タナカ部長の歪んだ過去、社員たちの心に根深く横たわる「見えない壁」。
二重の困難を前に、「絆」チームは重い沈黙を破り、次の一手を模索していた。リョウ先輩の問いかけが、会議室に重く響く。
「タナカ部長の問題は、もはや彼個人の資質だけでは片付けられない。彼を歪ませた組織のシステムそのものにメスを入れなければ、真の解決にはならない。だが、どうやって?」
その時、沈黙を破ったのはユウトだった。彼の指が軽快にキーボードを叩く。
「リョウ先輩、ハルカ先輩の言う通り、タナカ部長の過去、特に尊敬していた上司を失ったトラウマが彼の行動の根底にあるなら、それを逆手に取るしかないっす」
ユウトは、プロジェクターに新たな資料を映し出した。それは、スターライト企画の過去の組織図と、退職者リスト、そしてプロジェクトの成功・失敗データが複雑に絡み合ったものだった。
「これ、タナカ部長が失脚した例のプロジェクトと、彼の上司だった人物の退職時期が重なってるデータっす。そして、その後に社内で閉鎖的になった部署や、新しい挑戦が潰された例も連鎖的に増えてる。つまり、彼の歪みは、会社全体の『変化への恐れ』を加速させた原因の一つとも言える」
ユウトの分析は、冷徹でありながら、核心を突いていた。
「だからこそ、彼の持つ『リスク回避の才能』を、本来の形で取り戻させるんです。彼の過去のトラウマを、今度は会社全体の『絆』を強化する力に変える」
ミサキが、ユウトの言葉に頷いた。彼女の表情には、一筋の光明が差したかのようだった。
「具体的にはどうするんだ?」
リョウ先輩が前のめりになった。
「タナカ部長が最も恐れているのは、『誰かが犠牲になること』、『秩序が壊れること』です。であれば、彼が破壊しようとしている『絆』プロジェクトが、実は『誰一人犠牲にしない』、むしろ『全ての社員を守るための、新たな秩序』なのだと、強制的に認識させるしかありません」
私の直感センサーが、ユウトの言葉の裏に隠された「非凡なる奇策」の可能性を捉えた。これは、単なる説得ではない。彼の持つ「非凡な悪意」を、文字通り「非凡な手段」で無力化する試みだ。
ユウトは、さらに画面を切り替えた。そこに映し出されたのは、最新のVR技術と、心理学的アプローチを融合させた、「共感シミュレーション・プログラム」の概要だった。
「社長には、このプログラムをタナカ部長に適用することを提案します。『幹部層の意識改革研修』と銘打って、彼に強制的に参加させるんです」
ユウトの言葉に、リョウ先輩も私も息を呑んだ。これは、まさに「非凡な解決策」であり、ある意味で倫理のギリギリを攻めるものだ。
「このプログラムは、被験者の脳波パターンと過去の言動データから、特定のシナリオにおける感情反応を予測・再現します。タナカ部長が最も避けたがっている『犠牲』や『無秩序』の状況を、まるで現実のように体験させる。ただし、今回は『絆』プロジェクトが導入された後の、『未来の成功シナリオ』も同時に体験させるんです。それも、彼が最も軽視している若手社員や、無関心を装っている社員たちの『心の声』や『感情の波』を、ハルカ先輩の直感センサーのデータを組み込むことで、極限までリアルに再現します」
ユウトの説明は、もはやSFの領域だった。
ハルカ先輩の直感センサーのデータまで!?
私のセンサーが激しく反応する。これは私の能力を、ある意味で兵器のように使うということだ。
この非凡な奇策こそが、タナカ部長の強固な心の壁を打ち破る唯一の道なのかもしれない。
「つまり、タナカ部長に、彼が妨害している『絆』プロジェクトが、いかに社員を救い、会社を未来へ導くか、感情レベルで無理やり理解させるというわけか……」
リョウ先輩の声には、驚きと、そしてかすかな期待が混じっていた。
「その通りっす。そして、もう一つ。このプログラムの最終フェーズで、彼を『理想の上司だったあの人』と再会させます。その上司は、『絆』によって会社が変革された未来の世界で、彼を待っているんです」
ユウトの提案に、会議室に再び静寂が訪れた。
天才的な閃きと、少しばかりの悪戯っぽさが混じったような、非凡な自信に満ちていた。これは、タナカ部長のトラウマを、文字通り「癒し」に変える試みだ。それは同時に、彼の最も深い傷口を抉る行為でもあった。
私たちは、この奇策の危険性を理解していた。長年の組織の病を癒すには、これほどの「非凡な外科手術」が必要なのかもしれない。
その夜、私は自室で、ユウトが作成した「共感シミュレーション・プログラム」の資料を何度も読み返していた。
私の直感センサーが、ある奇妙な感覚を捉えた。
タナカ部長の過去のデータと、私のセンサーの波形が、ある一点で不自然なほどに重なり合う箇所があったのだ。
それは、まるでタナカ部長の心の奥底に、私と同じ「非凡な能力」が、かつて存在していたかのような……
そんな、ありえない疑惑の影だった。
(つづく)