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第5話 男装って難し……ちょっと待ってあなた誰よ

「うーん……ちょっと違うわね……。

 これじゃあ背中のラインが浮くし、襟が高すぎて顔が埋もれちゃう」


 私は山積みにされた男物の服を前にして、うんうんと唸っていた。

 目の前の服たちは、どれもノクスが拾ってきてくれたものだ。

 拾ってきた、というのは文字通りの意味で、市場の裏にある古布箱やゴミ捨て場から探してきてくれたらしい。


 穴が開いていたり泥にまみれていたり変な臭いがしたり。

 あまり着たいものではないけれど、この状況で贅沢も言ってられない。


「…………」


 背に刺さるノクスの視線。

 私はそれに気づかないフリをしながら、こほんと咳払いする。


「……あのー、の、ノクス? もう一回行ってきてくれないかしら……?

 こ、今度は水色っぽいお洋服が欲しいなぁ……なんて」


「ハァ!? もう三度目だぞ!? どれでも一緒だっつの!」


 背後から浴びせられる怒号にびくっと肩を震わせながら、私は精一杯反論する。


「一緒じゃないわよ! 色って大事なの! 印象が!」


「印象ォ? どーせ泥と埃まみれになるってのに……ったく」


 ぶつぶつ言いながらも、ゴミ捨て場の方向に歩いていくあたり、世話焼きなところがある。


 そして、ノクスがくわえて帰ってきたズボンとシャツは、サイズこそやや大きいものの意外と似合っていた。

 うんうんと首を縦に振る私を見て、「けっ」と小さくつぶやくノクス。


「……ま、まあいいかしら。そこそこ、見れなくもない……よね」


 ダボついたシャツ、くたびれたズボン。

 とても“かっこいい男装”とは言えないけれど、それでもドレスよりはずっとマシ。

 何より、外を歩ける格好にはなった。


「おーおー、バッチリだよ。胸がねえ分、男に見えやすいしな」


「ぶん殴るわよ」


 ぶん、と袖を振る。

 でも確かに、同世代の令嬢たちと比べても、私の体つきは貧相な方だ。

 胸も腰も控えめで、ドレスが映えないと母にため息をつかれたこともある。

 だけどいま、その欠点のおかげでこうして性別を偽り易い。

 皮肉な話だけど、笑えてくる。


「……まあ、男っぽく見えるって、そういう意味ではありがたいのかも」


「そうそう。ぺったんこバンザイ。ありがとう、ぺったんこ」


「ちょっと表に出なさい?」


 低い声で言うと、ノクスはけたけた楽しそうに笑った。

 この精霊、憎たらしいのに妙にテンポが合うから困る。

 そして会話が終わった頃には、さっきより少しだけ気が楽になっているのがもっと困る。


「次は……髪、ね」


 私はぽつりと呟いた。

 長い髪は令嬢としての象徴だった。

 でも今の私に、そんな飾りは必要ない。

 気づけば、ノクスが静かに私の前に座っていた。

 古ぼけたハサミと、ひび割れた小さな鏡を差し出してくる。


「これも拾っておいた。必要だろう」


「……ありがと」


 私は鏡を受け取り、そっと前髪に指をかけた。

 ……でも、すぐには力が入らない。

 髪なんて、ただの飾り。

 そう言い聞かせても、やっぱり少し、怖い。

 女の子であることを、自分で否定してしまうみたいで。


「リシェル」


 ノクスの声が、妙に静かだった。


「邪魔なもんは、全部置いてけ」


 それが優しさなのか、突き放しなのか分からなかったけど。

 私の背はその言葉で押された。


「……分かったわ」


 バッサリ。

 ハサミが髪を切る音が、想像よりずっと大きく響いた。

 切り落とされた髪が、はらはらと床に落ちていく。


 一度、二度、三度。

 じょぎじょぎと思い切りよく刃を入れていく。


「うーん……上手く切れないわ」


 左右はバラバラ。

 後ろもガタガタ。

 それも当然だ。

 錆びて切りづらいハサミに、ひび割れて自分が何人もに分身して見える鏡。

 しかも、自分で自分の髪を切る。


「…………はぁ……」


 あまりの不格好さに、小さくため息をつく。


「見てらんねぇな」


 ノクスの声が、すぐ後ろからした。

 そして次の瞬間、私の手からハサミがそっと取られる。


「オレ様が切ってやるよ」


「……その可愛らしいぷにぷにの手で?」


 私は呆れ気味に言いながら、振り返って――そこで、言葉を失った。


 背は高く、黒曜石のような髪が肩口でゆるく揺れ、光を受けてほのかに艶めいている。

 まっすぐに私を見つめる瞳は、夜のように深く澄んでいて、けれどその奥にわずかに滲むぬくもりがあった。

 無表情なのに、優しさを隠しきれていない。そんな目。


 長い睫毛。端正な輪郭。鼻筋も、唇も、まるで彫刻みたいに整っていて。

 その手は肉球とは程遠く、骨ばっていて、指先まで繊細に形作られた大人の男の手だった。


 思わず息を呑む。

 こんな人、見たことがない。

 貴族たちが集まる夜会でも、社交パーティでも。

 ありえない。 

 まるでどこかの舞台から抜け出してきたみたい。


「……よっ。改めて、オレ様の人型バージョン。初お披露目ってやつだ」


 その言葉を聞いた瞬間、背筋に電流が走った。


 まさか――まさかまさか、そんなわけが――。

 だけどこの声にこの言い回し。

 ここ数日、ずっと、ずっと私のそばにいた、あの――


「――え……ええええぇぇぇ……っ!?」


 のけぞった。

 反射的に三歩は後ろに飛び退いていた。

 言葉にならない、意味が分からない、もう混乱パニック状態。


「うっそでしょ!? え!? あなた……ノクス!? 

 本当に!? 人間だったの!? ていうかなんで!? 何その顔!?」


「おいおい、落ち着け。質問は一度につき一つだ」


「ちょっと待って!? 私、今までずっとあなたと寝食ともにしてたのよ!? 

 それが……こんな……こんなっ……!」


 直視できないでいると、ノクスは「フフン」と得意げに呟いて、その整った顔面を私に近づけた。


「早く言えよ……って」


「……っ、くぅぅぅ~~~~~っ!」


 恥ずかしいやら、驚いたやら、動揺の嵐で胸がいっぱいになる。

 それでも、ただ一つだけはっきりわかったのは。

 ノクスは、私の知らない顔を、まだまだたくさん持っているらしいということ。

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