「――っ!」
次の瞬間、視界が回った。
気づけば地面に仰向けで転がっている。
「……ふむ? 期待の新人と聞いていたが、今日は調子が悪いのかな」
やんわりとした声と慰めるような物言いが、逆に胸に刺さる。
悔しい。
でも、身体が震えてうまく動かなかったのも事実。
いずれこの国を背負って立つお方。
国に仕える身としては、圧倒的上位の立場にあたるお方。
そして、幼い頃から密かに憧れていたお方。
本気で戦えないのも当たり前だ。
私はまだ、夢の中にいたのだから。
「――オレも新人だ。相手してくれよ」
不意に間に割って入った声。
ノクスが、倒れた私を庇うように立っていた。
片手で木剣を肩に担ぎ、堂々と王子に向き合っている。
「ふっ、活きの良いのがいるじゃないか」
そう言って、王子も構えを取り直す。
その瞬間、空気がきりりと張りつめた。
――カァン!
木剣と木剣が激しくぶつかり合い、空気が震える。
金属のような硬質音が、訓練場に響き渡った。
最初の一撃は試すような強さ。
けれど、そこからの展開が早い。
二撃目、三撃目。
踏み込みと同時に王子が斬り上げ、それをノクスが力強く弾く。
続けざまに袈裟斬り、足払い、腹部への突き。
すべてが無駄なく繋がっていた。
速く、重く、そして正確。
「へえ、これも効かないのか。中々やるじゃないか。名は何という?」
「俺たちのボスなんだろ? 部下の名簿くらい見てから来いよ」
ノクスは涼しい顔で木剣を返しながら、さらりと毒を吐いた。
私は間近で行われるやり取りを見ながら、唖然とする。
どこからどうツッコめばいいのか分からない。
不敬すぎる発言はとりあえず棚上げにするとしても、剣が、剣が。
打ち合いの音が、普通じゃなかった。
木と木のぶつかる音じゃない。
質量と殺気のある、まるで真剣同士のような交錯。
なぜそんな速度での剣技を、会話しながらこなせるのか。
周囲の団員たちも、その異常さに気づいたようで、どよめきが広がる。
「あの新人、王子と互角にやりあってんのか……」
「ノクスって言ったか? 生意気なヤツだと思ってたが、言うだけあるなあ」
皆、ノクスの剣捌きに驚いている。
けれど、私は違った。
殿下の動きが、ノクスの剣を確かに見切っている。
ノクスは精霊だ。
反応速度も筋力も、人間のそれを遥かに超えているはずなのに。
それなのに王子の剣は、当たり前のようにその速度についてきていた。
一つでもミスをすれば、即座に致命となる、ぎりぎりの攻防。
「楽しくなってきたぞ……どうした! その程度か!」
王子が一歩踏み込み、縦一文字に振り下ろす。
重さと速さを兼ねた一撃。
ノクスが片手で受け止め、訓練場の地面が揺れる。
「加減してやってんだよコラ!」
受け止めた勢いのまま、ノクスが肘を突き出す。
殿下が紙一重で後退し、距離を取る。
だがすぐに詰める。
殿下は下がりながら上段からフェイントをかけて、下段への変則斬り。
ノクスがそれを読み切って、逆に斜め下からのカウンターを放つ。
交錯、跳ねる、跳ぶ、回る。
まるで舞のように、あるいは死合のように。
二人は刃を交わし続ける。
「ちっせえ頃から手厚くご指導されて来たんだろ? それが限界か、王子サマ?」
「ハッ……! ならば、もう一段階いくか!」
それ以上の激突を、誰もが息を呑んで見守っていた。
……が。
バシッ!
爆ぜるような音が、すべてを断ち切った。
「――貴様ら」
音を立てて凍りつく空気の中、低く響く声が訓練場に落ちる。
「この場で殺し合いでも始める気か」
訓練場の誰もが背筋を伸ばした。
ガリンダ団長だ。
団長は二人の剣の間に入り、手でつかんで受け止めていた。
……手でつかんで受け止めていた?
ノクスも殿下も強くて凄いと思っていたけど、一番の化け物は団長かもしれない。
鋼の視線に、王子とノクスも無言で一歩引く。
「申し訳ない。つい、熱くなってしまったよ」
「チッ……あと少しだったんだがね」
剣を収める二人。
訓練場に、ようやく呼吸が戻ってきた。
ガリンダは小さく息を吐くと「お戯れも大概に」と一言だけ諫め、殿下を連れて訓練場を後にした。
空気が解けたのは、その数秒後だった。
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夜。
風呂に行ったふたりを見送って、私は部屋に戻る。
ベッドには、すでにモフモフのノクスが横たわっていた。
最近、この姿でいることが増えた気がする。
「……王子、すごかったね」
「――あぁん?」
「ノクスとあんなに渡り合えるなんて、ほんとびっくりしたよ」
「……おう、そういう意味か。あんなの全然本気じゃねぇよ」
ノクスは尻尾をバサリとこっちに向けて、寝返りを打つ。
「今日、ニヤけてたぞ。お前」
「べ、別にそんなこと……!」
「まあいいけどな。勝手にキラキラしてろよ、王子様に」
「……子供か」
拗ねたような言い方に、私は思わずくすりと笑みをこぼす。
そしてそっと、押しつけられた尻尾をなでた。
そのとき、ドアが開く。
「ただいまーっ!」
「今日は王様ゲームやりませんからね、レオン先輩」
ベレトとレオンが風呂上がりで戻ってくる。
レオンは上半身タオルをかぶったまま「王子ヤッバくなかった!?」とテンション高め。
「確かに、神々しさがありましたね。“光”という言葉をそのまま体現したような」
「うん……」
私は頷きながら、さっきまでの心のざわめきを思い出していた。
私なんかとは違う、あの人は遠い光。
でも、ほんの少しだけ。
その光に触れてみたいって思ってしまった。