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第31話:見えない手と、見えないSOS

全体会議での発表後、「絆」チームは静かなる危機に直面していた。

社内SNSの陰での巧妙な妨害工作と、やる気を失いかける若手社員たちの存在。

特に、サトウの目に見たあの深い絶望は、私の心に重くのしかかっていた。

表面上の成功とは裏腹に、社内の見えない亀裂は、確実に広がり始めていたのだ。


ある日の午後、ミサキが難しい顔で私のデスクにやってきた。

その表情は、いつもの穏やかさを失い、深い憂いを帯びていた。


「ハルカさん、ちょっと見てほしい資料があるんだけど……これは、見過ごすことができないわ」


差し出したのは、メンター制度に関する匿名のアンケート結果だった。

いつもはポジティブな意見が多いはずのアンケートに、これまでにはなかった、胸を締め付けられるような項目が追加されていた。


「最近、業務へのモチベーションが低下したと感じるか」

「自分の能力が活かされていないと感じるか」

「この会社で、自分の成長が見込めると感じるか」


その問いに対し、「はい」と答えた割合が、特に若手社員の間で予想以上に高まっていた。

その数字は、私たちの予想をはるかに超えるものだった。


自由記述欄には、「仕事がもらえない」「やりがいを感じられない」「成長できる機会がない」「会社にいても未来が見えない」「ただ時間を潰しているだけ」といった、悲痛な叫びにも似た言葉が、生の感情を伴って並んでいた。

まるで、彼らの心が擦り切れていく音が聞こえるようだった。


「これは……」


私は言葉を失った。

私の直感センサーが漠然と捉えていた、あの「やる気を失っていくエネルギー」が、具体的な数字と生の声として、容赦なく突きつけられた形だった。

これまで私たちが気づかなかった、組織の奥深くで進行していた病巣を示していた。


「私がメンターとして、もっと早く気づくべきだった。

彼らが抱える孤独感は、単に人間関係の希薄さだけじゃなかったのね。

彼らは仕事を通して自己実現を望んでいたのに、それが満たされない『飢え』、そしてその先にある絶望だったんだわ」


ミサキは、自責の念にかられるように唇を噛んだ。

自分の無力さを責める感情で激しく波打っていた。

メンターとして個々の社員の心に寄り添ってきた彼女にとって、この結果は深く、重くのしかかっていた。


その日の夕方、「絆」チームの定例会議は、いつも以上に重い空気の中で始まった。

誰もが、目の前にある深刻な課題に、どう立ち向かうべきか模索しているようだった。


ユウトは、さらに詳細なSNS分析結果を報告した。

その目には、普段の明るさの代わりに、鋭い分析眼が宿っている。


「匿名の書き込み、やっぱり組織的です。時間帯やキーワードの傾向も一致してますし、特に特定の部署のIPアドレスからの投稿が多い。おそらく、このIPアドレスはタナカ部長たちのグループが、自分たちの意見に近い社員を煽動して、ネガティブキャンペーンを張ってるんだと思います。

彼らは、私たちの成果発表を『一時的な美談』として片付け、社内の士気を下げようと画策している」


ユウトの言葉に、リョウ先輩の表情がさらに険しくなる。

リョウ先輩の眉間の皺が、問題の深刻さを物語っていた。


「つまり、彼らは単に現状維持を望むだけでなく、私たちのプロジェクトを積極的に潰そうとしているということか。これは、明確な『妨害行為』と見なせる」


リョウ先輩は、静かにホワイトボードに二つの新たな課題を書き加えた。


「組織的な妨害への対応」

そして「やる気を失った若手・中堅層への具体的アプローチ」


「後者に関しては、ミサキさんが集めてくれたアンケート結果が全てを物語っている。

彼らはSOSを発しているんだ。

会社への不満や諦めだけでなく、自分自身のキャリアや人生に対する深い不安を抱えている」


リョウ先輩は、アンケート資料を指差した。

その資料は、沈黙の中に、若者たちの心の叫びを響かせているようだった。


「問題は、彼らにどうやって、今、会社が彼らの声に真剣に耳を傾け、変化しようとしていることを伝えるかだ。

ただの言葉ではなく、具体的な行動で示さなければ、彼らの心はもう動かないだろう」


ミサキが顔を上げた。

迷いではなく、社員一人ひとりに寄り添おうとする強い決意が宿っていた。

自責の念を乗り越え、彼女は再び前を向いていた。


「私、あのサトウ君に、もう一度話を聞きに行きます。

メンターとして、彼の抱える具体的な不満、なぜ彼が『仕事がない』と感じているのかを、もっと深く理解したい。

彼の声は、他の若手社員の代表でもあるはずだから。

彼らのような社員に、実際に『仕事がある』ことを示す具体的な機会を探します」


ユウトは言った。

すでに次の作戦を考えているかのように引き締まっている。

「じゃあ、僕はその裏の妨害工作を、どうにか可視化できないか考えてみます。

単に『怪しい』だけじゃなくて、誰が、どんな意図で、どんな情報を流しているのか。

その繋がりを明確にできれば、タナカ部長たちも無闇に動けなくなるはずです。

あるいは、彼らの思惑とは違う形で、情報を逆手に取ることもできるかもしれない」


そして、リョウ先輩は私を見た。

その視線には、期待と信頼が込められている。


「ハルカ、君の直感センサーと、これまで培ってきたコミュニケーションスキルを活かしてほしい。陰で困っている社員、SOSを出している社員は、サトウ君だけではないはずだ。

部署や役職に縛られず、もっと広い範囲で、彼らが『絆』プロジェクトに期待を寄せられるような、小さな接点、心の糸口を見つけてほしい。

君にしか気づけない、微かな変化を捉えてほしいんだ」


私たちは、目に見えない敵と、目に見えにくい苦しみに同時に立ち向かうことになった。


スターライト企画の「絆」は、新たなより深い試練の時を迎えていた。


それは、単なる組織の効率化や表面的な対立の解決ではなく、社員一人ひとりの「心」と「才能」を救い出し、会社全体の未来を賭けた、切実な戦いだった。



(つづく)

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