サリエーリは悩んでいた。《オルムスの王アクスール》を作曲中だが、同時にパリの『アポロンの子供たち協会』から委嘱されたカンタータ(大規模な声楽曲)《最後の審判》で、キリストの声をどう扱うべきか決めあぐねていたのだ。
サリエーリは作りかけの楽譜をもってグルックを尋ねた。
「その声は他の声よりも高みにあるべきだ。納得できないなら数日待ちなさい、私があの世から教えてあげるから」
グルックは自分の死期を悟っていた。七三歳という高齢であったが、死の直前まで元気にしていたという。サリエーリは一七八七年一一月一五日朝九時にグルック夫人から連絡を受け、彼の家に向かった。その時には微かに右手が動くものの、もう誰の事も分からなくなっていた。サリエーリはグルックを抱き、接吻し、涙した。その夜七時に息を引き取ったという。グルックにアドバイスを貰ってからわずか二週間後だった。
(※サリエーリが一二月五日に出した手紙の記述による。一八二七年にイグナーツ・フォン・モーゼルが出した『アントーニオ・サリエーリの生涯と作品について』では上の会話は四日前とされている)
さて、グルックはヴィーンの『帝室および王室の宮廷作曲家』であった。そのポストが空白になったことで、誰が後釜につくかという問題が発生する。モーツァルトは自分を宮廷作曲家にして欲しいとヴィーン宮廷に申請をした。これが通り、一七八七年一二月七日にモーツァルトは宮廷作曲家に任命された。職務は宮廷舞踏会用のダンス音楽を作曲すれば他には義務がないというものだった。
「年俸たったの八〇〇フローリンか。グルックは年俸二〇〇〇フローリンだったのに……でも、これでやっと無職脱出だ!」
念願の地位と定収入を手に入れたモーツァルトは喜ぶが、この金額に不満をもらす。しかし当時は年五〇〇フローリンもあれば一家が十分生活できた。モーツァルトは既に金銭感覚が狂っているが、かなりの待遇である。さらにこの時期はオスマン帝国との戦争を控えて財政の引き締めを図っていた時期である。二日前の一二月五日にはヨーゼフ二世が再びジングシュピール歌手団の解散を命じているのだ。
サリエーリのオペラ《オルムスの王アクスール》は無事完成するが、ヨーゼフ二世はサリエーリに内緒でこの楽譜の写譜を宮廷楽士に与え、《タラール》の総譜をピアノに置いて一緒に演奏しようと試みた。あくまでも前のオペラのイタリア語版だと思っていたヨーゼフ二世はその違いに驚く。
「余は気が狂いそうである! なぜ二つのオペラがこんなにも違うのだ」
二つのオペラがあまりにも違うのでコンサートマスターをサリエーリの家に向かわせ、理由を説明させる。説明を聞いたヨーゼフ二世は一応納得するが、二日後サリエーリに会うと「なぜ美しいフランス音楽を変えたのか」と尋ねるのだった。彼はパリで大成功したオペラのイタリア語版が見たかったので、まさか新しいオペラを作っているとは思わなかったのである。
一七八八年一月八日、ブルク劇場にて《オルムスの王アクスール》が初演される。大公夫妻の結婚祝いと言うだけあって豪華な舞台装置が用意され、大成功を収めた。《タラール》を求めていたヨーゼフ二世だが、このオペラを大変気に入り、彼が最も愛好するオペラがこの《オルムスの王アクスール》となった。国際的にも長期にわたって上演され、実に七五年間も再演され続ける事になる。
一七八八年二月九日、オーストリアとオスマン帝国の間で戦争が始まった。ヨーゼフ二世は総指揮官として戦場に向かう事になるが、ヴィーンを離れる前に重病のボンノを年金満額で引退させ、後任をサリエーリとする。この決定は二月一二日に宮内長官ゲオルグ・アーダム・シュターレンベルク侯爵に文書で伝えられ、三月一日に公布された。
こうして一七八八年三月一日、
サリエーリの年俸は一二〇〇フローリンで、モーツァルトの一・五倍だが管理的な仕事全てと宮廷楽長ならびに劇場の指揮を執らなければならなかった。職務を考えればモーツァルトよりも薄給である。
宮廷楽長となってもサリエーリの仕事が大きく変わる事はない。既に高齢のボンノはほぼ名前だけの宮廷楽長だったからだ。
三月三〇日にはカンタータ《最後の審判》がパリのテュイルリ宮殿で開かれた精霊演奏会で初演され、非常に好評を博したのだが、この時サリエーリはヴィーンにいた。一七八六年から作曲をしていたカスティ台本の《クブライ、|韃靼《だったん》族の大汗》を完成させたのだが、これに待ったがかかる。
「ロシアの女帝エカチェリーナ二世を風刺する内容が含まれている。今はロシアの支援が必要なのにこんな話を上演するわけにはいかない」
ローゼンベルク伯爵に止められ、サリエーリも了承した。カスティは後に《カティリーナ》という台本をサリエーリのために書いているが、こちらも上演はされなかった。
そして一七八八年五月七日、モーツァルトの《ドン・ジョバンニ》がヴィーンで上演される。カヴァリエーリがドンナ・アンナ役を務め、モーツァルトは彼女のために新曲を追加した。モーツァルトは二二五フローリンを宮廷から受け取ったが、オペラの評判は良くなかった。
そして六月にはモーツァルトは三度、フリーメイスンで知り合った織物商人ミヒャエル・プフベルクに借金を申し込むのであった。