騎士団に入って一ヶ月が経った。
男装で潜り込んだこの“赤の騎士団”での生活は、最初こそ息をするだけで気を張り詰めていた。
けれど今では、朝の喧騒すら日常になりつつある。
「……うう、寒っ。窓開けたまま寝たの誰……?」
私は上半身を起こしながら、隣のベッドを睨んだ。
上段、ぐっすり眠るノクス。
毛布をかぶってぴくりとも動かない。
いつもこれだ。
ギリギリまで寝てて、訓練中もあくびしまくり。
なのに成績はすこぶる優秀とくるから、なんだかズルい。
「おはよう。……ああ、ごめんね。窓、ボクだ」
ベレトが申し訳なさそうに言ってきた。
彼は既に紅茶を淹れ、蒸気の立つカップを手に読書中。
寝癖もなく、整った所作で本をめくる姿は相変わらずどこか貴族的だ。
「ううん、大丈夫。ていうかベレト凄いね、いつも早起きだなあ」
「習慣なんだ。静かな時間の方が、本に集中できるからね」
「ふーん……」
私は固まった肩を回しつつ、ふと隣を見る。
レオン先輩のベッドは、今日も散らかっていた。
上着、手袋、靴下、それに昨日の訓練で使ったタオルまで。
彼は優しく明るく、実力もあり、先輩としては最高と言っていいけれど、片付けに関しては初戦敗退だ。
その瞬間、部屋のドアが勢いよく開いた。
「よーし、全員起きてるか! 今日も張り切っていこうぜ!」
元気いっぱいに飛び込んできたのは、言うまでもなくレオン先輩だった。
「……どの口が言うんですか。自分のベッドの惨状、見ました?」
「んーーーーー見えない!」
朝からテンション高めな彼に、私は少しだけ笑ってしまった。
なんだかんだで、こういう毎日も嫌いじゃない。
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「次ッ! 構えを崩すな!」
ガシャン、と木剣と木剣が打ち合う音が、訓練場に響き渡る。
午前の訓練は、体力と反射神経を鍛える基本的なものが中心だ。
正直、私はこのメニューが一番きつい。
令嬢時代にはダンスを習っていたし、小さい頃から騎士団に憧れていたのもあって、同世代の女の子たちの中では体力に自信があった方だけど、ここにいるのは国内でもトップクラスの身体能力オバケたち。
ただの男装女子が敵うはずもない。
「……っ、はっ……!」
それでも日々、必死にくらいついている。
膝が笑いそうになるたびに、拳を握り締める。
動きを止めたら終わりだ。
弱い奴って、誰にも思われたくない。
遠くで、賑やかな声が聞こえた。
「さあ、次お願いします!」
「ちょ……こ、交代! 飛ばしすぎだよ!」
振り返ると、レオン先輩が元気いっぱい吠えていた。
相手の先輩団員は膝に手をついて、完全にバテバテ。
周囲も若干引いている。
「お前、最近強くなったなあ。何かあったか?」
団員の一人がレオン先輩に問う。
先輩は一瞬だけこちらに目線をやって、すぐまた団員の方を向いて覇気溢れる笑顔を作った。
「後輩たちに負けてられませんから! はい! 次は誰ですか!?」
本当にすごい。
あんなに動いて、まだ余力があるの?
