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タラール

 パリで《オラース家》が失敗したサリエーリは、次のオペラ《タラール》の準備にかかっていた。


 その頃、ヴィーンではダ・ポンテ台本のオペラがいくつも上演されていたのだが、あまりにも多いためにヨーゼフ二世が彼を叱責する。


「今後はモーツァルト、ソレール、サリエーリのためだけに書け」


 ビセンテ・マルティン・イ・ソレールは一七八五年にヴィーンにやってきた作曲家である。モーツァルトとも良好な関係を築いていて、ソレールのオペラが《ドン・ジョバンニ》の参考にされている。この後にダ・ポンテ台本のオペラ《ディアーナの樹》で国際的な大成功を収める人物だ。


 叱責こそ受けたが、これは皇帝のお気に入りの詩人はカスティではなくダ・ポンテであるという事を知らしめる結果となり、天才たちのためだけに台本を書いた彼はここから一気に名声を高めていく事になるのだが……プラハで《フィガロの結婚》の人気ぶりを見て《ドン・ジョバンニ》の依頼を受けた彼は、浮かれてモーツァルトに余計な事を吹き込む。


「サリエーリ一派に邪魔されていなければヴィーンでもこれぐらい人気になっていたのに、残念ですね」


 ダ・ポンテもカスティとの対立で陰謀を繰り広げていたのに、被害者面もいいところだ。そしてモーツァルトもサリエーリがそんな事に加担していないと知っていたにもかかわらず、あまりにも繰り返し語られるせいで陰謀の存在を信じかけていた。


「サリエーリはパリに行き、代役を僕じゃなくリギーニに任せた。口では褒め称えるくせに、僕のことを邪魔に思っているのか」


 直接対決で事実上の敗北を喫し、代役も頼まれない彼はサリエーリから相手にされていないと思うようになる。この時点で宮廷音楽家ではなかったモーツァルトがサリエーリの代役を頼まれる事はあり得ないのだが。




 一方ヨーゼフ二世はサリエーリのパリでの失敗を受けて、次の作品を何としても成功させるべくまたメルシ・ダルジャントー伯爵に書簡を送って協力を依頼していた。


 一七八七年四月三〇日、《タラール》の最初の立稽古が行われる。これが好評を得て、また稽古を続けるうちに役者たちもサリエーリの美しい音楽に魅了されていった。更に六月四日の通し稽古で観客とボーマルシェが喧嘩をしてその後の稽古が非公開となった事で、初演への期待が高まっていく。秘密にされると気になるのが人間の常なのである。


 かくして一七八七年六月八日、オペラ座で《タラール》が初演される。サリエーリはイタリア式とフランス式の様式を混ぜて、ボーマルシェの意図するものを見事に表現してみせた。これは大成功に終わり、《ダナオスの娘たち》を超えるヒットとなる。ボーマルシェの台本には王制批判ともとれる少々危険な思想が見え隠れし、王妃マリー・アントワネットは列席せずボーマルシェも姿を隠し、多くの警備兵を並べての初演だったが、その危うさが逆にパリの民衆の心を惹き付けたのだった。


『タラール! タラール! タラール! ここでは誰もがタラールの事しか話さない』


 匿名でこんな批評が出版される。パリはタラール一色になっていた。


 大成功してヴィーンに帰国したサリエーリに、ヨーゼフ二世はすぐ《タラール》をイタリア語に翻訳して上演するように命令した。


「あれはフランス人歌手のために作曲したものだ……そのままイタリア語に翻訳して同じ曲をあてても、うまくいかない。こうなったら同じ題材で新しいイタリア・オペラを作るしかない」


 サリエーリは悩むが、単純な翻訳で済ませるわけにはいかないと、新たに作曲を始める。曲もそうだが、王制批判を含む台本はそのまま翻訳するには危険すぎた。


「これを翻訳するのですか? 危険思想が多すぎて、ただでさえローゼンベルク伯爵から睨まれている私の立場が危うくなりますよ」


 依頼を受けたダ・ポンテが不満を漏らすと、サリエーリは彼が気に入るような言葉に変えるように言った。


「私の耳を満足させるためには、言葉が初めから作られていたかのように音楽にぴったりと合っていなければいけない。だから同じ題材でイタリア歌劇団に合うように新しい台本を作ってくれ。それに私が新しく作曲する」


 これにより、ダ・ポンテは専制君主を批判するような部分を削り、むしろ君主が尊厳を保つような台本を作る。登場人物の名前も変えて、タイトルは《オルムスの王アクスール》となった。


 この後、ダ・ポンテは一〇月一日初演の《ディアーナの樹》を見届けてすぐ一〇月八日にプラハ入りした。モーツァルトのオペラ《ドン・ジョバンニ》が一〇月一四日に初演の予定だったからだ。だが、この初演は延期され二九日となる。これが更なる誤解を招く事になった。




「サリエーリ、《タラール》の翻訳版はフランツ大公とヴュルテンベルク公女エリーザベト・ヴィルヘルミーネ・ルイーゼの結婚祝いで上演してもらう。来年一月六日か八日だ」


「えっ」


 ヨーゼフ二世は既にできているオペラの翻訳だと思っている。サリエーリは完全に新作を作ろうとしている。示された上演日まで三ヶ月しかないのに、台本はまだ出来ていなかった。


「サリエーリがオペラで祝ってくれるのね」


 エリーザベト・ヴィルヘルミーネはサリエーリが指導した公女だ。どこまでも彼を困らせる存在である。


「困った、ダ・ポンテには申し訳ないが、《ドン・ジョバンニ》初演に列席したらすぐ帰ってきてもらおう」


 サリエーリはダ・ポンテに書簡を送る。一〇月一五日には帰ってきてもらいたいと。だが初演は一四日から延期されて二九日になっていた。


「初演が延期したのはサリエーリには関係ない。私は帰らなくては」


 ダ・ポンテはサリエーリに呼ばれたからとモーツァルトに説明して、《ドン・ジョバンニ》の初演には列席せずに帰ってしまったのだった。


「サリエーリが僕の邪魔をした」


 モーツァルトの人気は《フィガロの結婚》初演前後をピークに、落ち始めていた。予約演奏会を開くと、かつては多くの貴族が予約者に名を連ねたが、その数が徐々に減っていく。さらに、この頃のモーツァルトには重大な事件が発生していた。


 父の死である。


 一七八七年五月二八日にレーオポルト・モーツァルトがこの世を去る。彼の尽力によって神童となり、各地の貴族に口利きをしてもらっていたのだ。ヴィーンにおける父親代わりのサリエーリはパリに行って戻らない。ザルツブルクの父はこの世を去った。モーツァルトは人生で最大の成功を収めている最中に、この上もなく寂しい思いをしていたのだった。


 そこに今回のトラブルが襲いかかったのである。

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