朝の訓練場には、いつもより緊張が漂っていた。
団員の四分の一ほどが集められ、部屋単位での班編成が告げられる。
私たち四人――ノクス、レオン、ベレト、そして私リシェルは、当然同じ班として並ばされた。
「今日の訓練は、いつもの基礎メニューではなく演習を行う」
教官の一声で、空気がぴりっと張り詰めた。
「仮想敵は黄の国。魔導干渉環境下での砦制圧を行う。
この演習場には、模倣機構による黄魔法の妨害魔術が展開されている。
各班はこれを突破し、教官陣が守る砦を制圧せよ」
演習場中央には、赤魔法で土を操って形成された簡易な砦がある。
「黄魔法って……確か、感覚を狂わせたり、魔力制御を乱したりする妨害系の魔法?」
隣でベレトが頷き、答えを補足しようとしたところ、先にレオンが口を開いた。
「厄介だよな、魔法が自分の思い通りに出なくなるって」
「さっき教官が言ってた、
「それは最近うちの国が開発した仕組みで、赤魔力を使って他の色の効果を“模した”魔法を発動できるんだ。たぶん、結界や地形の一部にそれが仕込まれてる」
私は思わず息を呑んだ。
そんな仕組みが……。
「すごいよなー、ソレさえあれば何でもできちゃうんだもんな」
「そうですか?」
口をはさんだのはベレト。
「魔法の色というのは、人間が天から与えられた唯一無二の個性です。
それを捻じ曲げようとしたり、あまつさえ色で人の価値を決めようだなんて考えは――……」
そこまで言って、はっとしたような表情をする。
「……と、書いてあるのを以前何かの本で読んだことがあるんです……!」
わざとらしくひとさし指を立て、あははと笑った。
レオンは「一理あるな―」と頷いていたが、私はそれよりも、一瞬だけ見せたベレトの冷たい表情がやけに心に残った。
そのもやもやをかき消したのは、近づいてきた教官の声。
「お前ら新人は、すまんが補助だ。演習が滞りなく進むようサポートを頼む。
混乱が起こった場合は緊急支援に回る可能性もあるが、指示があるまで待機を厳守しろ。
……特に、ノクス」
「あん?」
「今日の演習は殿下が視察に来られている。以前のような無礼は慎めよ」
「殿下……あのいけすかねえ優男か」
「ノクス!」
私はノクスを制しながら、視線を巡らせる。
視察台には、王子――アストレイ殿下の姿があった。
真っ白な衣装に黄金の髪。
静かな眼差しで演習場を見下ろしている。
あくまで視察者としての立場。
その視線が、特定の誰かに向けられているわけではない……はずなのに。
「おい、ぼーっとすんな」
「してない!」
ノクスに軽く小突かれながら、私は拳を握り直した。
大丈夫。
別に、私を見てほしいなんて思っていない。
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「それでは、演習開始!」
教官の掛け声を合図に、各班が結界内に突入していく。
黄色い光の粒が漂う黄魔法結界の中、魔法の制御が狂い、火球や雷撃が意図しない方向へ飛ぶ場面が散見された。
「ぐっ……また暴発!?」
「ちくしょう、照準が合わない!」
苦戦するのは、騎士団の中でも主に経験の浅そうな若手たち。
「何かコツでもあるのかな?」
私は小さく呟いた。
ベテラン団員や砦を死守する教官たちは、黄魔法の干渉下でもある程度まともに魔法を扱えている。
それは経験の差か、それとも制御方法に何か秘訣があるのか。
そんなことを考えていた、その時だった。
「模倣結界、魔力値異常! 装置に逆流反応、暴走するぞ!」
場内に指揮官の怒声が響いた。
瞬間、演習場の中央に設置されていた黄魔法模倣機構が、閃光を放ちビリビリと震え出す。
「結界の干渉軸が崩壊していく!? そんな……あれが壊れるなんて……!」
装置の異常により、展開されていた黄魔法の妨害結界が急激に乱れた。
その影響で、場内で展開されていた複数の赤魔法、火球や雷撃が、本来の制御を失い引き寄せられるように一点へ集束していく。
そして次の瞬間、それは爆ぜるように暴発した。
解放された高密度の赤魔法が、一直線に演習場の外へと飛翔する。
誰もが、その光の軌道を追った。
その先にあったのは、視察台。
