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第15話:見えない情報の糸と、ユウトの気遣い

スターライト企画のオフィスは、大型イベント「絆の連携作戦」の成功に沸き立っていた。

祝祭の余韻と、新たなプロジェクトへの期待が社内に満ちている。


しかしその華やかな光の裏で、私の【直感センサー】は、かすかな不協和音を捉えていた。

それはタナカ役員の不正とは異なる、もっと曖昧で、複雑な、人の心のざわめきだった。

まるで水面に広がるさざ波のように、静かに、だが確実に広がっていく感情の波紋を感じ取っていた。




翌朝、企画会議が始まった。

社長が新たな「絆プロジェクト」の予算案を提示した瞬間、それまで和やかだった空気が一瞬で凍りついた。


「社長、この予算配分には異議があります」


そう発言したのは営業部長の田中さん。

元役員とは無関係の、生真面目で実直な人物として社内で信頼されている。


「“絆”という抽象的なテーマに、これほどの予算を割くのはリスクが大きすぎます。

むしろ、既存の事業に再投資すべきかと。これまでの地道な努力で積み上げてきた実績を軽視することになりかねません」


その言葉に、数名の社員がうなずいた。


彼らの顔には、単なる反対意見以上のものが読み取れた。

そこには、長年にわたる現場での努力に対する誇りと、これまでとは異なる新しい流れへの戸惑いが滲んでいた。

誰もが口には出さないが、イベントの成功に沸く現状と、自分たちの日常業務との間に生じるであろう乖離への懸念が透けて見えるようだった。


(ピピッ……)


私の直感センサーが反応する。

その声の奥には、彼らがこれまで築き上げてきた実績が軽んじられることへの悔しさ、これからの不確実な未来への不安、そして自分たちの部署や会社全体に対する強い責任感さえ感じられた。

会議室に重い沈黙が落ち、社長もすぐには結論を出さず、そのまま会議は終了した。


その沈黙は、これから起こるであろう社内の波乱を予感させるかのようだった。



席に戻ると、ユウトがひょこっと顔を出してきた。


「いやー、なんかピリピリしてたね。田中部長、最近ずっとあんな感じだよね。

イベントが成功して社内全体が浮かれているからこそ、彼らのような慎重派は余計に不安を感じるのかも」


そう言って、おにぎりを頬張る。


「うん。単なる予算の話じゃない気がして……もっと根深い問題があるような気がする」


私が呟くと、ユウトはニヤリと笑った。


「だよね。

最近、Slackの裏チャンネルとか、ランチでの会話でもさ、結構みんな言ってるよ。

“イベントで目立ったもん勝ちかよ”とか、“地味な部署の努力は評価されないのか”とかね。

みんな本音を言える場所を探してるみたい」


私は驚いて、彼を見つめた。


「……ユウト、よくそんな情報掴んでるね」


「ま、聞く耳を持つのが俺の特技?

SNSとか匿名掲示板とかも結構リアルなこと言ってるし。

特にこういう時って、普段口にしない本音がネットに溢れるからさ」


ユウトはそう言ってスマホを操作し、何かの画面を見せてくる。


そこには社内の匿名掲示板らしきものや、それに関連するSNSの投稿がずらりと並んでいた。

情報収集力は、私の想像をはるかに超えて広範囲だった。

単に表面的な情報だけでなく、その情報が持つ背景や、人々の感情の機微まで読み取ろうとしているように見えた。




昼休み。

社内食堂で、ミサキさんが一人きりでパスタを弄んでいる姿が目に入った。

彼女の周りだけ、まるで透明な壁があるかのように他の社員は距離を置いている。

皆、ちらちらと視線を送るだけで、誰も近づこうとしない。

彼女の孤立は、以前から感じていたことだが、今日の食堂では特に顕著だった。


私のセンサーが、ミサキの深い孤独感を捉えた。

背中からは、まるで「誰も私を理解してくれない」というミサキの心の叫びが聞こえてくるようだった。


(どうしよう……

私から声をかけるべきか、でもなんて言えばいいんだろう……)


迷っていると、ユウトがさりげなくミサキの前に座った。

その躊躇いのない行動に、私ははっと息をのんだ。


「ミサキさん、お疲れ様っす! あ、それパスタっすか? 俺、カレーにしちゃいました~」


驚いたように顔を上げたミサキに、ユウトはニコッと笑って続けた。


「そういえば、ミサキさんが出してくれた前回の会議資料、めちゃくちゃ見やすかったですよ!

あの複雑なデータを、どうやってあんなに分かりやすいグラフにしたんですか?

僕、ああいうの苦手で……今度コツ教えてもらえません?

僕もああいう資料作れるようになりたくて」


ユウトの言葉は、ミサキの仕事ぶりを具体的に称賛し、かつ彼女の得意分野を頼る形になっていた。

ミサキは一瞬戸惑ったようだが、その真っ直ぐな言葉に触れ、すぐに小さく微笑んで「……はい」と頷いた。

彼女の表情に、微かな安堵と、久しぶりの笑顔が浮かんだように見えた。


その様子を見て、私の胸が温かくなった。

ユウトは、ただの明るいムードメーカーじゃない。

ちゃんと周りの人々のことを、その心の動きまで深く見て、感じ取っている。


必要としている人に、そっと手を差し伸べる優しさを持つ人なのだ。

彼なりのやり方で、社内の見えない「絆」を紡ごうとしている。


その日の夕方、私はリョウ先輩に、ユウトから得た情報と、社内の“感情の波”について話した。


「田中部長たちの不満って、予算のことだけじゃないと思うんです。

ユウトが言っていた裏チャンネルの会話とか、ミサキさんの孤立とか……

たぶん、“ちゃんと自分たちの努力を認めてほしい”、“自分たちもこの会社の一員として大切に思ってほしい”って気持ちがあるんじゃないかなって」


リョウ先輩は黙って聞いていたが、やがて静かに頷いた。

彼の表情には、既にその可能性に気づいていたような、深い思索の影が浮かんでいた。


「……ハルカの直感は、本質を突くな。

たしかに、表向きの言葉以上に、もっと深い願いがあるように感じていた。

彼ら自身も、会社の中での“絆”を、もっと言えば自分たちの存在意義を求めているのかもしれない」


リョウ先輩のPCには、社内アンケートのデータや、過去プロジェクトの実績グラフが映し出されていた。

それは、私の漠然とした直感を、客観的な数字やデータで裏付けようとする彼の分析力の証だった。

表面的な事象だけでなく、その裏に隠された人々の心理や構造的な問題を見つけ出そうとしていた。


私の直感を、リョウ先輩は数字で裏付けようとしてくれていた。


ユウトの繊細な気遣い。

リョウ先輩の深く鋭い分析力。

そして、私の誰もが感知できない【直感センサー】。

バラバラだったはずの感覚が、少しずつひとつに繋がっていく。

まるで複雑なパズルのピースが、正しい位置に収まっていくかのように、社内の見えない感情の糸が、少しずつ見え始めてきた。



まだモヤモヤは晴れない。

社内の空気は依然として重く、課題は山積している。


けれど——私はひとりじゃない。


ユウトやリョウ先輩やミサキという心強い仲間がいる。


この「絆の連携作戦」は、オフィスの外の世界に向けてだけじゃない。


ここから始まっている。私たちの中から。


(つづく)

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