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3章:闇の根源と、真の変革

第35話:その背に負うもの ~タナカ部長の原点~

ミサキの真実の告白が、ホールの空気を震わせたあの日から、数日が経った。全社員の心に静かな共感の波が広がる一方で、人事部のタナカ部長の苛立ちと焦りは、私の直感センサーにこれまで以上に生々しく響いていた。彼の奥底で渦巻く「闇」は、単なる反発心ではなく、もっと個人的で、根深い何かだという確信が、私の中で強まっていた。


なぜ、人はその道を変えてしまうのか。


私は、タナカ部長の姿を見るたび、その問いが頭から離れなかった。彼の冷徹な視線、頑ななまでの現状維持への執着、そして今回の露骨な妨害工作。これらは、どこから来ているのだろう? リョウ先輩、ミサキ、ユウト、私も、彼を単なる敵としてではなく、一人の人間として理解しようと努めていた。


タナカ部長、彼の名は田中義昭(たなかよしあき)。


今から三十年前、田中義昭はスターライト企画に入社した。彼の学生時代の成績は常にトップクラスで、特にデータ分析とリスクマネジメントにおいては、教授陣も舌を巻くほどの非凡な才能を持っていたという。若き日の彼は、常に完璧を目指す真面目な青年だった。会社に入社したての頃は、星のように輝く未来の夢を抱き、スターライト企画をより良い会社にしたいという、純粋で燃えるような情熱を秘めていた。彼のデスクには、いつも業務改善のアイデアが記されたノートが開かれていたという。


入社後、彼の才能はすぐに頭角を現した。当時、会社が抱えていた複数のプロジェクトで発生していた潜在的なリスクを、誰よりも早く正確に予測し、未然に防いだのだ。彼の緻密な分析と、決して妥協しない徹底したリスクヘッジの姿勢は、多くの幹部から「会社の守護神」と称賛された。周囲から「すごい」「さすがだ」と惜しみない賞賛を浴び、期待は日増しに高まっていった。彼の肩には、若くして大きな責任が乗せられていった。


その「守護神」としての成功が、彼の「非凡な才能」を歪ませるきっかけとなっていく。


ある大型プロジェクトでのことだ。徹底した市場調査とデータ分析に基づき、当時としては革新的なアイデアが盛り込まれた計画に対し、複数の潜在的リスクを指摘した。彼の予測は常に正確であり、その指摘は社内の多くの危機を救ってきた実績があったため、彼の意見は非常に重んじられた。だが、この時の彼の上司は、その革新的なアイデアを何としてでも実現させたいという強い思いから、指摘を「過剰な心配」として却下した。


「田中君、君の分析は素晴らしい。だが、時にはリスクを冒すことも必要なんだ。我々は星を掴む企業、夢を見せる企業だろう?」


その言葉は、当時のタナカにとって衝撃だった。彼の「正しい」はずの分析が、感情論と夢物語で否定されたのだ。結果、プロジェクトはタナカの予測通り、市場の予期せぬ変化に対応できず、大きな失敗に終わった。会社は当時としては過去最大級の損失を計上し、多くの社員が責任を問われた。


この一件は、タナカの心に深い傷を残した。


「正しいことをしても、認められないことがある」

「感情や勢いが、合理性を凌駕する」

という強烈な不信感が芽生えたのだ。彼は、自分が提言したにもかかわらず失敗したプロジェクトを見て、「自分の責任」だと強く思い込んだ。彼の「完璧主義」は、ますます強化されていった。


そして、そのプロジェクトの失敗の影で、もう一つの悲劇が起きていた。プロジェクトの責任者であり、若き日のタナカが誰よりも尊敬し、その背中を追いかけていた「理想の上司」が、その責任を取らされる形で、会社を去ることになったのだ。その上司は、タナカのリスク指摘を退けた張本人でありながら、その後の混乱の中で、社員の盾となるように全ての責任を被って姿を消した。タナカは、自分の正確なリスク分析が、結果的にその上司を追い詰めてしまったのではないか、という深い罪悪感と後悔に苛まれた。

「もし、もっと強く主張していれば」

「もし、自分のやり方が、あの人まで巻き込まなければ」――

タナカの心には、決して癒えない傷が刻まれた。


それ以来、田中義昭は、リスクを冒すことを極端に嫌うようになった。

「会社の守護神」という才能は、「変化の芽を摘み取る絶対的な防衛本能」へと変質していった。

「既存の秩序こそが安全だ」

「過去の成功パターンこそが正義だ」

という信念は、彼の中で揺るぎないものとなっていった。


彼は、自分が会社を守るためには、「感情論」や「未知のリスク」を排除し、「完璧な管理」を追求しなければならないと信じ込んだ。それは、若手社員の自由な発想や、部署間の壁を越えた連携といった「予測不能な変化」を、最も危険なものと見なすようになった理由だった。


自分のやり方こそが会社を守る唯一の道だと信じて疑わなかった。だからこそ、社長直属の「絆」プロジェクトが、彼の築き上げてきた秩序を壊し、新たなリスクを持ち込もうとしているように見えたのだ。妨害工作は、彼なりの「会社を守るための、歪んだ責任感の現れ」だった。


私の直感センサーは、タナカ部長の心の奥底に、若き日の純粋な情熱と、それが行き場を失い、硬い殻に閉じこもってしまった悲しみの波紋を感じ取った。彼は、自身の「非凡な才能」によって、会社に貢献しようとしたが故に、その才能を歪ませてしまった、ある意味で「組織の犠牲者」だったのかもしれない。


私たちは、この「闇の根源」を知った今、タナカ部長にどう向き合うべきか。


そして、「絆」プロジェクトは、この長年の組織の硬直性をどう打ち破るべきか。


真の戦いは、ここから始まる。


(つづく)

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