夜が更け、カリヨンは静かに立ち上がった。
部屋の隅に隠した箱には魔法の封が施されている。レナが真似しようとしても開けられない秘術だ。
祖父が遺してくれた王国債は、手切れ金代わりに机の上に置いていく。
換金すれば男爵家への違約金を払ってもおつりが来るだろう。
もっとも、その支払いすら不要だ。「17歳の女性を娶るのは違法」と主張する方法を書き添え、伯爵家顧問法律家の連絡先も残した。
10歳から父の代わりに執務をこなしてきたカリヨンにとって、こうした手配は慣れたものだった。
密かに用意していた縄ばしごを取り出し、屋根裏の窓から外へ垂らす。
箱には薬品研究の重要なメモをまとめたノートも入っていた。
ノートを書くたびに盗まれたが、それは見せかけ用の記録。本当に残したい記録は別にしていた。
母の形見のネックレスとイヤリングも忘れずにバッグに詰める。
冷たい夜風を顔に受けながら、窓枠をまたいだ。
ふと背後を振り返る。
だが、伯爵邸にとどまる理由など、もうどこにもなかった。
冷たさと孤独と、虐待に満ちた過去がある場所だったからだ。
足元に気を配りながら、庭を抜けて塀へと向かう。
伯爵家は、壊れた塀の修理すらできないほど資金が尽きていた。
カリヨンは常々気になっていたが、父と妹の浪費の支払いを終えると、いつも大赤字だった。
塀の隙間をすり抜ける。
その先にあるのは、絶望ではない。
自分の手で切り開いていく、自由な未来だった。
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