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第2章:才能と支配の螺旋

第11話:覗かれた根源

翌日、大学を終えた紡は、地図アプリで「天響研究所」の場所を検索していた。

焼失した研究所の跡地は、郊外の、ほとんど人通りのない山間に位置していた。

公共交通機関ではアクセスしづらく、最寄りのバス停からもかなり歩かなければならない。


(林さんは、こんな場所で、一体何を見ていたんだろう……?)


心臓が、まるで何か悪い予感を告げているかのように、ドクンドクンと不規則に脈打つ。

林 耀の「真の欲望」の根源がそこにあると神崎は言った。


恐怖はあった。

だが、それ以上に、自分を突き動かす「空っぽ」な心の根源が、あの火災で何かを失った林 耀の闇とどこかで通じているような気がして、抗いがたい衝動に駆られていた。



バスを降り、荒れた山道をしばらく歩くと、やがて視界が開けた。

そこに広がっていたのは、緑に覆われた、広大な廃墟だった。

かつて最先端の研究を誇った場所だというが、今はただ、朽ちた鉄骨と崩れ落ちたコンクリートの残骸が、虚しく風に揺れている。

建物の大部分は、焼け焦げた黒い塊と化しており、その凄まじい火災の爪痕を物語っていた。


奇妙なことに、風が吹いているはずなのに、廃墟の中には音がなかった。

時が止まったかのような静寂に、紡は現実感が薄れていくのを感じる。


紡は、ポケットの中の招待状をそっと握りしめた。

まるで心の拠り所を求めるように。


近づくにつれて、招待状が、微かな熱を帯び、脈動を始めた。

ここが「共鳴」の場所であることを、紡に告げているかのようだ。


崩れかけた入り口を潜り、内部へと足を踏み入れる。

空は晴れているはずなのに、廃墟の中は、どこか薄暗く、湿った空気が漂っていた。

埃っぽい匂いと、焦げ付いたような独特の匂いが混じり合う。

足元には、散乱したガラスの破片や、用途不明の金属片が転がっている。


(ここで、何があったんだろう……)


紡は、林 耀がかつてここにいた幼い少年だったことを思い出した。

この焼け焦げた場所で、林 耀は何を経験したのか。


その時、紡の足が、錆びついた金属の板を踏み抜いた。

ギィン、という耳障りな音が響き、足元がぐらりと傾ぐ。

思わずバランスを崩し、手を壁についた。

その壁もまた、黒く煤けていたが、触れた瞬間、紡の脳裏に、強烈なフラッシュバックが走った。


それは、まるで他人の記憶を追体験するような感覚だった。

鼓膜を突き破るような熱。

肌を焼く灼熱の炎。

肺を焦がす煙。

そして、耳元で聞こえる、何百もの人々の悲鳴と、泣き叫ぶ声。


そして、炎に包まれた光景の中で、一際輝く、奇妙な青白い光が見えた。

それは、まるで、あの招待状が放つ光のように見えた。


(あれは……林さんの、記憶……?あれが、林さんが目撃した「共鳴現象」……?)


紡は、息を荒げ、壁から手を離した。

体中から汗が噴き出し、心臓が激しく脈打っている。

あれが、林 耀が目撃した「共鳴現象」なのだろうか。

そして、その中で彼が抱いた「死を克服したい」という「真の欲望」の根源なのか。


招待状が、紡のポケットの中で、これまでになく激しく振動している。

そして、その白い表面に、新たなメッセージが浮かび上がる兆候が見えた。

光が、文字が浮かび上がるべき部分に集まっていく。


『「喪失」は、ときに「執着」を生む。

「死」を拒む心は、

「生命」のことわりを歪める。

彼の望みは、全てを「無」に帰す。』


招待状の「声」が、脳内に直接響き渡った。

「全てを『無』に帰す」――。


それは、ただ誰かを生き返らせたい、というような単純な願望ではない。

この狂気は、火災で全てを失った彼の心が、失われた過去そのものを、

そして、その過去を抱えた世界そのものを消し去りたいと願っているのかもしれない。


紡は、ぞっとした。

この執着は、私の中にある「死への渇望」と、表裏一体かもしれない。

死によって痕跡を刻みたいという私の欲望と、死を克服したいという林 耀の欲望。

それは、コインの裏表のようなものなのだろう。


その時、廃墟の奥から、微かな物音が聞こえた。

カツン、カツン、と規則正しい足音。


(誰かいる……?)


紡は、反射的に身を隠した。

まさか、こんな場所に、誰かがいるとは。


足音は、ゆっくりと紡のいる場所へと近づいてくる。

紡は息を殺し、壁の影に隠れた。

やがて、足音が止まる。

そして、声が聞こえた。


「――やはり、ここに来ましたか、小鳥遊さん。」


その声は、紡が最も聞きたくない、しかし予期していた声だった。

林 耀だ。

(どうしてここに?そして、どうして、私がここにいることを知っている?)


彼の足音は、さらに近づいてくる。

紡の隠れている場所のすぐ外で、止まった。

林 耀は、紡がそこにいることを、完全に知っているかのようだった。


「貴女の『書』は、実に素直ですね。

私の『根源』へと、貴女を導いた。」


林 耀の声は、静かではあったが、どこか満足げな響きを帯びていた。


「これで、貴女は理解したはずだ。

私が何を求めているのかを。」

林 耀は、ゆっくりと、紡の隠れている壁の影に、手を伸ばした。


彼の指先から、冷たい何かが紡の「器」へと流れ込んでくるような感覚に襲われた。


(まるで、招待状の力を持つ私の心そのものを、彼に見透かされているみたい……)


冷や汗が、背中を伝う。


林 耀は、そこに紡が隠れていることを知っているだけではなかった。


林 耀は、紡の心の奥底に眠る、最も深い思考、最も隠された感情、

そして「招待状」のメッセージまでも、全てを読み取っていた。



(つづく)

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