6年前。カリヨンは17歳だった。
「お父様がどれほどお姉様のためを思ってこの縁談をまとめたと思っていらっしゃるの?」
5か月年下の異母妹、レナは艶然と微笑み、冷たく言い放った。
父は馬の鞭を手に取り、カリヨンの裾をめくって臑を打ち据える。
鈍い音が室内に響く。
カリヨンの表情は、痛みよりも屈辱に歪んでいた。
父の目にあったのは怒りではなく、追い詰められた男の焦燥。
……それが、むしろ痛々しかった。
「クーピー男爵は確かにお前より年上だ」
――今年で40歳と聞いている。
「しかし、お前に何の不自由もかけない財力を持つ」
――その財力は私のためではない。支度金で伯爵家の家計を潤すため。
「つべこべ言わず、来週迎えの馬車に乗れ! これ以上、この家に恥をかかせるな!」
――恥? 私の気持ちも、意志も、存在すら……この人にとっては存在しないも同然。
カリヨンは、父をじっと見つめた。
哀れな男だった。脅すように振り上げた鞭の先端が、かすかに震えている。
その動揺にさえ、気づかぬほど鈍感ではなかった。
カリヨンは父が幸運な男でもあることを知っている。
正妻が妊娠中、愛人に子を孕ませた。
愛人は他の男と出奔し、残されたのは娘レナ。
出奔の頃、正妻は死の床にあった。
正妻に咎められず、父はお気に入りのその子を屋敷に引き入れた。
そして、そのままその子に伯爵家を継がせることにした。
レナが父に愛されたのは、その愛らしさだけが理由ではない。器用で意外なほど優秀だったからだ。
姉を真似、姉の物を奪い、王立学園でも好成績を収めた。
――ただし、「見せかけ」だけは完璧に、だ。
レナは今日も、自分が成功者だと疑っていない。
「カリヨン、お前は男爵家に嫁ぎ、当家のために仕送りさせろ。うまくやれ」
――20歳以上年上で、加虐趣味があることで有名な男爵の第三夫人? レナが継ぐこの家のために、そんな地獄に飛び込めと?
絶対に、そんな人生は、嫌だった。
レナが隣で再び艶然と微笑む。
「男爵閣下がすべてご用意してくださるそうよ。だから、何も持たずに嫁いでね?」
赤い唇の間から、桃色の舌がちらりとのぞく。
「それと……お姉様の母君のネックレスとイヤリングのセット。きっと必要なくなるわよね? 必ず置いていってちょうだい。きっと私に似合うわ」
その言葉を聞いた瞬間、カリヨンの中で冷たい確信が芽生えた。
レナは、奪う気でいる。
自分の人生も、名誉も、母の思い出までも。
――奪われてたまるものですか。
胸の奥に、ざらりとした痛みが走った。
言い返したい衝動が喉元までせり上がる。
だが、カリヨンは飲み込んだ。
――この人たちに、何を言っても通じはしない。
声にならない叫びが心の中で弾けた。
そのあとに残ったのは、静かな決意だけだった。