澄信に連れられ、渡り廊下を進んでいく。
懐かしい光景のはずなのに、どこか心が追いつかず、ぼんやりとした気持ちになった。
かつて澄信は、私のために
嫁ぐ前に暮らしていた邸と、寸分違わぬように――清らかで静かで、風雅な佇まい。
だが今は、池のほとりの柳も、庭先の桜も、すべて伐られてしまっていた。
「芙姫は喘息持ちでな。花粉や綿毛に弱いんだ。」
そう言う澄信に、私は目を伏せ、微かに笑った。
「ならば、彼女の身体を優先すべきですね。」
澄信は一瞬、言葉を失い、私を見つめた。
「……詩乃、お前……ずいぶん変わったな。」
私は気にも留めずに答えた。
「悪い方に?」
彼は不意に笑みを浮かべる。
「いや、いい意味でだ。芙姫のことを受け入れてくれるなんて思わなかった。お前も、人を許す余裕が持てるようになったのか。」
昔、あれほどまでに言わせて誓わせたのに。
「この生、生涯ただ一人の妻として、他の者を迎えぬこと。」
澄信は、あの時そう誓ったのだ。
それなのに、わずか四年。
私が死んだと思われたその後、あっさりと誓いは忘れ去られた。
「人を許す余裕」とは、そういう意味か。
私は眉をひそめた。
「澄信、そんなつもりじゃ……」
言いかけた言葉は、誰かの咳に遮られた。
渡り廊下の奥、扉のそばに立つのは安倍芙絵だった。
薄桃の衣をまとい、袖口で口元を押さえ、かすかに咳き込んでいる。
「……藤原のお姉さま、お戻りになったのですね?」
澄信はすぐさま歩み寄り、侍女から羽織を受け取って、彼女にかける。
私は、礼儀を欠いてはならぬと心得て、少し遅れてついていった。
彼女はあやめと彰忠を育ててくれた人だ。無視するわけにはいかない。
彼女の顔立ちは、私と似ていると評判だった。
柔らかな眉と、つぶらで愛らしい瞳、けれども目尻はわずかに垂れ、どこか儚げで弱々しい印象を与える。
私が近づくと、彼女は目を伏せ、しとやかに頭を下げた。
脇には、香木で作られた膳が捧げられており、湯気の立つ茶が、二つ並んでいた。
彼女はそのうちの一碗を取り、私の前へと差し出した。
「お姉さまに、お茶を。」
私は受け取らず、穏やかに微笑む。
「そのようなお気遣いは結構です。あなたは正室なのですから。」
安倍芙絵は私を見つめたその瞬間、手元の茶碗を取り落とした。
茶碗が砕け、熱い茶が彼女の手の甲にこぼれ落ちる。
彼女はそっと手を袖の中へ隠し、睫毛を震わせながら、かすれた声で呟いた。
「……お姉さまは、私が正室の座を奪ったことを、恨んでおられるのでしょうか……?」
その背後で見ていた澄信が、血相を変えて彼女の手を取る。真っ赤に腫れた手の甲を見て、すぐに侍女に命じる。
「冷たい水を。早く!」
そして私を鋭い目で睨んだ。
「お前が、ここまで卑劣な女になっていたとはな。」
まるで刃のような言葉を、次々に浴びせる。
「まあ、外でどう生き延びていたかは知らんが、手練れでも学ばねば、暮らしていけなかったのだろうな。」
痛いところを容赦なく突いてくる。
私は袖を握りしめ、冷ややかに言い返した。
「そのお茶、私がこぼしたわけではない。」
その時、膳の上にあったもう一碗を侍女の夕鈴が持って来た。
私はそれを受け取り、澄信の衣に向かって思い切り投げつけた。
「こうするのが、私のやり方よ。」
彼は咄嗟に安倍芙絵を庇いながら避けたが、裾には茶が跳ねて染み込んでいた。
その瞳は冷たく、声には怒りが滲んでいた。
「……お前、もう話が通じないな。」
言い捨てるようにそう言って、彼は安倍芙絵を抱えるようにして屋敷へと入っていった。
私を門の前に残した。