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第4話 集え、強者よ

 逃げてきたはいいけれど、行くあてなんてなかった。

 夜の闇に紛れて町の外れまで抜け出し、スラムの廃屋に身を潜めて三日。

 まともに食べたのは、初日に市場の隅でもらった固いパンだけ。

 空腹は誤魔化せても、心のざわつきは隠せなかった。


「……寒い」


 破れかけた毛布を肩に巻きつけながら、私は身体を丸める。

 ノクスはといえば、私の背中にぴったり張りついていた。


「震えすぎ。お前、もやしみたいな身体してんな」


「うるさいわね……そっちが暖かすぎるのよ。……もっと、こっち来なさいよ」


 命令口調のはずなのに、声がちょっと震えた。

 恥ずかしいから背を向けたまま、ぐいっと背中を押しつける。


「おい、調子乗んな。オレ様で暖を取るんじゃねぇ」


「しょうがないじゃない寒いんだから……何のための毛よ」


「お前を温めるためじゃないのは確かだ」


 こいつ……!

 ぬくもりがじんわりと広がるたびに、悔しいくらい安心してしまう自分がいる。

 この数日で、私たちはずいぶん自然に身を寄せ合うようになった。

 気がつけば寒さよりも、心が落ち着いていく。


「……後悔、してるか」


 ノクスがぼそりと呟いた。

 いつもの軽口とは違って、ほんの少し真面目な声音だった。

 私は、すぐには答えられなかった。


 正直、怖い。

 このまま飢えて死ぬかもしれない。

 あのまま屋敷にいた方が、少なくとも生きる保証はあった。


 でも思い出す。

 あの冷たい部屋。

 誰とも目を合わせない日々。

 黒、呪われた女、と言われて、すべてを奪われた私のこと。


「後悔、なんて言いたくないわ」


 ぎゅっとノクスの尾を握りしめる。

 少しだけ、震える手を隠すように。


「私は……もう、何も決められないお人形じゃいたくなかったの。

 たとえここで終わっても、自分で選びたかった」


 ノクスが小さく鼻を鳴らす。


「……フン、そうか」


 ほんの一瞬だけ。

 そのとき、廃屋の扉がわずかに開いて、朝の光が差し込んだ。

 外から、ざわざわと人の声が聞こえる。

 何かあったのかと思って出てみると、通りの掲示板の前に人だかりができていた。

 私はその背中越しに、貼り出された紙に目をやる。


 『【赤の国 魔法騎士団 選抜試験告知】

  今年度より、特例枠を新設。

  身分不問・実力本位、若干名採用予定。

  試験日時:王都中央訓練場

  集え、強者よ』


「……これ……!」


 心臓が跳ねた。


 魔法騎士。

 幼い頃からずっと、窓ごしに見つめていた赤い外套の行進。

 遠い夢だと思っていた、それが。


「これって……誰でも、受けられるってこと……?」


(そう書いてあるだろ、実は目悪いのか?)


 ……うるさいわよ!

 ノクスの声が、影の中から耳元に響く。

 どうやら彼は影に潜むことができるようで、人目のある場所ではその姿を隠していることが多い。

 どのようにして耳までその声を届かせているのかは知らないが。

 それが精霊様(自称)のムツカシイ魔法というやつなのだろう。


「人手不足もここまで来たか……国境がザワついてるのは知ってたがな……」


「例の王子様が“身分に関係なく才能を見ろ”って言い出したんだとよ」


 掲示の前に集まった大人たちが、騒がしく口々に言う。

 その中に聞こえてきたのは、どこか呆れたような声。


「アストレイ王子か……思想だけは立派だが、国防の要になる騎士団に身分不問ってのはなぁ」


 アストレイ王子。

 名前だけは聞いたことがあった。

 王族の中で最も王位継承に近い第一王子でありながら、同時に最も民に近い目線を持つ変わり者。

 他の王族や貴族、国の重役たちからは疎まれているとも聞く。

 でも……私には、違って見えた。


 その人が、門を開いてくれた。

 私のような、身寄りのない存在のために。


(……ほう。お前、今ちょっとときめいたろ)


「なっ、なにがよ……!」


(トイレだか何だか知らねーが、鼻の下伸ばしてんじゃねーぞ)


「伸びてないし! それに、トイレじゃなくア・ス・ト・レ・イよ! もう!」


 顔が熱い。

 声を潜めながら全力で言い返してる自分に、自分でびっくりする。

 ノクスは影の中でくすくす笑っていた。


 しかし本当に、掲示に書かれた“身分不問”の文字は、

 まるで私に向けられた光のように思える。


「……でも、私にはムリね」


 私はそう言って、ぎゅっと拳を握った。


(ハァ? 何でだよ?)


 ノクスの声に呆れと苛立ちが混じる。


(騎士団に入ると宿舎で寝泊まりできる、食事も支給される、賃金も貰える。

 オマケに騎士章は身分証明代わりにもなる。お前にとって、願っても無い好条件だろうが)


 普段からぶっきらぼうな喋り方だけど、それ以上の早口でまくし立ててくる。


「分かってるけど……私は戦闘経験も無いし、そもそも騎士団は男しか入れないわ。どうあがいても、ムリ」


 そう。

 いくら条件が揃っていたって、私には“女である”という決定的な壁がある。

 今の騎士団に、令嬢の枠なんてない。

 ノクスはしばし沈黙したあと、ふっと低く笑った。


「じゃあなればいいじゃねえか。男に」


「…………は?」


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