「大事なのは、お前の魔法は黒じゃなくて
得意げに胸を張るモフモフを見下ろしながら、私は首をかしげた。
闇?
そんな魔法聞いたことが無い。
「……何よそれ。同じじゃないの?」
その問いに、ノクスの顔がきゅっと引き締まる。
からかうような態度は一瞬で消え、低い声で続けた。
「まるで違う。お前に宿るのは、世界でたった一人、お前にしか使えない闇の魔法だ」
世界で、たった一人。
その響きに、心がかすかに震えた。
けれど、すぐに打ち消すように言葉を吐き出す。
「なにそれ……そんなの、信じられるわけ――」
「ならここで一生腐ってな」
ノクスの声音が、突如として冷えた。
私は思わず息を飲む。
さっきまでの軽薄な雰囲気は完全に消えていた。
銀の瞳が静かに、けれど確実に私を射抜いてくる。
「お前の人生は、この部屋で終わりだ」
部屋の空気が一気に重くなった気がした。
ノクスの体から、見えない圧力がじわじわと広がってくる。
逃げられない。
そんな気配に背中がぞわりとする。
「いいか? 今ここで選べ」
その言葉は、脅しでも命令でもなかった。
ただ冷静で、静かな真実を突きつけるだけの声。
「この部屋で老いて死ぬか、外に出るか」
ノクスは一歩、私に近づく。
「オレ様は力を貸してやる。だが決めるのはお前だ、リシェル」
名前を呼ばれた瞬間、胸の奥に何かが灯った。
心の底に沈んでいた願いの破片が、かすかに音を立てるのを感じた。
逃げたって、行き先はない。
家の後ろ盾がない私に何ができるというのか。
生きていくことすらままならないかもしれない。
でも――
「……ここにいるよりマシだわ」
立ち上がると、ノクスがくいっと尻尾を振った。
「いい返事だ。さあ、闇魔法のレッスンといこうか。オレ様の言う通りにやってみな」
私は眉を上げた。
「……レッスン? いきなり?」
「ああ、とっとと使えるようになってもらわなきゃな」
ノクスは部屋の奥にある窓を見やり、ふわりと跳び上がって窓枠に着地した。
「まずはこれだ。窓をぶち破って――」
「ムリよ!」
私は思わず声を荒げてツッコむ。
「私がそんな鉄格子を壊せるわけないじゃない」
「へぇ……そうかな」
ノクスはニヤッと口角を上げると、銀の目を細めてこちらを振り返った。
「闇ってのは、重力を支配する魔法だ」
「重力……?」
ノクスはふふんと得意げに鼻をならす。
「そう。色々な使い方ができるが、今回は……任意の空間の重力を極限まで高める。すると、内部から崩壊して爆発が起こる」
その言葉と同時に、ノクスの足元から闇の渦が発生する。
その中心は、まるで空間そのものがへこむように歪んでいく。
「ってな感じだ」
私がごくりと唾を呑み込むと、ノクスは魔力を開放して歪みを消した。
「さ、やってみな」
「そんなこと言われても……私、魔法なんて使ったこと」
「大事なのはイメージだ。魔力量は潤沢、制御も思いのまま、お前は魔法の才能がある」
「う……」
鋭い瞳でまっすぐにこちらを見つめながら言われると、お世辞だとわかってはいても、本当なのかなと思ってしまう。
「そ、それじゃあ……」
私は意を決して両手を前方に突き出し、窓に意識を集中させる。
重力を、強める。
ずお、と。
窓を中心に漆黒の球体が発生し、球の中央へ向かって渦を巻いて空気が流れ込んでいく。
黒い渦が止まり、鉄格子へと放たれた瞬間、大気がびりっと震えた。
重力が凝縮され、瞬間的に炸裂する。
ごぉんっ!
轟音とともに鉄格子が弾け飛ぶ。
金属の破片が舞い、風が室内に流れ込んできた。
「……うそでしょ」
私は呆然と口を開けたまま、風に揺れるカーテンを見つめていた。
その先にあるのは、夜の世界。
私が閉ざされていたこの場所の外だった。
「さ、行くぞ。急がないと追手が来ちまうぜ」
ノクスが先に飛び降り、影の中に消える。
私は息を吸って、踏み出した。
身寄りのない世間知らずの女が、一人で生きていく。
目の前に広がる闇夜のように、まさにお先は真っ暗。
でも、ほんの少し。
誰に命令されることもなく、誰の目も気にしなくてもいい自由な世界に。
ほんの少しだけ、胸が高鳴っていた。
まるでさっきの爆発が、私の塞がれた心に風穴を開けてくれたみたいだった。
闇の夜に、飛び込む。
私の逃亡と旅立ちは、こうして始まった。