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ドナエル河の戦い 3

ドナエル河の中洲。


 ドワーフの工兵ガルドは、増水した河水と霧で全身ずぶ濡れになりながら舟橋の固定作業を終えた。

 秋の夜気が濡れた体の芯まで冷やし込む。かじかむ指をこすりながらガルドは指示を飛ばした。


「よし全員渡れ」


 中洲まで船橋をあっという間に完成させると、工兵隊と護衛兵が迅速に渡河してくる。


「作業に入る、頼んだぞ」


 護衛兵にそう告げると、彼はハンマーを握り直した。橋頭堡の構築は時間との勝負。朝までに拠点を整えねば、長耳共の無慈悲な矢に晒される。


「火酒が飲みてぇな」

「我慢しろ、朝になったら浴びるほど飲んでから高いびきだ」


 ドワーフ達の士気は高い、一巡続いた膠着を打破できるのが、しばしば”穴掘りもぐら”だの”大工”と嘲られる自分達なのだ。

 まして太祖が父祖たるドワーフ達を率いて一夜で城を築いたという伝説の再来。

 上層部も日に日に機嫌の悪くなる総大将だいさんおうじの存在に焦ったのだろう。

 あまりにもあっさり橋が架かったなんのぼうがいなかったことに――誰も、疑問を抱こうとはしなかった。



「なぁいくらなんでも霧が濃すぎないか?」


 雨上がりで川霧が出る、おかしなことではないが、太陽が出て空気が温められている訳でもないのに、あまりに霧濃い。

 護衛兵の疑問に誰か応える直前、霧の奥から微かな水音が響いてくる。

 最初は流れのざわめきと思った。


「警戒しろ!」


 ただの自然現象、あるいはその異常、それは精霊使いによる襲撃の合図。

 分隊長の命令と同時に、川面が異様に盛り上がる。

 水の壁のような奔流が、護衛兵たちを襲った。

 悲鳴と混乱。咄嗟に銃を濡らさぬ用に体で守れた熟練兵は僅かだった。

 ずぶ濡れになった帝国兵達の眼前に、霧を裂いて数隻の小舟が飛び込んでくる。


 水の精霊を召喚し推進力に変える精霊舟。

 ドナエル河の渡守をしていた海エルフ(水中行動に適応した支族、水エルフ、川エルフ)達が操るそれは水の流れを無視し縦横無尽に、全力疾走する馬を超える速度で護衛兵達に襲いかかる。


「敵襲ッ!」


 護衛兵の叫びが上がるより早く、火矢が舟橋に降りかかる。


「不味い消火じゃ!」


 防火対策はしているが橋が焼け落ちれば中洲で孤立する。

 ガルドの懸念を肯定するように、舟から壺が投擲される、狙い誤らず橋に直撃し壺が割れると油が広がり炎が強くなる。


 護衛兵達が銃を構えるが――濡れた銃が火を噴くことはない。

 バラバラと弾が放たれるが、水飛沫を上げて動き回る船にはかすりもしない。

 お返しとばかり矢と投槍が降ってくる。


「くそっ」「総員着剣!陣を組め、負傷兵を内側に入れろ、工兵隊を守るんだ!」


 分隊長が声を張り上げ部下達を統制しようとする。

 それを嘲笑うように、水の精霊達が水流を束ねあげ、濁流となり渡された舟橋を襲い押し流していく。


「あ、あぁ……」


 恐怖が帝国兵達の心を押し潰す、退路を失い、頼みの綱の銃は使い物にならない。

 舟のうちの一隻が意図的に突っ込んでくる、乗船していたエルフ達が河に飛び込むと同時に火の手がああがる。


「な、何をする気だ……」


 燃え盛る船底には帝国軍の陣地から盗み出した火薬が積まれているなど知る良しもない。

 無人のまま水上を走る火舟が、陣地構築用に運び込まれていた資材、火薬、砲弾の集積所にが突っ込んだ次の瞬間、轟音とともに爆炎が夜空を裂いた。

 炎の柱が立ち上がり資材が吹き飛ぶ。

 帝国兵達の悲鳴が衝撃波と火煙にかき消されていった。



「抵抗してくれて良いのよ?」


 爆発の衝撃に打ちのめされ、煤と泥水で薄汚れた帝国兵達の前に、槍や弓を構えたエルフ達を従え、シルヴィアが降り立つ。


「『月の瞳』だ!」


 故郷を焼かれ帝国への復讐を誓うエルフ達の傭兵団、その中でも一際恐れられるダークエルフの女戦士。

 月神の瞳が刺繍された黒の眼帯で両の目を覆う異相が、可愛らしく小首を傾げる仕草が死の宣告のように帝国兵達を震え上がらせる。

 ガチガチと歯を震わせながら、必死に銃剣を構えるもの。

 カチンカチンと無駄に引き金を引き続けるもの。

 それを見渡してシルヴィアは笑みを浮かべる。


「今宵、月の御方は勇敢な戦士の魂を欲しておられるわ」


 さぁ忠勇なる帝国の勇士達、今宵私と踊ってくれるのは、だぁれ?

 満月と炎上する橋に照らされた狂気のダークエルフがそう再度問いかける。


「さぁ誰から?」


 無邪気な声音と微笑みに宿る月の狂気。

 眼帯越しに爛々と光る瞳に帝国兵達の心がへし折られる。


「降伏する」


 もう戦えない。そう判断した分隊長が武装解除を命じる。何より熟練の工兵隊はこの軍団の宝だ、ここで失うわけにはいかない。


「残念だけど、とてもお利口さんで勇敢な判断ね、あなた月の勇士に相応しいわ」


 最上の賛辞を送りながら心底残念そうにシルヴィアは降伏を受け入れた。





 中洲へ渡った工兵隊と護衛隊が丸ごと捕虜になる。

 その報せに第三皇子レオンハルトが癇癪を爆発させたのは言うまでもない。



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