今の多様性社会では、「まず見た目では性別を決めつけられない」という前提がありますね。あくまで男性的、女性的ということまでしか言えず、男性的な女性もいれば、女性的な男性もいる。それ以外の多様な性もある。ここらへんの多様性のフェーズが、どこまでクリエイターが把握できるのかというのは一つの課題です。性別不詳のキャラクターというのは古来から存在するわけですが、容姿で見るのではなく性格や行動で見る。それは、性別に限った話ではなく、人種でもそうです。日本人の中年以上の大人は外国人風の人を見て、「ガイジン」と言いますけれども、日本で生まれ育った日本人だけど外見が外国人風なだけの人もいる。ここらへんが、日本という島国での特殊なクリエイティブ事情を生み出している可能性があります。話が逸れましたけれども、キャラクターの内面と外見、ここらへんの扱いが今後どのように変容するのかは見ものです。クリエイティブ作品で遺されたものは、現代の日本人のジェンダー認識の変容を今後の将来の人たちが「このような過程を経て現在に至ったのだ」と把握する貴重な資料ともいえ、きわめて真摯に向き合わなければならないテーマであるわけですが、なかなかそこの本質の部分に踏み込めていない現状があると思います。やっぱり、私も含めて、アップデートしているつもりでも、義務教育で植え付けられた常識を上書きするのは難しく、その常識という偏見を打破してこそ真のクリエイティブにたどりつく、と私は見ております。
ところで、先生の『プラスチックの恋人』論ですが、閲覧できない状態ですね。何か不具合でしょうか?
四森