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第16話 もう一つの闇魔法

 朝の訓練場には、いつもより緊張が漂っていた。

 団員の四分の一ほどが集められ、部屋単位での班編成が告げられる。

 私たち四人――ノクス、レオン、ベレト、そして私リシェルは、当然同じ班として並ばされた。


「今日の訓練は、いつもの基礎メニューではなく演習を行う」


 教官の一声で、空気がぴりっと張り詰めた。


「仮想敵は黄の国。魔導干渉環境下での砦制圧を行う。

 この演習場には、模倣機構による黄魔法の妨害魔術が展開されている。

 各班はこれを突破し、教官陣が守る砦を制圧せよ」


 演習場中央には、赤魔法で土を操って形成された簡易な砦がある。


「黄魔法って……確か、感覚を狂わせたり、魔力制御を乱したりする妨害系の魔法?」


 隣でベレトが頷き、答えを補足しようとしたところ、先にレオンが口を開いた。


「厄介だよな、魔法が自分の思い通りに出なくなるって」


「さっき教官が言ってた、っていうのは?」


「それは最近うちの国が開発した仕組みで、赤魔力を使って他の色の効果を“模した”魔法を発動できるんだ。たぶん、結界や地形の一部にそれが仕込まれてる」


 私は思わず息を呑んだ。

 そんな仕組みが……。


「すごいよなー、ソレさえあれば何でもできちゃうんだもんな」


「そうですか?」


 口をはさんだのはベレト。


「魔法の色というのは、人間が天から与えられた唯一無二の個性です。

 それを捻じ曲げようとしたり、あまつさえ色で人の価値を決めようだなんて考えは――……」


 そこまで言って、はっとしたような表情をする。


「……と、書いてあるのを以前何かの本で読んだことがあるんです……!」


 わざとらしくひとさし指を立て、あははと笑った。

 レオンは「一理あるな―」と頷いていたが、私はそれよりも、一瞬だけ見せたベレトの冷たい表情がやけに心に残った。

 そのもやもやをかき消したのは、近づいてきた教官の声。


「お前ら新人は、すまんが補助だ。演習が滞りなく進むようサポートを頼む。

 混乱が起こった場合は緊急支援に回る可能性もあるが、指示があるまで待機を厳守しろ。

 ……特に、ノクス」


「あん?」


「今日の演習は殿下が視察に来られている。以前のような無礼は慎めよ」


「殿下……あのいけすかねえ優男か」


「ノクス!」


 私はノクスを制しながら、視線を巡らせる。

 視察台には、王子――アストレイ殿下の姿があった。

 真っ白な衣装に黄金の髪。

 静かな眼差しで演習場を見下ろしている。

 あくまで視察者としての立場。

 その視線が、特定の誰かに向けられているわけではない……はずなのに。


「おい、ぼーっとすんな」


「してない!」


 ノクスに軽く小突かれながら、私は拳を握り直した。

 大丈夫。

 別に、私を見てほしいなんて思っていない。




------




「それでは、演習開始!」


 教官の掛け声を合図に、各班が結界内に突入していく。

 黄色い光の粒が漂う黄魔法結界の中、魔法の制御が狂い、火球や雷撃が意図しない方向へ飛ぶ場面が散見された。


「ぐっ……また暴発!?」


「ちくしょう、照準が合わない!」


 苦戦するのは、騎士団の中でも主に経験の浅そうな若手たち。


「何かコツでもあるのかな?」 


 私は小さく呟いた。

 ベテラン団員や砦を死守する教官たちは、黄魔法の干渉下でもある程度まともに魔法を扱えている。

 それは経験の差か、それとも制御方法に何か秘訣があるのか。

 そんなことを考えていた、その時だった。


「模倣結界、魔力値異常! 装置に逆流反応、暴走するぞ!」


 場内に指揮官の怒声が響いた。

 瞬間、演習場の中央に設置されていた黄魔法模倣機構が、閃光を放ちビリビリと震え出す。


「結界の干渉軸が崩壊していく!? そんな……あれが壊れるなんて……!」


 装置の異常により、展開されていた黄魔法の妨害結界が急激に乱れた。

 その影響で、場内で展開されていた複数の赤魔法、火球や雷撃が、本来の制御を失い引き寄せられるように一点へ集束していく。

 そして次の瞬間、それは爆ぜるように暴発した。


 解放された高密度の赤魔法が、一直線に演習場の外へと飛翔する。

 誰もが、その光の軌道を追った。

 その先にあったのは、視察台。

 そして、この国の未来を背負って立つお方。


「やばい……!」


「防御は!? 間に合わない――!」


「止めろ! 誰か、急げッ!」


