「うーん……ちょっと違うわね……。
これじゃあ背中のラインが浮くし、襟が高すぎて顔が埋もれちゃう」
私は山積みにされた男物の服を前にして、うんうんと唸っていた。
目の前の服たちは、どれもノクスが拾ってきてくれたものだ。
拾ってきた、というのは文字通りの意味で、市場の裏にある古布箱やゴミ捨て場から探してきてくれたらしい。
穴が開いていたり泥にまみれていたり変な臭いがしたり。
あまり着たいものではないけれど、この状況で贅沢も言ってられない。
「…………」
背に刺さるノクスの視線。
私はそれに気づかないフリをしながら、こほんと咳払いする。
「……あのー、の、ノクス? もう一回行ってきてくれないかしら……?
こ、今度は水色っぽいお洋服が欲しいなぁ……なんて」
「ハァ!? もう三度目だぞ!? どれでも一緒だっつの!」
背後から浴びせられる怒号にびくっと肩を震わせながら、私は精一杯反論する。
「一緒じゃないわよ! 色って大事なの! 印象が!」
「印象ォ? どーせ泥と埃まみれになるってのに……ったく」
ぶつぶつ言いながらも、ゴミ捨て場の方向に歩いていくあたり、世話焼きなところがある。
そして、ノクスがくわえて帰ってきたズボンとシャツは、サイズこそやや大きいものの意外と似合っていた。
うんうんと首を縦に振る私を見て、「けっ」と小さくつぶやくノクス。
「……ま、まあいいかしら。そこそこ、見れなくもない……よね」
ダボついたシャツ、くたびれたズボン。
とても“かっこいい男装”とは言えないけれど、それでもドレスよりはずっとマシ。
何より、外を歩ける格好にはなった。
「おーおー、バッチリだよ。胸がねえ分、男に見えやすいしな」
「ぶん殴るわよ」
ぶん、と袖を振る。
でも確かに、同世代の令嬢たちと比べても、私の体つきは貧相な方だ。
胸も腰も控えめで、ドレスが映えないと母にため息をつかれたこともある。
だけどいま、その欠点のおかげでこうして性別を偽り易い。
皮肉な話だけど、笑えてくる。
「……まあ、男っぽく見えるって、そういう意味ではありがたいのかも」
「そうそう。ぺったんこバンザイ。ありがとう、ぺったんこ」
「ちょっと表に出なさい?」
低い声で言うと、ノクスはけたけた楽しそうに笑った。
この精霊、憎たらしいのに妙にテンポが合うから困る。
そして会話が終わった頃には、さっきより少しだけ気が楽になっているのがもっと困る。
「次は……髪、ね」
私はぽつりと呟いた。
長い髪は令嬢としての象徴だった。
でも今の私に、そんな飾りは必要ない。
気づけば、ノクスが静かに私の前に座っていた。
古ぼけたハサミと、ひび割れた小さな鏡を差し出してくる。
「これも拾っておいた。必要だろう」
「……ありがと」
私は鏡を受け取り、そっと前髪に指をかけた。
……でも、すぐには力が入らない。
髪なんて、ただの飾り。
そう言い聞かせても、やっぱり少し、怖い。
女の子であることを、自分で否定してしまうみたいで。
「リシェル」
ノクスの声が、妙に静かだった。
「邪魔なもんは、全部置いてけ」
それが優しさなのか、突き放しなのか分からなかったけど。
私の背はその言葉で押された。
「……分かったわ」
バッサリ。
ハサミが髪を切る音が、想像よりずっと大きく響いた。
切り落とされた髪が、はらはらと床に落ちていく。
一度、二度、三度。
じょぎじょぎと思い切りよく刃を入れていく。
「うーん……上手く切れないわ」
左右はバラバラ。
後ろもガタガタ。
それも当然だ。
錆びて切りづらいハサミに、ひび割れて自分が何人もに分身して見える鏡。
しかも、自分で自分の髪を切る。
「…………はぁ……」
あまりの不格好さに、小さくため息をつく。
「見てらんねぇな」
ノクスの声が、すぐ後ろからした。
そして次の瞬間、私の手からハサミがそっと取られる。
「オレ様が切ってやるよ」
「……その可愛らしいぷにぷにの手で?」
私は呆れ気味に言いながら、振り返って――そこで、言葉を失った。
背は高く、黒曜石のような髪が肩口でゆるく揺れ、光を受けてほのかに艶めいている。
まっすぐに私を見つめる瞳は、夜のように深く澄んでいて、けれどその奥にわずかに滲むぬくもりがあった。
無表情なのに、優しさを隠しきれていない。そんな目。
長い睫毛。端正な輪郭。鼻筋も、唇も、まるで彫刻みたいに整っていて。
その手は肉球とは程遠く、骨ばっていて、指先まで繊細に形作られた大人の男の手だった。
思わず息を呑む。
こんな人、見たことがない。
貴族たちが集まる夜会でも、社交パーティでも。
ありえない。
まるでどこかの舞台から抜け出してきたみたい。
「……よっ。改めて、オレ様の人型バージョン。初お披露目ってやつだ」
その言葉を聞いた瞬間、背筋に電流が走った。
まさか――まさかまさか、そんなわけが――。
だけどこの声にこの言い回し。
ここ数日、ずっと、ずっと私のそばにいた、あの――
「――え……ええええぇぇぇ……っ!?」
のけぞった。
反射的に三歩は後ろに飛び退いていた。
言葉にならない、意味が分からない、もう
「うっそでしょ!? え!? あなた……ノクス!?
本当に!? 人間だったの!? ていうかなんで!? 何その顔!?」
「おいおい、落ち着け。質問は一度につき一つだ」
「ちょっと待って!? 私、今までずっとあなたと寝食ともにしてたのよ!?
それが……こんな……こんなっ……!」
直視できないでいると、ノクスは「フフン」と得意げに呟いて、その整った顔面を私に近づけた。
「早く言えよ……
「……っ、くぅぅぅ~~~~~っ!」
恥ずかしいやら、驚いたやら、動揺の嵐で胸がいっぱいになる。
それでも、ただ一つだけはっきりわかったのは。
ノクスは、私の知らない顔を、まだまだたくさん持っているらしいということ。