そして、この国の未来を背負って立つお方。
「やばい……!」
「防御は!? 間に合わない――!」
「止めろ! 誰か、急げッ!」
慌てて教官たちやベテラン団員が構えようとするが、暴走した魔法は速かった。
誰もが遅れる。
誰の脚も誰の魔法も、間に合わない。
ガリンダ団長がいれば、と一瞬思った。
でも団長は、今日は別部隊の訓練を担当している。
ここにはいない。
あの魔法が視察台に届くまで、もう数秒もない。
私は、走っていた。
「お、おい待て! リシェ――!」
「――『ノクタウェイト』」
レオンの声が背中で遠ざかる。
私は低く呟いて、地を踏みしめる足に魔力を流した。
足元に黒い霧が集う。
空間がきゅっと歪む感覚。
重力が私を押し下げるのではなく、前へと引っ張り上げる。
爆発するような推進力。
私は空気を斬って、跳ねるように飛んだ。
視界が伸びる。
風が頬を裂き、肌に針のように突き刺さる。
赤魔法の集合体が目前に迫る。
熱と光と、破壊の塊。
「――……」
スウッと息を吸い込み、拳を握る。
私はもう一度、呟いた。
「『ヴォイド』」
魔力が、拳に灯る。
揺らめく影が、闇の膜のように私の拳を包む。
これは重力操作ではない、闇魔法のもう一つの力。
魔法の
つまり、赤・青・黄・白・黒――どの色の魔法であっても、闇魔法はその効力を消し去ることができるらしい。
と言っても、中々実践する機会はなく、ぶっつけ本番ではるんだけど。
ここまで来たらもう、やるしかない。
私はそのまま、せまり来る赤の魔法に突っ込んだ。
音はなかった。
爆発もなかった。
火球は、霧が解けるように崩れた。
それはまるで、夜の闇に溶けていったかのよう。
――……っ。
私は、勢いのまま視察席の足元に転がり込んだ。
そのすぐ先に、殿下が立っていた。
ひと筋の髪も乱さず、ほんの指先すら動かしていなかった。
まるで最初から、逃げるという選択肢など存在しなかったかのように。
青の瞳が、まっすぐ私を見下ろしている。
息をするのも忘れるほど、眩しかった。
「無茶をしたね」
落ち着いた声が、思考を引き戻す。
「……放置すれば、殿下が危ないと、思いました」
私はなんとか声を絞り出した。
王子は静かに頷く。
「いざという時、咄嗟の判断で身体が動く者は決して多くない。
まして、自らを危険に晒してまで誰かを守ろうとする者はさらに少ない」
温かい声音。
「だが、その自己犠牲の精神こそが、騎士にとって最も尊ぶべき資質だと私は思っている」
言葉のひとつひとつが、胸の奥に深く沈んでいく。
私なんかが、あの場所で動いたことに意味があるのだと。
そう言ってくれているようで、喉の奥が熱くなった。
「リシェド、と言ったね」
私は、小さく頷く。
「ありがとう。新入りながら、君はもう立派な騎士だ」
その一言を残して、王子はゆっくりと背を向けた。
優雅な所作で階段を上り、再び視察席に戻っていく。
私はしばらく、その背中を見つめていた。
何かが胸の奥にぽっと灯ったようで、でもそれが何なのかはまだ言葉にならない。
やがて、周囲からざわめきが押し寄せてくる。
「おい今の見たか!?」
「あの新人、王子を救ったぞ……!」
「魔法を素手で吹き飛ばした……? マジ……?」
我に返った瞬間には、もう遅かった。
先輩団員たちが、わっと私の周囲を囲んでいた。
嬉しいけど、勢いがすごすぎる。
わたわたと応じきれずに困っていたそのとき、
「――へいへい、どきなオッサンども」
ぐいっと肩を抱えられたと思ったら、ノクスが私の体を軽々と持ち上げていた。
「わっ……ちょ、ちょっと!」
「ったく、目立ちやがって。あんまヒヤヒヤさせんなよ」
頭上からぼやくノクスの声。
私は彼に抱えられたまま、くすっと笑った。
「えへへ。でも、あのときノクスが教えてくれたの、役に立ったよ」
「へー、そりゃ良かった。じゃあ次はもっとスゲェの教えてやるよ」
「やだ、それは遠慮したい……!」
くるくると目まぐるしい一日だった。
でも、誰かを救えたこと。
騎士だと言ってもらえたこと。
そして、こうして皆と笑っていられる今が、なんだかとても嬉しい。
吹き抜ける風が心地いい。
空が、いつもより少しだけ高く見えた。