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第14話 ベレトの力

「はあ……」


 今日、何度目のため息だろう。

 昨日のことを思い返すたび、胸がちくりと痛んだ。

 アストレイ王子との模擬戦。

 私の動きは完全に見切られ、手も足も出ずに倒されてしまった。

 相手が殿下ということもあって、全力を出せたわけではないけれど、それでもあれは無い。

 先輩団員達は「自分たちの中でも殿下に勝てる奴はほぼいない」と慰めてくれた。

 でも、それでも、悔しいものは悔しい。


「おい、ボケっとすんな。油断してるとまた押し倒されるぞ?」


 上段ベッドから聞こえた声に、びくっとなる。

 ノクスだった。

 人型の姿で、布団にくるまったままこちらを睨んでいる。


「う、うるさい……今日はちゃんとやるもん」


「はいはい、せいぜい頑張れよ。ま、王子サマ~好きにして~ってなら、止めねーけど」


 ノクスはそう言って、かっかっかと高笑いをした。

 私は握りこぶしに力を込めながら「覚えてなさいよ」と小さく呟く。

 なんであいつ、いちいちこういう言い方しかできないんだろう。

 まあでも、言う通りっちゃ言う通りだ。

 今日は、ちゃんとしなきゃ。




------




「お前ら、口動かす前に頭使えー。今はお喋りの時間じゃなくて、戦術訓練だぞー」


 そう言って、シャルド教官が地図と条件書を各班に配った。

 今回の訓練は、教官が今言った通り戦術のお勉強。

 騎士団の訓練はほとんどが身体を動かすものだけど、たまにこういう座学も含まれる。

 戦闘に活かすための魔法理論とか、騎士たるもの人格者であれと道徳とか。

 今日のテーマは、少人数での陣地防衛。

 こちら十名、相手は五十。

 使える魔法も資源も限られている中で、どう切り抜けるのか、が問われている。


「実際の戦争だとじっくり考える余裕も無いぞー。早さも大事だ、早さもー」


 シャルド教官は差し棒でテーブルをパンパン叩いて急かしてくる。

 この人、のほほんとした見た目で口調も間延びしてるのに、頭の回転はもの凄いんだよね……。

 他の団員たちが、地図を囲んで口々にアイデアを出し始めた。


「やっぱり砦に全員詰めて、助けが来るまで時間稼ぎじゃねえ?」


「いっそ正面から奇襲して、敵の主力をやっちまえば良いんだよ!」


「逆に正門を開けて誘い込んで――」


「――全部、却下だ」


 シャルド教官の一言で、場がしんと静まり返る。


「籠城をするには物資が足りないし、火力勝負もこの人数差では絶望的。

 下手に誘導なんかしてみろ、そのまま一気に押し崩されるか、背後に回られて挟み撃ちだー」


 パッと思いつく案は、どれも粉々になってしまった。

 誰もが黙りこくる中、すっと声が上がった。


「失礼します」


 ベレトだった。

 珍しい、あまり前に出ない彼が。


「この条件なら、教本の十八章にある可変式防壁陣を基盤に、敵の侵攻ルートを制御すべきです。

 遮蔽物と地形を生かし、侵攻してくる敵部隊を吸収することで、リソースを自然と削れます」


 地図に手を伸ばしながら、彼は淡々と説明していく。


「正解だー。よく教本を読み込んでるなー」


 教官が頷く。


「だが、この戦法にはひとつ大きな弱点があるー。敵の動きが早い場合――」


「その場合は遮蔽物の配置が間に合わず、吸収点が一方的に叩かれる可能性が高まります。

 そのため、陽動型副戦線を手前に配置し、侵攻速度に合わせて意図的にルートを広げたり狭めたりすることで、本陣への到達を抑制できます」


 教官の言葉をまるで待ち構えていたように遮って、ベレトが改善案を重ねた。

 そして、時が止まった。


「…………」


 場の誰もが沈黙する。

 それを破ったのは、シェルド教官だった。


「これは、教本を書き換える必要がありそうだなー」


「う、おお……」


「マジかよ……すげーなお前……」


 先輩団員たちがベレトを囲んで賞賛を浴びせる。

 私はそれを聞きながら、ただ呆然としていた。

