「真の欲望」を暴き、他者の意図まで見透かすような招待状。
そして、その光を捉え、静かに見つめる謎の男。
紡の日常は、もう「空っぽ」なだけではいられない。
暗い夜の
翌日。
昨夜の出来事が、まるで悪夢のように現実離れしていた。
駅前のカフェで見かけた男。
あの視線は、決して気のせいではなかったはずだ。
(一体、誰だったんだろう……?
そして、なぜあの時、こっちを見ていた?)
あの男のことが頭から離れない。
もしかしたら、この招待状の謎について、何か知っているのかもしれない。
しかし、見慣れない人物にどう声をかければいいのかも分からない。
大学の講義を終え、図書館で課題に取り組んでいた時のことだ。
ふと、視界の隅に、見覚えのある黒いコートが映り込んだ。
(あの人……!)
昨日カフェで見かけた男だ。
まさか、こんな場所で再会するとは。
すぐに顔を伏せ、男の様子を窺った。
書架の間をゆっくりと歩き、時折、棚から本を手に取っては、その内容を吟味しているようだった。
本当にただの利用客?
それとも、紡を追って……?
心臓がドクン、と音を立てる。
しかし、同時に、抗いがたい好奇心が湧き上がってきた。
この招待状の謎に、一歩近づけるかもしれない。
そう思うと、震える足を無理やり動かし、彼の後を追った。
その男は、哲学や宗教学の棚で立ち止まっていた。
その中に、一冊の古びた洋書が目についた。
背表紙には、見慣れない文字が羅列されている。
その本を手に取った瞬間、紡の視界の片隅で、ポケットの中の招待状が、微かに、ごく微かに光った気がした。
(まさか……この本が、関係あるの?)
あの男は、その本を手にカウンターへと向かおうとした。
紡は、意を決して彼の背中に声をかけた。
「あの……すみません!」
男は、ゆっくりと振り返った。
その顔は、キャップの影に隠れてはいたが、切れ長の瞳が、獲物を捕らえるかのように紡を射抜いた。
ゾクリ、と背筋に冷たいものが走る。
(まるで、林 耀の……あの時の視線に、似ている……?)
「何か?」
低く、しかし芯のある声が響く。
「えっと……その、今、お手に持っている本……珍しいものだなと思いまして……」
紡は咄嗟に言葉を紡いだ。
こんな出任せを言う自分に、内心驚く。
男は、手に持つ洋書を一瞥し、紡に静かに向き直った。
「これは、禁書とされる書物。
人の『真の欲望』を読み解き、現実を歪めると言われている。」
男の言葉は、図書館の静寂の中に、異質な響きを伴っていた。
紡は、心臓を鷲掴みにされたかのような衝撃を受けた。
(『真の欲望』……!?)
招待状と同じ言葉。
この男は、やはり招待状と関係がある。
「あの……っ!」
その時、スマホが震えた。
画面には「林 耀」の文字。
林 耀からの着信に、紡は一瞬、戸惑った。
その隙に、男は無言で会釈し、くるりと踵を返してカウンターへと歩み去ってしまった。
紡は、慌てて追おうとしたが、男はすでに、図書館の自動ドアの向こうに消えていた。
悔しさで唇を噛む。絶好の機会を逃してしまった。
その日の夕方。
バイトからの帰り道。
スマホを見ると、林 耀からメッセージが来ていた。
『今日は少し話したいことがあって、電話しました。
もし差し支えなければ、明日の夕食、ご一緒できませんか?』
(話したいこと……?)
林 耀からの誘いに、紡は戸惑いを隠せない。
図書館でのあの男。
そして、招待状の「理解者の仮面を被る者を見極めろ」というメッセージ。
林 耀の言葉は、まるでそのメッセージを裏付けるかのように、紡の心をざわつかせた。
本当に、林 耀の言葉を信じて良いのだろうか。
その優しさは、偽りなのか。
ポケットの中の招待状をそっと握りしめた。
その紙片は、微かに熱を帯びていた。
そして、かすかに、何かが脈打つような感覚がする。
まるで、紡の心の動揺を、じっと観察しているかのように。
『警戒せよ。
表面の言葉に惑わされるな。
真の意図は、常に奥深くに隠されている。』
招待状のインクが、微かに光りながら、再びメッセージを紡ぎ出した。
それは、まるで林 耀からの誘いに対する、明確な警告のように響いた。
(この招待状は、一体、私の何を導こうとしているの……?)
紡の心は、混迷の淵へと沈んでいく。
(つづく)