神の顎を越えた先に、それはあった。残骸の奥
——鼓動の残響。
古代の巨骸の奥底、かつて“心臓”と呼ばれた構造体の跡地。
男は、火を灯した女を連れ、途惑いなくその奥へと踏み込んだ。
目的ははっきりしていた。「何を見たのかを確かめる」こと。
火を前に語ったあの言葉が、ただの飢餓による幻か、それとも記憶の断片だったのか。
それとも、渦巻いていた、嫌な思考を止めてくれたこと、それへの感謝か。
そう考えながらも歩くことしばらく
通路が見えた。
通路は、神の胸骨に沿って下るように続いていた。
階段ではない。ただ、解体時に割れたと思われる斜面が、階層構造のように深部へと誘う。
滑る灰と砕けた骨を踏みしめながら、男は慎重に進んだ。
火の微かな明かりをともに進む。
その背に、女がついてきた。
ふらつきながらも、自らの足で。
それは男に連れて行かれるのではなく、「彼と共に思い出そうとしている」意思の表れだった。
「歩きにくいか、乗れ、俺がおぶる。」彼はそう言って屈んだ。
「お前の足取りを気にしなくていい。それだけだ」
途中、崩落した腱索や鎖骨の一部が進路を塞いでいた。
男は斧を抜き、迷いなく切り裂いた。乾いた骨が砕け、空間が広がるたび、どこかで小さく“響く”音がする。
それが風なのか、残響なのか、あるいは別の“何か”なのかは判断がつかなかった。
「ここが……“心臓”か」
到達した空間は、まるで球体の内側に立っているかのような構造だった。
天井はなく、代わりに巨大な肋骨が天蓋のように広がっている。
中央には、焦げ付いた円形の“座”がある。神の臓器があったであろう位置。
すでに何も残っていない。——はずだった。
男は女を降ろし、そっと地に座らせる。
女の目が、すでに中央を見つめていることに気づいた。
「そこに、見えるのか」
女は頷いた。
焔の残滓を手に、ゆっくりとその“座”に近づく。
すると、小さく火花が走った。
消えかけのはずの火はここで再び強くなり、反応するように周囲の灰が浮かびだす。
それは気流によるものでなく、彼から発せられたものだった。
——そして、視界が揺れ始める。
「あの日と同じ。」そんな言葉がふと浮かぶ。
火に触れた瞬間、浮かび上がる映像。
灰を喰らう人々。
解体された神々の死骸を掘り返し、何かを漁る群れ。
「解体人」と呼ばれた彼らは、かつてここで神の内部に潜り、灰を回収していた。
彼自身も、その中にいた。
だが——その中に、女の姿があった。
記憶と記録の重なりは、不完全なまま断ち切れた。
男は目を覚ますように瞬きをした。火は消えていなかった。
だが、その記憶の続きは見せてくれない。
「な、んだ?」
自問のような声に、女が応える。
「あなたはかつて、ここで“灰の心臓”を運んだ。
私も……それを見ていた」
言葉は曖昧だ。確証もない。
だが、妙な納得感が男の胸に広がっていく。
彼は何かをこの場所に置き去りにした。そしてその代わりに、何かを喰った。
——“灰”という形を借りて。
そのとき、心臓部の奥、床下の裂け目から細く震える音がした。
鼓動ではない。呼吸に似ていた。
女が火を翳すと、その裂け目の奥に“構造”が見えた。
規則的な骨格のようなもの。古代の管、線維、熱交換機構。
それは、神の“心臓”の成れの果てだった。
——だが、まだ“動いている”。
!!!!!
「記録....?」
「まだ……終わってない」
男が呟く。
彼は火に指先をかざし、もう一度、“見る”。
焼ける痛みとともに、走馬灯のような断片が押し寄せた。
そこにいたのは、少年の姿をした自分だった。
斧を背負い、解体人の列に紛れて、腸内を掘っている。
灰を喰らう者たちの中、少年はただ、一人の女を心臓まで運んでいた。
——それが、この女だったのか。
それとも、別の記憶か。判然とはしない。
「もう戻るの?」
女の声が静かに響く。
男は頷いた後、ぽつりと呟いた。
「少し、荷物をまとめたい」
そうして男は遠くを見渡しながら大股で歩いた。
俺は、
解体人をはじめてからの記憶が抜けている。
荷物を見れば何かを思い出すはずだ。
直感が呼びかける。
その背後で女は男の言葉にわずかに眉を動かした。
それは伝達でも報告でもない。ただ、また“出る”ための準備だからだ
帰還ではなく、次の旅の前段に過ぎなかった。
心臓の奥の方を振り返ると、火の燃えカスから出る煙が、焔の輪郭のような形を描いて淡く揺れている。
こんな灰に埋もれた世界で、火はほんのひと時だけ存在を許される。
それでも、その短い時間が何かを変える。
歪んだ神に歪んだ火。
二つの歪みは違和感を覚えさせる。
彼はなんとなくそう感じて、考えていた。
生物に金属は生えない
死骸の心臓は動かない
またそうやって考えながらも、解体人は歩き続けている。
背後の女も、それにゆっくりと続いた。
——そして誰も気づかぬまま、裂け目の奥に沈む“何か”が、再び小さく息をした。
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「焔は記憶を起こす。
けれど、全貌を見せるとは限らない。
見えたのは、ほんの“入口”に過ぎない。」
解体録 ― 旧き構造体の終焉 4章23節
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