先輩は早朝も一人で体力トレーニングをしているはず。
なのに汗すら感じさせない笑顔で、次の相手はどこだと問いかける。
まるで太陽みたいだった。
「――ッ!」
そのとき、訓練場に重たい空気が流れ込んだ。
その場にいる全員が、声を出さずに身を震わせる。
直感で分かった。
これは、“あの人”が来た空気だ。
地面がきしむほどの足音。
空気が張りつめる。
私はそっと顔を上げて、視線の先を見た。
そこにいたのは、赤い外套に身を包んだ、鋼のような体を持つ壮年の男性。
赤の騎士団、団長。
ガリンダ・アーマードさんだった。
「……そこ、足が止まっている。戦場でもそうするのか」
静かに、けれど明確に放たれたその声に、周囲の空気が一段と引き締まった。
誰もがその威圧感に呑まれながらも、反射的に姿勢を正す。
怖い。
でもそれ以上に、誰もが信じて従っている。
この人が騎士団の柱。
そう感じさせる、絶対的な本物の気配。
「ガリンダ団長……!」
ぽつりとレオン先輩が呟く。
その目は、少年みたいにきらきらしていた。
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夕食後、片付け当番だった私とレオン先輩は、誰もいなくなった食堂に二人で残っていた。
手に持ったお盆に皿を積み重ねながら、私は先輩に話しかける。
「レオン先輩は、団長に憧れているんですか?」
「んー?」
「今日の訓練の時、ていうかいつもですけど、団長のことよく見てますよね」
それを聞くと、先輩は少し恥ずかしそうに「あはは」と笑った。
「……ああいう人になりたいんだよ、俺」
普段の先輩とは違う、落ち着いた笑み。
「まずは何より、強いだろ?
俺、入団前に一度だけ、ガリンダ団長が戦うの見たことあるんだけど、鳥肌立っちゃってさ」
「そうなんですか、入団前に?」
「うん、俺の地元は黄の国との国境付近でね。小さな村だったんだけど、ある日戦争に巻き込まれたんだ。
このままだと、家族も友達も、全員死ぬ……ってところに騎士団が救援に来てくれて。
その時にガリンダ団長の戦いぶりを見て、俺も騎士団に入ろうと思ったんだよ」
先輩はどこか遠くを見るように、目を細めた。
明るく元気ないつもの様子とのギャップに、私は思わずどきっとしてしまう。
「それだけじゃない。カリスマ性があって、格好良くて……誰より優しい。
確かにいつも怒ってるみたいだし怖がられてるけど、あれは仲間から死人を出したくないっていう、団長の覚悟みたいなもんだと思うんだ」
「……なるほど」
「その証拠に、家族の前だとすっごいデレデレなんだぜ?
ま、あんな奇麗な奥さんと可愛い娘さんがいたら、そうなるのもわかるけどな~」
普段の調子を取り戻してけたけた笑うレオン先輩に、私は思わず素直な気持ちを口走る。
「――俺からしたら、レオン先輩もそうですよ」
彼は驚いたように私を見る。
「強くて、優しくて、カッコいい……でしょ?」
「――ッ」
言いながら、少し照れくさくなって目をそらす。
……なんでこんなこと言ったんだろう。
レオン先輩は一瞬固まったあと、顔を赤くしながら笑った。
「あ、ありがと、な!」
どこか声が裏返ってたのは、気のせいだろうか。
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片付け後、そのままお風呂へ向かったレオン先輩と別れ、部屋に戻る。
四人一組の自室には、ノクスだけがベッドにいた。
モフモフの姿で、私の枕元にうずくまっている。
ベレトはお風呂だろうか。
「またそのモフモフモードで、誰か来たらどうすんの?」
「……うるせぇ。お前かそうじゃないかくらいわかるっつの」
膨れた声を返すノクスに、私は思わず吹き出した。
彼はしばらく黙った後、ぽつりと呟きを落とす。
「最近、楽しそうじゃねーか」
「楽しそう? うーん、確かにそうかも。
訓練は大変だけど、憧れだった世界に自分の居場所があることって、とっても幸せね」
「…………ふーん」
ノクスはそう言いながら、器用に背中を向け、私の手元に自分の尻尾を押しつけてくる。
「ありがと」
私はそのふわふわにそっと手を置いた。
そのとき、勢いよくドアが開く。
「ただいまー!」
「はあ……今日のお風呂は混んでましたね」
戻ってきたレオンとベレト。
ノクスはひょいっと飛び上がり、さっさと上段ベッドに人型の姿で寝転がる。
「さて、今日は何する? トランプ? それとも王様ゲーム?」
「やめてください。それは危険すぎます」
苦笑するベレトと、はしゃぐレオン。
私はその光景を見ながら、小さく笑った。
あの日、すべてを捨てて逃げ出した自分が、まさかこんなふうに笑える日がくるなんて。
きっと明日も大変で、疲れて、くたくたで。
でもとっても、楽しみだ。