帝国暦669年 稲穂月・七の月 第四巡 ドナ平原内の屯田村
刈り入れを終えた麦の束が、村の広場の片隅に積み上げられている。
乾いた穂からは、夏を思わせる穀物の香りが立ち昇っていた。
女たちは穀袋に麦や乾物を詰め、老人たちは牛車の車輪を確かめていた。
どこか緊張した空気の中、それでも人々は口数少なく、しかし確かな手つきで避難の準備を整えていた。
帝国からの侵攻に備え、屯田兵として夫、父や息子が招集され、残された女子供老人達。
彼らの護衛として駆り出されたのが王国山岳旅団の各隊であった。
旅団とは言うものの、旅団長が一線を退いた将軍である為の書類上の分類であり、実際の規模は大隊程度しかない。
しかも構成員の多くは予備役の軍人や戦傷軍人で、とても正規の作戦に動員できる戦力ではなかった。
そんな旅団内の唯一の例外。
ヤマイヌ隊、自称「山賊団」正規の軍隊には馴染めないはぐれ者、食い詰め浪人、脛に傷を持つ者、亡国からの移民達寄せ集め。
それを中央から左遷されてきた兵站参謀が掌握し、旅団長の「好きにやりんさい」とお墨付きを得た、いわば愚連隊。
「ぐずぐずすんじゃないよ野郎共!他の部隊との合流予定日は三日後なんだ、爺ばかりの他の隊より遅れたらいい笑いモンだよ!」
ごろつきや山賊崩れをまとめ上げるのは副長の女傑ヴァネッサ、齢300を超えると噂のダークエルフの精霊使いが配下の男共を叱咤激励し粛々と避難の準備を進めてる。
普段は無軌道な荒くれどもだが、副長の命令には従順、誰もふざけることなどはできない。
「おい、ばあさん無理すんな力仕事は俺達に言えよ」
「すまないね兵隊さん」
山のような背をした中年男が、汗をぬぐいながら苦笑する。
「ここの男達と違って、俺らは戦働きができねぇんだ、遠慮なんかしなくていいんだぜ」
その言葉に自嘲と悔しさが滲んでいた。彼の故郷は帝国に併呑され地図から消えた、そういった者がこの隊には多い。
多少クセは強いが、この中隊は他の旅団の兵と違い十分に戦える。前線に志願すべきでは?という意見は隊内でもあがっていた。
「まあ、考えておく」
珍しく言葉を濁した隊長に、大男は静かに視線を向けた。
彼は、避難の手伝いもできない幼子らの相手を、副官の“お嬢ちゃん”とともにしている姿を見つめる。
(何を考えているんです? 若)
大男とは同郷であり、王家に連なる貴族の子息であった彼が何を考えているのか、それは解らなかった。
子供らの楽しげな笑い声が、青く澄んだ空に高く響く。
戦の匂いも、避難の意味も知らぬ幼子達にとって降って湧いた非日常が彼ら彼女らの心を躍らせる。
「おねーちゃん、耳が尖ってる!エルフ!?エルフさんなの!?」
「い、いえ私はーー」「まほーつかって!せいれいさんみせてー!」
副官の少女、エリィが子供らに囲まれ、あたふたと困っていた。
童顔で小柄な彼女は、むくつけき他の隊員と違い、子供らを怖がらせない。
我ながら上手い配置だヤマイヌの隊長、アルベルト……アルは自画自賛する。
そんな彼に何かがよじ登って来ーー
「むにっ」
「お嬢ちゃん、何をしてるんだい?」
不意に無精髭を引っ張られ、アルベルトは顔をしかめそうになる。
よじ登ってきたのは、三、四歳ほどの女の子。
嬉しそうに彼の髭を引っ張っている。
「おじさんだけサボってるからおしおきだよ、おとーさんはこうやってヒゲをひっぱると、すごくいたがるの」
「ミレヤ!」
子供達のまとめ役であるサーシャが慌てて飛んできてミレヤと呼ばれた少女を引き剥がしにかかる。。
「すみません、すみません」
「気にするな、親父さんが出征して内心不安なんだろう」
そう言いアルはミレヤをひょいと抱き上げた。小さな身体が笑い声とともに宙に浮く。
「おじさんの仕事はここに来た時点で終わってるんだサボってるわけじゃない?わかるかい?」
「わかんなーい」
「ちと難しかったか」
数回高い高いをしてやるとはしゃぎ疲れたのか、ミレヤの目つきがとろんとしてきたのでサーシャに手渡す。
「ありがとうございました」
「なに、副官が密かにこっちを睨んでるのでな、多少は俺も子守をしないと後が面倒なんだ」
他の幼子達もミレヤばっかりずるーい、と口々に訴えるので高い高いをしてやる羽目になった。
「元気なのは良いことだ」
少々胡乱な見た目の部隊が来たので内心警戒していたのだろうサーシャの表情が少し和らぐ
「あの、隊長さん」
「なんだ?」
「私達これからどうなるんでしょう」
十四歳だというサーシャは、大人びた口調の奥に、不安を隠しきれなかった。
この地で生まれ育った彼女には、今がどれほどの危機なのか、理解っているのだろう。
「まぁ、そうだな……結果がどうあれ、九の月には村に戻れるんじゃないか?」
「結果が、どうあれ……ですか」
その言葉を噛みしめるように、サーシャが繰り返す。
アルの目には、戦争が続けられるのはせいぜいそこまでだと映っていた。
王国の余力は限られており、国力差を思えば、持久戦は望むべくもない。
共和国次第だが、かつて留学して、かの国の現状を知っているアルにはあまり良い未来は見えなかった。
民にしてみれば、さっさと王国が負けた方が良いかもしれない。
出征した男達もより多く帰って来るだろう。帝国の支配自体が今は穏やかだ。
戦争が早く終われば村に戻り、豆を植えて、冬に備える準備もできるだろう。
この地の支配者が帝国に代わっていようとも、畑を耕す者にとっては、収穫の方がずっと重要なのだ。
「しばらくの辛抱だよ」
「……はい」
少女の手の中、小さなミレヤがすやすやと眠りに落ちていた。
こんな穏やかな日常が、永遠に続いて欲しい、サーシャはそう思うのだった。