 ベレトって、いつも本を読んでてのんびりしてて、体力訓練になるとすぐバテて休憩して。

 でも今目の前で見たのは、言葉一つで教官を唸らせる、圧倒的な知の力。


 別に馬鹿にしていたわけではないけれど、勝手に“こっち側なかま”だと思ってしまっていた。

 でも、違う。

 彼には他の誰より優れた力があるんだ。

 凡人の私とは、大違いだな。




------




 夕方、訓練が終わったあと。

 誰もいない裏庭の一角で、私は一人で木剣を振っていた。

 思いきり体を動かして、頭を空っぽにする。

 そんなことでもしなきゃ、劣等感に押し潰されそうだった。


「お疲れさまです。でも、無理なさらない方がいいですよ」


 声をかけてきたのは、他でもないベレトだった。


「あ、ありがと。……でも、ちょっとだけだからさ」


「そうですか」


 しばらく黙って私の動きを見ていた彼は、ふっと笑った。


「リシェドくんは、凄いですね」


 その発言に、私は思わず固まってしまう。

 今日の主役が何を言い出すのか。


「……俺? 全然だよ。それより、凄いのはそっちでしょ。

 『君にはもっと聞きたいことがあるー』って、シェルド教官に気に入られてたじゃん」


 のどを広げて低い声を出してみる。

 ちょっと似てたんじゃないだろうか。


「いえ、ボクは本で読んだ知識を並べただけですから」


「ふーん? その本を書き換えさせた張本人が、白々しいですなー?」


 じとっと横目で睨みながら言うと、ベレトは「勘弁してよ」と笑った。


「ボクは小さい頃から体が弱くて。でも騎士への憧れはあったので、本で戦術や戦史を知ることが楽しかったんです。今日のは、それがたまたま上手く活かせましたね」


「へぇ、小さい頃から。凄いなあ、好きこそものの……なんたらってやつだ」


 私は言葉が出てこずに、言った後で笑ってごまかす。

 ベレトは「上手なれ、ですね」とすかさずカバーを入れてくれた。


「ということは、リシェドくんは誰より騎士に向いている、ということになりますね」


「……え?」


 私は剣を止めた。


「好きなんですよね、騎士団が」


「う、うん。だけど、何で知ってるの?」


 私が騎士団に憧れていたことは、ベレト以外誰にも言っていない。

 だって、ダメダメな私がそんなこと言うと笑われそうだし。

 ベレトにでも聞いたのかな、でもアイツ、そんなこと言わなそうだけど。

 そう考えていると、ベレトは「ふふっ」と優しく笑ってから口を開いた。


「――わかりますよ。ずっと、見てますから」


 その一言が、あまりに自然で優しくて。

 風のない静まり返った裏庭に、彼の声だけが溶けていく。


 翡翠色の瞳が、真っ直ぐにこちらを射抜いていた。

 揺れも迷いもない、凪いだ湖面のような瞳。

 胸の奥を全て見透かされているような気がして、私は目を逸らすことができなかった。


 まるで、時が止まったみたい。

 どくん、と心臓の音だけがやけに大きく響く。


「う、あ……え、そ、それは……どういう……?」


 言葉がうまく出てこない。

 ようやく絞り出した声で尋ねると、ベレトはぱちりと瞬きをする。


「あ、え、ちがっ、いや違わないんですけど、その、そういう意味じゃ……なくはないですが……!」


 突然、焦りに染まった顔が真っ赤に染まる。

 普段はあんなに冷静な彼が、ここまでうろたえるなんて。


「ぷっ」


 思わず、笑いがこぼれた。

 肩を震わせて笑うと、ベレトも「あはは」とぎこちなく笑い始めて。

 いつの間にか、二人して大笑いしていた。

 どちらともなく、少しずつ声を落としながら、頬を緩めて見つめ合う。


「……なんか、ベレトって可愛いね」


 思わず漏らした本音に、ベレトが再度頬を赤らめる。

 その表情は夕焼けの光に溶けて、少しだけ切ないくらいに眩しかった。


 やがて、風が吹いた。

 落ち葉がさらさらと足元を通り抜ける音の中、私たちはぽつりぽつりと言葉を交わし続けた。

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