スターライト企画に広がり始めた「絆」の小さな波紋は、着実にその影響範囲を広げていた。
それはまるで、静かな水面に投げ込まれた小石が、やがて大きな円となって岸辺へと到達するように、じわりじわりと社内の空気を変え始めていたのだ。
特に、総務部のモリタさんのようなベテラン社員が、若手との交流を通じて誇らしげな表情を見せるようになったのは、私たち「絆」チームにとって大きな手応えだった。
彼らの顔に浮かぶ生き生きとした輝きを見るたび、私たちはこのプロジェクトの確かな手応えを感じていた。
互いの専門知識を尊重し、助け合うことで生まれる新しい価値。
それが、スターライト企画の未来を形作るのだと、確信にも似た予感が胸に満ちていた。
本当の勝負はこれからだ。
私たちは、この動きを社内の上層部に、特に社長にどう伝えるかが次の課題だと考えていた。
草の根活動で生まれた「絆」を、会社全体の基盤へと昇華させるためには、経営層の理解と支持が不可欠だった。
私たちの挑戦は、まだ序章に過ぎない。
そんな矢先、思いがけない連絡がリョウ先輩の元に届いた。
「社長が、私たちのプロジェクトについて直接話を聞きたいと」
その一報は、私たちの心に期待と緊張の波を同時に巻き起こした。
ついに、この時が来たのだ。
社長室での報告会は、私たちチームにとって最大の山場だった。
重厚な扉を開け、一歩足を踏み入れた瞬間、厳かな空気が全身を包み込む。
普段はなかなか足を踏み入れることのない、会社の最高意思決定の場。
その神聖な雰囲気に、誰もが自然と背筋を伸ばした。
部屋に入ると、社長は静かに私たちを迎え入れた。
その目は鋭く、温かさも感じさせる、独特の眼差しだった。
私たちの奥底まで見透かすような、それでいて深い愛情を湛えているような、不思議な目だった。
その視線に捉えられると、嘘偽りなく、ありのままを伝えなければならないという気持ちにさせられた。
私の直感センサーは、社長の心に、「会社の未来への強い責任感」と、「現状を変えたいという切なる願い」が混在しているのを感じ取った。
彼はこの会社の未来を誰よりも深く憂い、同時に誰よりも強く変革を望んでいる。
その複雑な感情が、彼の眼差しに凝縮されているかのようだった。
リョウ先輩が、準備万端のプレゼンテーションを開始した。
ユウトが集めたデータと、ミサキがまとめた社員の心の変化を、社長の視点から最も効果的な形で提示していった。
彼の言葉は淀みなく、一つ一つのスライドが、私たちの活動の軌跡と成果を雄弁に物語る。
「社長。
我々『絆の連携作戦』は、スターライト企画の組織風土を根本から変革し、新たな価値創造を可能にするプロジェクトとして推進しております」
リョウ先輩は、まず合同提案プロジェクトによって達成された具体的な業務効率の改善(残業時間5%減、問い合わせ時間10%短縮)を数字で示した。
具体的な数字は、何よりも説得力を持つ。
画面に映し出された棒グラフや円グラフが、私たちの努力が単なる精神論ではないことを証明していた。
社長の表情は変わらなかったが、彼の視線がスクリーン上のグラフに釘付けになっているのがわかった。
その真剣な眼差しは、このプレゼンテーションの全てを吸収しようとしている証拠だった。
次に、ミサキが緊張した面持ちで、メンター制度の成果について語った。
社員のエンゲージメント向上だけでなく、アサミのような若手が自信を取り戻し、業務で成果を出した具体的なエピソードを紹介した。
ミサキの声は、最初は微かに震えていたものの、話が進むにつれて次第に安定し、確信に満ちたものへと変わっていった。
アサミの話をする彼女の横顔には、メンターとして、
そして仲間としての温かい感情が滲み出ていた。
自らがハルカと共に作成した、メンティーたちの「心の変化」を示すグラフを提示した。
「これらの変化は、社員が会社に安心して居場所を見つけ、前向きに業務に取り組むことで、結果的に全体の生産性向上に繋がることを示しております」
ミサキの言葉は、以前の自信なさげな彼女からは想像もできないほど、力強く響いた。
あの頃のミサキは、自分の意見を主張することすら躊躇していたのに。
成長ぶりに、私は密かに感動していた。
私の直感センサーは、社長の心が、「数字」だけでなく、その裏にある「人」の心の動きに、深く共感しているのを感じ取っていた。
社長もまた、私たちと同じように、この会社の「人」を何よりも大切にしているのだと。
社長は、一つ一つ頷きながら私たちの報告に耳を傾けていた。
その真摯な態度は、私たちの緊張を少しずつ和らげてくれた。
プレゼンテーションが終わり、会議室に静寂が訪れると、ゆっくりと口を開いた。
「…よくやってくれた」
その声は、重く、しかし感謝と期待に満ちていた。
まるで、何年も待ち望んでいた言葉を聞いたかのような、深い安堵がその声には込められていた。
「君たちの活動は、私が長年、この会社に必要だと感じていた、目に見えない『何か』を形にしつつある。
特に、社員一人ひとりの声に耳を傾け、彼らの内側から変化を促している点は、高く評価したい」
社長は、私たちの資料をもう一度見つめ直し、深く息を吐いた。
「まだ道半ばだ。
社内の全員が、この『絆』の真価を理解しているわけではないだろう。
特に、変化を恐れる者、既存の秩序に固執する者からの抵抗もあるはずだ」
社長の言葉は、私たちが先日直面したばかりの「抵抗勢力」の問題を正確に言い当てていた。
私の直感センサーは、社長が私たち以上に、社内のそうした深い亀裂を把握していることを悟った。社長は、この会社の光と影、その全てをその広い視野で捉えているのだ。
「そこで、君たちに新たな指令を出したい」社長の眼差しが、私たち一人一人を捉えた。
その視線は、私たちに今後の重大な役割を課すことを告げていた。
「君たちの活動を、全社的なプロジェクトとして、公式に推進してほしい。
そして、これまでの活動を、全社員に向けて大々的に発表する場を設ける。
その準備を、私直属の特命チームとして進めてもらいたい」
予想もしなかった社長からの言葉に、私たちは息を呑んだ。
それは、これまでの草の根的な活動から、一気に会社の最重要ミッションの一つへと格上げされることを意味していた。
大きな期待と同時に、その責任の重さに、私たちの心は引き締まった。
まるで、重い扉の向こうに広がる、未知の世界へと足を踏み入れるような感覚。
その不安よりも、会社を変革できるかもしれないという興奮の方が遥かに大きかった。
「ただし、忘れてはならない。
これはあくまで『始まり』に過ぎない。
真の『絆』は、会社の根幹に深く根付かせることでしか、未来を切り拓く力にはならないのだから」
社長の言葉は、私たちに新たな大きな目標を与え、同時にその道のりの険しさを示唆していた。
「絆」プロジェクトは、新たなフェーズへと突入した。
私たちは、社長の期待を背負い、全社を巻き込むという、これまでで最も困難で、
そして最もやりがいのある挑戦に立ち向かうことになった。
それは、決して容易な道ではないだろう。
私たちの胸には、社長の信頼と、確かな手応えを感じた「絆」の芽生えがある。
この波を、社内全体へと広げていく。
その強い決意を胸に、私たちは新たな一歩を踏み出した。
(つづく)