ぽつりぽつりと暮れゆく空の下で、私はひとり、東屋に座ったまま、しばらく動けずにいた。
彰忠との再会が胸を重くする。あやめに会うのが、なんだか怖くなっていた。
そのとき、夕鈴がそっと耳打ちしてきた。
「御部屋様、殿下が藤原家へ書状を届けられたようです。姬君も、もうすぐお戻りになるかと。」
夕陽が傾くころ、あやめが帰ってきた。
墨の香を纏いながら、
「母上っ!」
私は、彼女をしっかりと抱き締めた。
その細い身体を胸に感じながら、涙が溢れそうになる。
あやめは、顔を私の衣にうずめて、ぽろぽろと泣きながら言った。
「……母上が死んだのは、私のせいだと思ってました……」
胸が締めつけられる。私は懐紙を取り出して、彼女の頬を優しく拭った。
「あやめ、泣かないで。母を谷に落としたのは刺客よ、あなたじゃない。」
あの頃、澄信は第三皇子に与して政争に巻き込まれ、多くの敵を作った。
山寺に参詣した際、私たちは刺客に襲われ、私はあやめを守るため、澄信の羽織を羽織り、刺客の目を引きつけた。
逃げる途中で谷に落ち、重傷を負って、記憶を失い。
流れ着いた先で出雲国の斎宮親王・藤原 景久と出会ったのだった。
そんな話を、あやめに丁寧に語った。
彼女は涙を拭きながら、懐から一枚の鳥の子紙を取り出して見せてくれた。
筆致はまだ幼く、たどたどしいが、描かれていたのは、紛れもなく私だった。
涙で声を詰まらせながら、彼女が言う。
「これは……藤原夫人が教えてくれたんです。母上を描いたんです……」
藤原学士の妻・藤原明窈は、私のかつての親友だ。
澄信が芙絵を娶った同じ年、あやめは藤原夫人のもとに預けられ、絵を学び始めた。
私は絵を見つめ、思わず目頭が熱くなる。
彼女はうつむきながら、しょんぼりと続けた。
「でも……橘夫人は、この絵を見て言いました。父の娘たる者が、そんなものを学ぶ必要はないって……」
「だけど藤原夫人は、母上がかつて平安京で書画に秀でていたって教えてくれたの。私、母上みたいになりたかった……」
私は微笑んで言った。
「今のあなたの歳で、これだけ描ければ十分よ。」
それは慰めではなく、本心だった。あやめの顔がふわっと明るくなり、涙で潤んだ瞳が月のように細く笑った。
私は、言葉を選びながら訊ねた。
「あやめ……私はもう再婚している。だから、橘家を離れて、私と一緒に出雲国へ来てくれる?」
あやめは勢いよく何度もうなずいた。
私は安堵の息を吐き、口元をほころばせた。
「よかった……。じゃあ、荷物は私の人にまとめさせるわ。数日中に出発しましょうね。」