モーツァルトが書いたジングシュピール《魔笛》は非常に不可解なストーリーになっている。
最初は善なる存在であった夜の女王が途中で真の悪人であるとされ、悪漢であると紹介されたザラストロが主人公タミーノの味方となり、数々の試練を課す。その試練を克服しなければパミーナへの恋は成就しないと告げられるが、試練に挫折したパパゲーノはパパゲーナという恋人を手に入れる。
矛盾の多い物語は、モーツァルトが自分とシカネーダーの所属する組織フリーメイスンの事を、庶民に紹介するプロパガンダとするために、シカネーダーの書いた単純なおとぎ話を改変したためである。無理矢理フリーメイスンの参入儀礼を模した試練をタミーノに受けさせる事にしたが、話の辻褄を合わせる間もなく上演が目前に迫った。
「もう作曲しないと間に合わない。摩訶不思議な物語という事にしよう」
モーツァルトは仕方なく矛盾だらけの物語に曲を付けていくのだった。
さて、フリーメイスンと言えば『秘密結社』として紹介され、怪しい集団と思われる事もしばしばあるが、基本的には会員同士の親睦と助け合いが目的の組織である。モットーは「自由・平等・博愛」だ。こう聞くと現代の感覚では比較的真っ当な組織と思うかもしれない。だがこの時代は皇帝や王が支配し、革命の火が至る所で燃え上がっていた。そんな思想を表立って広めれば、支配者たちがいい顔をするはずがなかった。
未だ騒乱の収まらないフランス革命を推進した人々の多くがフリーメイスンの会員でもある。特に、王族でありながら革命派となったオルレアン公爵は、フランスにおけるフリーメイスンのグランド・マスターだ。
もう一つ、皇帝夫妻に目立つ言動がある。レーオポルト二世はダ・ポンテにサリエーリを非難する言葉を伝えたというが、その中でサリエーリの愛弟子であるカヴァリエーリを「ドイツ女」と呼び、ドイツ人であるカヴァリエーリやモーツァルトを厚遇するサリエーリを「全イタリア人の敵」と呼んでいる。
そして皇妃マリーア・ルイーゼが前述の通りモーツァルトの《皇帝ティートの慈悲》を「ドイツ人の汚らしいもの」と酷評した。
そう、皇帝夫妻はドイツ人を嫌い、イタリア人のための、イタリア人が作った、イタリア・オペラを求めていたのだ。
そんな情勢で、モーツァルトはドイツ人である自分が作る、一般大衆に向けたドイツ語のオペラであるジングシュピールで、自由や平等を標榜するフリーメイスンのプロパガンダを行うのである。
「大胆な事をするものだな。きっと後世に残る素晴らしいジングシュピールになるだろうね」
サリエーリはモーツァルトの意図を読み取り、カヴァリエーリと共に観劇する意思を伝えた。
「初演からパパが来るのはちょっと皇帝を刺激しすぎだよ。上手く成功したら呼ぶね」
この危ういジングシュピールの初演に宮廷楽長が列席すれば、サリエーリと皇帝の不仲がさらに増幅しかねない。モーツァルトは親友の身を案じて、あくまで成功した舞台に友人を招待したという建前を貫く事にするのであった。
一七九一年九月三〇日、ヴィーン市場外のアウフ・デア・ヴィーン劇場で《魔笛》が初演される。これは大成功を収め、話題を呼ぶ。そして二週間後にモーツァルトはサリエーリを招待するのだった。
『六時に僕は、馬車でサリエーリとカヴァリエーリ夫人を迎えに行って、桟敷席に案内した』
モーツァルトは妻に宛てた手紙でこの日の事を詳細に説明している。
サリエーリは序曲から最後の合唱まで、全ての曲で「ブラヴォー」と叫び「美しい」と賛辞を述べた。
「これこそオペラだ。最大の祝祭で、最高の王侯君主を前に上演されて恥ずかしくない。きっとまた何度か観に来よう」
サリエーリは大いに褒め、モーツァルトの好意に感謝の言葉を繰り返した。
『サリエーリたちがどんなに愛想よかったか、君には想像もつかないだろう』
同じ手紙の中でこう語るモーツァルトの言葉からは、サリエーリとカヴァリエーリに対するこの上もない好意が見て取れる。かつて父に宛てた手紙でサリエーリの事を酷く非難していた人物が書いたものとは思えないほどに、彼はサリエーリの観劇を心から喜んでいたのだった。
これが現存する最後の、モーツァルトの手紙である。
「薄汚いドイツ人め。いつまでもウロチョロとヴィーンの町を走り回りおって」
《魔笛》の評判が耳に届き、忌々しげにつぶやく皇帝レーオポルト二世であった。城外の一般大衆から褒め称えられ、王制批判も平気で行うモーツァルトはヴィーンの貴族たちから疎まれつつある。
そんなモーツァルトのもとに差出人不明の依頼状が届いていた。求める曲は《レクイエム》である。この依頼は《魔笛》上演より前に来たもので、正体の分からない人物からの依頼にモーツァルトは警戒を強めていた。サリエーリの《魔笛》初演への列席を拒んだのも、この不審な依頼に危険を感じていたからでもあった。