 慌てて教官たちやベテラン団員が構えようとするが、暴走した魔法は速かった。

 誰もが遅れる。

 誰の脚も誰の魔法も、間に合わない。

 ガリンダ団長がいれば、と一瞬思った。

 でも団長は、今日は別部隊の訓練を担当している。

 ここにはいない。

 あの魔法が視察台に届くまで、もう数秒もない。


 私は、走っていた。


「お、おい待て! リシェ――!」


「――『ノクタウェイト』」


 レオンの声が背中で遠ざかる。

 私は低く呟いて、地を踏みしめる足に魔力を流した。


 足元に黒い霧が集う。

 空間がきゅっと歪む感覚。

 重力が私を押し下げるのではなく、前へと引っ張り上げる。


 爆発するような推進力。

 私は空気を斬って、跳ねるように飛んだ。


 視界が伸びる。

 風が頬を裂き、肌に針のように突き刺さる。

 赤魔法の集合体が目前に迫る。

 熱と光と、破壊の塊。


「――……」


 スウッと息を吸い込み、拳を握る。

 私はもう一度、呟いた。


「『ヴォイド』」


 魔力が、拳に灯る。

 揺らめく影が、闇の膜のように私の拳を包む。

 これは重力操作ではない、闇魔法のもう一つの力。

 魔法の


 闇の精霊ノクス曰く、色というのは光が無いと視認できないものであり、闇魔法はその光を奪う性質を持っている。

 つまり、赤・青・黄・白・黒――どの色の魔法であっても、闇魔法はその効力を消し去ることができるらしい。


 と言っても、中々実践する機会はなく、ぶっつけ本番ではるんだけど。

 ここまで来たらもう、やるしかない。

 私はそのまま、せまり来る赤の魔法に突っ込んだ。


 音はなかった。

 爆発もなかった。

 火球は、霧が解けるように崩れた。

 それはまるで、夜の闇に溶けていったかのよう。


 ――……っ。


 私は、勢いのまま視察席の足元に転がり込んだ。

 そのすぐ先に、殿下が立っていた。

 ひと筋の髪も乱さず、ほんの指先すら動かしていなかった。

 まるで最初から、逃げるという選択肢など存在しなかったかのように。

 青の瞳が、まっすぐ私を見下ろしている。

 息をするのも忘れるほど、眩しかった。


「無茶をしたね」


 落ち着いた声が、思考を引き戻す。


「……放置すれば、殿下が危ないと、思いました」


 私はなんとか声を絞り出した。

 王子は静かに頷く。


「いざという時、咄嗟の判断で身体が動く者は決して多くない。

 まして、自らを危険に晒してまで誰かを守ろうとする者はさらに少ない」


 温かい声音。


「だが、その自己犠牲の精神こそが、騎士にとって最も尊ぶべき資質だと私は思っている」


 言葉のひとつひとつが、胸の奥に深く沈んでいく。

 私なんかが、あの場所で動いたことに意味があるのだと。

 そう言ってくれているようで、喉の奥が熱くなった。


「リシェド、と言ったね」


 私は、小さく頷く。


「ありがとう。新入りながら、君はもう立派な騎士だ」


 その一言を残して、王子はゆっくりと背を向けた。

 優雅な所作で階段を上り、再び視察席に戻っていく。

 私はしばらく、その背中を見つめていた。

 何かが胸の奥にぽっと灯ったようで、でもそれが何なのかはまだ言葉にならない。

 やがて、周囲からざわめきが押し寄せてくる。


「おい今の見たか!?」


「あの新人、王子を救ったぞ……!」


「魔法を素手で吹き飛ばした……? マジ……?」


 我に返った瞬間には、もう遅かった。

 先輩団員たちが、わっと私の周囲を囲んでいた。

 嬉しいけど、勢いがすごすぎる。

 わたわたと応じきれずに困っていたそのとき、


「――へいへい、どきなオッサンども」


 ぐいっと肩を抱えられたと思ったら、ノクスが私の体を軽々と持ち上げていた。


「わっ……ちょ、ちょっと!」


「ったく、目立ちやがって。あんまヒヤヒヤさせんなよ」


 頭上からぼやくノクスの声。

 私は彼に抱えられたまま、くすっと笑った。


「えへへ。でも、あのときノクスが教えてくれたの、役に立ったよ」


「へー、そりゃ良かった。じゃあ次はもっとスゲェの教えてやるよ」


「やだ、それは遠慮したい……!」


 くるくると目まぐるしい一日だった。

 でも、誰かを救えたこと。

 騎士だと言ってもらえたこと。


 そして、こうして皆と笑っていられる今が、なんだかとても嬉しい。

 吹き抜ける風が心地いい。

 空が、いつもより少しだけ高く見えた。

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