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第30話:静かなる不協和音

年末の全体会議での発表は、表面上は成功裡に終わった。


ホールに響き渡る拍手の音は、私たちの努力が実を結びつつあることを示しているようだった。

多くの社員が、私たちのメッセージに共感し、未来への希望を抱き始めたのを感じた。


私の直感センサーは、その拍手の裏に潜む、静かなる不協和音を捉えていた。

特に、人事部のタナカ部長の反応が気にかかっていた。

会議中こそ冷ややかな視線を向け、感情を露わにしたものの、プレゼンテーション終了後は不自然なほど静かで、その沈黙がかえって不気味さを漂わせていた。


発表後、私たちは「絆」チームのオフィスに戻り、すぐに今後の戦略を話し合っていた。

ユウトは早速、社内SNSや匿名掲示板の動向を追っていた。

彼の指がキーボードの上を忙しく動き、画面には膨大なデータが流れていく。


「リョウ先輩、ハルカ先輩、ミサキさん。全体的にポジティブな声が増えてます!特に『具体的な数字が出て説得力があった』とか、『ミサキさんの話で感動した、自分も頑張ろうと思えた』っていうコメントが多いっすね!ほら、これ見てください。以前は懐疑的だった部署の人たちからも、前向きな意見が出始めてます!」


ユウトは明るい声で報告し、希望に満ちたグラフを指し示した。

その数字は、確かに私たちに勇気を与えてくれるものだった。

表情はすぐに曇った。

いつもの快活な笑顔が消え、眉間に深い皺が寄る。


「ただ……一部で、妙な動きもあります。

匿名掲示板に、プロジェクトの意義を矮小化したり、『ただのパフォーマンスだ』『結局、上層部の自己満足』とリーダーシップを疑問視したりするような、組織的な書き込みが増えてきてるんです。

しかも、文章の節回しや、特定の専門用語の使い方が、微妙にタナカ部長たちのグループが会議で使ってた言葉と似てるんですよね……まるで、意図的にネガティブな印象を植え付けようとしているかのように」


私の直感センサーは、ユウトの言葉に呼応するように、社内のあちこちでネガティブな感情の波が、まるでウイルスのように、意図的に広げられているのを感じ取った。


それは、会議室で感じたタナカ部長の「諦め」ではなく、もっと周到に計画された「妨害」、あるいは「情報操作」に近いものだった。

彼らは、直接的な反論ではなく、水面下で静かに、しかし確実に社内の士気を削ぐ工作を仕掛けてきたのだ。


「やはり、公式発表で矛先が向くことを警戒していたか……」


リョウ先輩が静かに呟いた。

表情は険しく、その目は遠くを見つめている。

既にタナカ部長の次の手を読んでいたようだった。


「タナカ部長のことだ。

表立って反論すれば、社長直属のプロジェクトに逆らう形になる。

だから、陰で、私たちの努力の芽を摘み取ろうと工作を始めたのだろう。

手慣れたやり方だ」


ミサキも心配そうな顔でユウトの報告書を覗き込んだ。

彼女の指が、否定的な書き込みの行をなぞる。


「私たちの成果を、歪んだ形で伝えようとしているのね……。

せっかく広がり始めた『絆』の芽を、社員たちの努力を、摘み取ろうとしているんだわ。

彼らが抱いた希望を、もう一度絶望に変えようとしている。それは許せない」


ミサキの心には、メンターとして社員一人ひとりの苦悩に寄り添ってきたからこその、深い怒りと、社員たちの努力を絶対に無駄にさせたくないという強い責任感が宿っていた。


そんな中、ある日、社内の休憩室で、最近元気がないと私が感じていた若手社員の一人、営業部のサトウを見かけた。

俯いたままずっとスマートフォンをいじっていた。

その背中は丸まり、どこか自信を失っているようだった。


私の直感センサーは、彼の中から深い無力感と、どこか自暴自棄に近い感情が渦巻いているのを捉えた。それは、彼が抱いていたはずの希望の炎が、じわじわと消えかかっているような感覚だった。


「サトウ君、どうしたの? 何かあった?」


思わず声をかけると、ハッと顔を上げた。

その目には、隈ができていて、明らかに疲弊していた。

顔色は青ざめ、目の焦点が合っていないように見えた。


「あ、ハルカ先輩……いえ、なんでもないです。ちょっと、メールを見てただけで」


そう言って、慌ててスマホの画面を伏せた。


私の直感センサーは、彼が転職情報サイトを、しかもかなり具体的な求人情報を見ていたことを正確に読み取っていた。


そして、彼の心の奥からは、先日食堂で耳にした若手社員たちと同じ、「自分の居場所がない」「このままではダメになる」「ここで頑張っても無駄だ」という切実な叫びが聞こえてきた。

それは、彼の才能が組織の中で埋もれていく痛みと、未来への絶望を叫ぶ声だった。


「何か、困っていることがあったら、いつでも相談してね。

ミサキ先輩のメンター制度も利用できるし、私たち『絆』チームは、みんなが活き活きと働けるようにって、本気で考えているから」


そう言うと、サトウ君は諦めたように、自嘲的じちょうてきに笑った。

その笑顔は、胸が締め付けられるほど痛々しかった。


「いえ……もう、そういう問題じゃない気がします。

俺、頑張りたいんですけど、その機会すらなくて……。

どんなにスキルを磨いても、提案しても、『前例がない』とか『今はその時期じゃない』って言われるばかりで。

結局、俺みたいな奴は、どこに行っても同じなんです。

自分に、この会社で何かを変える力があるとは思えないんです」


彼の言葉は、私たちの心を重くした。


全体の数字は改善傾向を示していても、個々の社員が抱える深い、そして本質的な問題までは、まだ解決できていない。

特に、やる気はあるのに機会を与えられず、その才能が消耗していく若手社員の存在は、「絆」プロジェクトが目指す「全員が輝く組織」の理想とはかけ離れていた。

彼らの無力感は、静かに確実に組織の活力を蝕んでいく。


ユウトは、サトウ君の言葉を聞きながら、奥歯を噛みしめていた。

彼自身も、これまで多くの社員の「本音」をデータ越しに見てきた。

諦めや無力感が、どれほど人の心を蝕み、才能を埋もれさせていくかを知っていた。

表面的な数字の改善だけでは、本当に組織は変わらないと痛感していた。


「このままでは、せっかくの優秀な人材が、会社から離れていってしまう……!数字だけ良くても、これじゃ意味がない」


ユウトが悔しそうに拳を握りしめた。

その瞳には、仲間への強い思いが宿っている。


リョウ先輩は、静かに頷いた。

彼の目は、目の前の課題と、その奥にある根深い問題の両方を見据えている。


「我々は、目に見えない妨害工作という外部からの攻撃と、目に見えにくい社員の心の疲弊、すなわち内部からの浸食という、その両方に対応しなければならない。

全体会議での発表はあくまで始まりだ。ここからが、本当の正念場だぞ。

二正面作戦を強いられることになるが、ここで諦めるわけにはいかない」


スターライト企画の「絆」は、新たな敵に直面していた。


それは、陰からの妨害という直接的な攻撃だけでなく、組織の硬直性が生み出す、静かなる「才能の流出」という、より深刻な危機だった。


この二つの不協和音を乗り越えなければ、真の「絆」を築くことはできない。


(つづく)

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