メタスタージオが亡くなった事は多くの人を悲しませたが、非常に高齢という事もあり、それほど暗いムードにはならなかった。むしろよく長生きしてくれたと彼の生前の功績をたたえる声が多かったのである。
だが、問題はメタスタージオがあまりにも偉大すぎるイタリア・オペラの台本作家だった事だ。
彼の生前の功績を語るほどに、人々は「やはりイタリア・オペラが良い」と思うようになっていった。ヨーゼフ二世がヴィーンでイタリア歌劇団への援助をやめ、サリエーリにイタリア・オペラの上演をさせずにいたために、人々がヴィーンでイタリア語の新作オペラを見る機会を得られずにいた事もある。同じものばかりでは飽きるのはドイツ語のオペラでも変わらないのだ。
そのような状況下で、モーツァルトは
自分が《クレータの王イドメネーオ》を上演したミュンヒェンで上演したので、人気の比較にもなると考えたのだろう。この二作はどちらも成功したが、《セミラーミデ》の方がより成功していたので、聞くべきではなかったのだが。
「ジングシュピールなら、サリエーリにも負けないんだ!」
そう自分に言い聞かせ、彼にとって運命の一番となる、七月一六日の初演に臨むのだった。
モーツァルトは《後宮からの誘拐》に自信を持っていた。楽譜を見たヨーゼフ二世に「音符が多すぎやしないか」と言われた時も「いえ、ちょうど必要な分だけです」と否定する。
スペインの貴族ベルモンテは、恋人のコンスタンツェが海賊に捕まり、奴隷として売られた太守セリムの宮殿に侵入しようと、番人のオスミンに宮殿の様子を尋ねるが怪しまれて追い返される。
その後ベルモンテはコンスタンツェと共に捕まったベルモンテの召使いペドリッロに再会し、コンスタンツェの無事を知って建築家を装い宮殿に入る。
太守セリムはコンスタンツェを気に入り、言い寄るがコンスタンツェは他の男に愛を捧げていると言って拒絶する。またオスミンはコンスタンツェの召使いであるブロンデに言い寄るがあしらわれる。彼女もコンスタンツェと共に売られていた。
ベルモンテはコンスタンツェと再会し、共に後宮から逃げようとするが、オスミンに見つかり捕まってしまう。
ベルモンテが自分の身分を明かし、許しを請うと、なんと彼の父親はセリムの宿敵だった。太守はベルモンテの父が原因で祖国を捨てなければならず、さらには愛する人も奪われていたのである。
セリムはベルモンテたちの処罰を決めるために一晩考える。二人は死を覚悟するのだが、翌朝現れたセリムは、彼等を許すと言うのだ。
「お前の父を憎んでいるが、お前達を自由の身にしてあげよう。憎しみを憎しみで返すより、善行で返す方が満足だ」
そしてセリムはベルモンテに言う。
「父よりも人間らしくなってくれ、そうすれば私も報われる」
オスミンは納得がいかないが、許されたベルモンテたちはセリムをたたえて帰るのだった。
以上が、《後宮からの誘拐》のあらすじである。このタイトルは物語の内容から
このジングシュピールは成功を収め、モーツァルトはヴィーンで名声を得る。
「ふふん、やっぱり僕は天才だね。ヴィーンに残って正解だった」
成功したことで自信を深めるモーツァルトだが、ヨーゼフ二世は決心した。
(やはり、余はイタリア語のオペラ・ブッファが聞きたいのだ)
翌年の四旬節をもってドイツ国民劇場を解散させるという決定と共に、イタリア歌劇団の再結成を命じたのだった。
「サリエーリ、新しいイタリア歌劇団の候補者を推薦せよ」
ヨーゼフ二世はヴェネツィアのオーストリア大使ドゥラッツォ伯爵とサリエーリの二人に、候補者の推薦を指示した。
「なんでこのタイミングで? サリエーリがまた何か裏で手を回してドイツ国民劇場を潰したんだ!」
実に間の悪いモーツァルトはサリエーリの陰謀だと思ってしまう。この件に関しては彼がそう思ってしまうのも無理からぬ事である。
「私は弟子のカヴァリエーリを推薦する。詩人のダ・ポンテもだ……そして、ランゲ夫人(アロイージア・ヴェーバーの事)も推薦しようと思う」
落ち込むモーツァルトを気遣いながら、サリエーリが話を持ち掛けた。モーツァルトはアロイージアの歌手としての才能に惚れこんでいて、ランゲと結婚した後も彼女のために曲を作っていたのだ。
「ふんだ、それが罪滅ぼしのつもりですか? 僕はコンスタンツェと結婚するので、何かいい仕事をください」
へそを曲げたモーツァルトをなだめるのは大変だったが、サリエーリも彼の運の無さに同情せずにはいられなかったので、なるべく多くの貴族に彼の支援を依頼してまた次なる仕事に向かうのだった。
この時のサリエーリには、新たな試練が待ち構えていた。最後に残った彼の師グルックがパリで非常に大きな舞台を引き受けていたが、その作曲を健康上の理由からサリエーリに任せようと画策していたのである。