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イタリアのサリエーリ

 ミラーノについたサリエーリは、早速新作オペラの作曲に取り掛かる。生まれ故郷のイタリアから、新劇場の落成記念に依頼されたオペラだ。ジングシュピールにこだわってイタリア・オペラの上演を禁じた皇帝の下にいるより、ずっと気持ちが晴れやかだった。


 彼がオペラを披露する劇場は、新ミラーノ大公宮廷劇場、またの名を『スカラ座』という。サンタ・マリーア・デッラ・スカーラ教会の跡地に建築された事がその由来である。


 素晴らしい音響設備を誇るスカラ座で、最初のオペラを上演するという名誉ある仕事にサリエーリの心は踊り、台本を提供するマッティア・ヴェラーツィと共に、新劇場でいかに観客の度肝を抜いて喜ばせるかについて考え抜いた。


「あの素晴らしい音響設備を最大限に利用しない手はない。とにかく規模の大きいオペラにしよう」


 大量のエキストラを使い、数多くの楽器が演奏し、五〇人からのバレエ団によるダンスと四〇人以上の混声合唱で劇を盛り上げる。変化に富ませ、観客を飽きさせないように工夫した。


「来てくれたのが君で良かった。イタリアでは無名に近いサリエーリが作曲すると聞いた時は失礼ながら不安になったものだが、さすがはヨーゼフ二世に推薦されるだけある」


 サリエーリはこれまでイタリアではほとんど上演の機会を得ていない。ヨーゼフ二世はフィレンツェのレーオポルト(モーツァルトの父ではなく、皇帝の弟の方)にたびたび話を持ち掛けていたが、色よい返事はなく、少々うんざりされていた節があった。だがここミラーノのフェルディナンド大公――かつてモーツァルトを登用しようとした人物である――はヨーゼフ二世に相談し、最初は名の知られたグルックに打診した。だがグルックは別の用事で忙しく、代わりにサリエーリを紹介されたのだ。


 いくらグルックの弟子とはいえ、現地で実績のないサリエーリが簡単に選ばれるわけはない。そこでヨーゼフ二世がまたフェルディナンドに彼を強く推したのだ。直前に《イエス・キリストの受難》で大成功を博し、さらにメタスタージオが述べた賛辞も皇帝の耳に届いていたのだった。


 ヨーゼフ二世はイタリア・オペラの上演を禁じ、ジングシュピールを推し進めていたが、サリエーリを疎んじていたのではない。本当はお気に入りのサリエーリにジングシュピールを書いてもらいたかったのだが、ドイツ語の苦手なサリエーリは満足いくものは作れないからとそれを拒んでいた。ヨーゼフ二世は仕方なく彼が活躍できる場所を外に求めたのだった。


「そう言って頂けるとは、大変光栄です」


 ヴェラーツィはオペラ・セーリアで高名な台本作家だった。彼も多くの台本作家と同じようにメタスタージオ流の台本から出発し、カルツァビージ――グルックと共にオペラ改革に乗り出した台本作家――と同様のオペラ改革を目指した、新時代の有力作家なのだった。


 当然、グルックに学んだサリエーリはヴェラーツィとうまくかみ合う。二人が作り上げたスカラ座最初のオペラ《見出されたエウローパ》は一七七八年八月三日、スカラ座で華々しく初演されて大成功に終わるのであった。




 サリエーリはイタリアで更なる作曲依頼を受ける。ヴェネツィアのサン・モイゼ劇場に求められ、アマチュア作家のカテリーノ・マッツォーラが書いた喜劇やきもち焼きの学校を作曲した。


「この台本は素晴らしい。学校の教師をしながらこれだけのものが書けるなんて」


 サリエーリは作者がアマチュアだろうと関係なく、良い台本に創作意欲を刺激される。全ての曲を繊細、かつ優雅に表現し、多様な構成で観客を楽しませた。一七七八年一二月二七日の初演が大成功すると、瞬く間にイタリア中にこのオペラが広がっていく。この《やきもち焼きの学校》はイタリアで実に八〇回も公演される事になるのだった。


 しばらくイタリアで活動し、名声を高めたサリエーリは二度目の休暇が終わり、ヴィーンへ帰ろうとする頃に急遽ナポリの宮廷から新たな依頼があった。ナポリで《やきもち焼きの学校》を上演し、更にメタスタージオ台本の《セミラーミデ》を作曲しないかというお誘いをオーストリア大使ロンベルクから受けたのだ。


「実に魅力的な話だ。休暇を三ヶ月伸ばして貰おう。事情を説明すれば、許可して頂けるはずだ」


 サリエーリはヴィーンの宮廷劇場監督フランツ・クサーヴァー・ヴォルフガング・オルシーニ=ローゼンベルク伯爵に事情説明と休暇延長を願い出る書簡を送った。当然許可されるものと思った彼は、そのままナポリに向かうのだが……


「陛下、サリエーリは生まれ故郷のイタリアが大層気に入った様子ですね」


 ローゼンベルク伯爵は、なぜか書簡を自室に置いたまま皇帝に謁見し、口頭でサリエーリの請願を伝えたとされる。これは実に礼を欠く行為だ。そして伯爵はサリエーリに皇帝の返事をこう伝えたのだ。


「あなたの請願に対する陛下のお返事を。『そちらの方が居心地がいいなら永遠にそこに留まるがよい』と」


 驚いたサリエーリはロンベルクに事情を話し、すぐヴィーンに帰った。まずローゼンベルク伯爵邸に向かうと、伯爵は不在だという。そのまま宮廷に向かうとヨーゼフ二世が姿を現わす時間まで廊下に立ち、待ち続けた。はたして姿を現わした皇帝は、サリエーリの姿を見つけると笑顔を見せた。


「なんと、サリエーリではないか、よくぞ戻った!」


「はい、陛下に許しを得るため急いで戻り、一日も早く宮廷の仕事に復帰するのが私の務めですから」


「そんなに急ぐ必要はなかったのに。さあ部屋に来い。イタリアから送ってくれたそちの新作オペラの楽曲を一緒に演奏しようではないか」


 ヨーゼフ二世は以前と変わらず好意的に接してくれた。ホッと胸をなでおろすサリエーリだったが、この顛末は少々不自然だ。


 なぜローゼンベルク伯爵は書簡を自室に置いていたのか?


 皇帝は本当にサリエーリに怒っていたのか?


 この日の夜、ヨーゼフ二世はサリエーリをブルク劇場に招待する。そこでは当然ジングシュピールが演奏されていた。


「私達の国民ジングシュピールをどう思うかね?」


 ヨーゼフ二世はサリエーリに、そこで演じていたドイツ国民劇場オペラ団について感想を求めた。


「全てにおいて素晴らしく、完璧でございます」


 内心どうあれ、サリエーリはそう答えるしかなかった。


「ではそちもドイツ語のオペラを作曲するがよい」


「ならば、イタリアで作曲した五作のオペラを翻訳して上演しましょう」


「余は翻訳が欲しいのではない。オリジナルのジングシュピールを求めているのだ」


「ですが、私はドイツ語が苦手で」


「この仕事でドイツ語を学べば良いではないか。そちに相応しいドイツ語の台本を用意するよう、ローゼンベルク伯爵に言っておく」


 ヨーゼフ二世は何が何でもサリエーリにオリジナルのジングシュピールを作曲させたいようだった。そしてローゼンベルク伯爵がそのお膳立てをするのだ。


 サリエーリはジングシュピールを作曲する運命から逃れられないらしい。


 かくしてサリエーリが初めて作曲するジングシュピール、《煙突掃除人》が誕生する事になる。

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