すらしい。
変わってるけど、悪い奴じゃなさそうだ。
「さて、ミーティングを始めるよ」
田中が腕時計をチラリと見て声を張った。
「昨日の下校時、各自報告をお願いします!」
俺はまだ戸惑っている。
「…いや、俺、別に特別なことしてないんだけど…」
「そんなことないよ、秋山くん。小さな出来事でも大事な報告だよ」
三浦の瞳は真剣だった。
最初の報告は田中から。
「昨日、帰りにコンビニで新発売の肉まん買った。めちゃうまかった」
…え、それだけ?
けど部員たちは真剣にうなずく。
「田中君、その肉まんの味はどうだった? 感想も詳しく!」
桜井が問い詰めるように言うと、田中は少し困った顔で、けど熱っぽく語りだした。
「うん、皮がもちもちで…でも具は普通かな…」
俺は思わず吹き出しそうになる。
次は
「私は昨日、図書館で古い小説を借りました。内容は…うーん、やや複雑です」
「それは面白そうだね、どんな話?」
黒川が穏やかに聞く。
「主人公が時空を越えて過去と未来を行き来するのですけど、愛と喪失の物語で」
俺はチラリと彼女の書いている小説の断片を見たことがあるが、確かに文章は凝っている。
次に黒川。
「僕は昨日、帰り道で近所の子猫を見つけて、一緒に家まで送った」
「へぇ、優しいな」
三浦がにっこり。
「それ、証拠写真ある?」
黒川はポケットから小さなスマホを取り出し、かわいい子猫の写真を見せた。
部員たちは思わず「かわいい~!」と声を上げる。
俺は、何も面白いことが起こらない自分の報告がどうしても恥ずかしくなってきた。
「俺は……ただ真っすぐ帰っただけだ」
誰もがうなずく。
だが、
「それでいいんだよ、翔太くん」
「ここはね、日常の何気ないことを語り合う場所。特別なことなんていらない」
俺はその言葉に、少し救われた気がした。
20分の活動報告会は、想像以上に和やかで、どこか温かい空気に包まれていた。
それは、毎日の小さなドラマを共有する時間だったのだ。
「帰宅部」という名の、一風変わった“部活”は、俺にとって新しい居場所の予感がした。
だが、俺の頭の片隅には、まだ一つの疑問が残っている。
「なあ、部長は本当に幽霊なのか?」
帰宅部の部長、影のように存在しない彼。
だがその存在感は、部員たちの間でひそかに語り継がれていた。
「部長はいつも、メールも電話もスルーだよ」
田中は苦笑した。
「でも責任だけは一人前なんだ、あいつは」
俺は目を細めた。
「幽霊部員って…何なんだよ、本当に」
ゆっくりと時間が流れ、帰宅部のミーティングは終わった。
「また明日も同じ時間にここで」
三浦が締めの言葉を告げる。
俺は背中に何か温かいものを感じながら、重い足を引きずるように部室を後にした。
家に帰るまでの道。
――今日も誰かの小さな物語が動いている。…たぶん。