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第16話:見透かされた居場所、抗えない誘い

藍が朝食の準備をする音を聞きながら、紡は昨夜見つけた「欲望の地図」を脳裏に反芻していた。

羊皮紙に描かれた複雑な紋様と、無数の線で結ばれた点の集合体。

そして、そこに刻まれた招待状の紋章。


藍の父親と林 耀が、あの「天響研究所」で何を研究していたのか。

そして、この地図が、その研究とどう繋がっているのか。


「紡、ご飯できたよー!」


藍の声に、紡はハッとして我に返る。


平静を装い、食卓についた。

藍の無邪気な笑顔が、紡の心に重くのしかかる。

この笑顔の裏に、どれほどの危険が迫っているのだろう。


(知らなければ、よかったのだろうか……。このまま、何事もなかったかのように、藍と笑い合っていられたら……)


藍が大学へと出かけた後、紡は再び書斎へと向かった。

昨夜は時間がなく、詳しく調べることはできなかった。


「欲望の地図」を広げ、机の上に置く。

すると、紡のポケットの中の招待状が、微かな熱を帯び、脈動を始めた。

まるで、地図と招待状が呼応し合っているかのようだ。


紡は、万年筆を手に取った。

藍の父親が使っていたものだろうか。


地図をじっと見つめる。

意味不明な記号の羅列に、どこから手を付けていいのか分からない。

「繋がれる者を見極めよ」――招待状のメッセージが頭の中で響く。


その時、紡の視線が、机の隅に立てかけられた、古びた家族写真に留まった。

写真には、藍の父親が、若い頃の藍を抱いて写っている。

その表情は、どこか疲れているが、深い愛情に満ちていた。

そして、その写真の裏に、手書きの走り書きがあることに気づいた。


『研究は、人の心を蝕む。

しかし、魂の救済には……』


その言葉は、途中で途切れていた。


「魂の救済」――?


藍の父親は、何を救済しようとしていたのか。

そして、その研究が、どう心を蝕むというのか。


紡は、写真の裏の言葉を、万年筆で「欲望の地図」の余白に書き写した。

書き終えた瞬間、地図の紋様が、まるで脈打つかのように淡い光を放った。

その光は、地図全体を包み込み、ゆっくりと、ある一点に集まっていく。


その一点から、これまで見えなかった線が伸び、地図上の別の紋様へと繋がっていく。

まるで、地図が新たな情報を紡ぎ出しているかのようだった。


「これは……!」


紡は、息をのんだ。


地図は、まだ隠された情報を持っていたのだ。

紡が書き写した言葉が、その鍵となった。


すると、テーブルに置いていたスマホが鳴った。

林 耀からの着信だ。


紡は、一瞬身構えた。

無視すべきか。

地図が示した新たな情報、そして藍の父親の「魂の救済」という言葉の真意を知りたいという好奇心が、恐怖を上回った。

このタイミングで、林 耀が何を伝えたいのか。


「……もしもし。」


紡は、意を決して電話に出た。


「小鳥遊さん。

お元気ですか。

おや、藍沢さんの家ですか?

ずいぶんとお似合いですよ。

まるで、そこにいるのが、昔から決まっていたかのようです。

昨日は、大変失礼いたしました。」


林 耀の声は、いつもと変わらない穏やかさだった。

しかし、その声の裏に、得体のしれない冷たさが潜んでいることを、紡は知っていた。


(なぜ、私が藍の家にいることを……!

この人は、どうやって……まさか、私が何をするか、全て分かっている……?)


紡は、電話口で硬直した。

林 耀は、やはり、すべてお見通しなのだ。


「どういうご用件ですか、林 耀さん。」


そう尋ねた声は、紡自身が思っていたよりも、震えていた。


「少し、お話ししたいことがありまして。

貴女が、私の過去に興味を持っていることも、分かっています。」


林 耀は、全て見透かしたように言った。


「貴女が今、私の『居場所』を突き止めたいと強く願っていることも、手に取るように分かりますよ。

ですから、お話しましょう。

貴女が知りたいと思っていること。

そして、貴女の『書』の力について、より深くお話しできる場所があります。」


林 耀の言葉に、紡の心臓が跳ね上がった。


(この人は、私の思考を、読んでいる……!? まるで、鏡に映った自分を見ているように……!)


林 耀の居場所。


それは、林 耀自身の「根源」にさらに近い場所かもしれない。

罠かもしれない。

新たな情報が得られる可能性もある。


(林 耀の目的は、私の『書』の力。でも、もし私が彼の元へ行かなければ、彼は藍に何かするかもしれない……!)


「今から、お迎えに上がってもよろしいですか?」


林 耀の声は、まるで紡に選択の余地を与えないかのように、静かに断固として響いた。


(嫌だ……!この人のペースに乗せられるのは、もう嫌だ……!)


紡は、地図の上に視線を落とした。


地図は、新たな線で結ばれた紋様が、まるで脈打つかのように光を放っている。


「繋がれる者を見極めよ。」


招待状のメッセージが、脳内で反響する。


(林 耀さんの『居場所』……

そこに、全てが繋がる鍵があるのか……?)


危険は承知の上だ。

だが、林 耀の真意を完全に暴き、彼の目的を阻止するためには、この道しかない。

何よりも、藍を守るために、私は、この『支配』を受け入れなければならない。


「……分かりました。」


紡は、小さく答えた。


電話の向こうで、林 耀が満足げに微笑んだ気配がした。


「すぐに伺います。では。」


電話が切れる。


紡は、広げられた「欲望の地図」をじっと見つめた。


地図が示すのは、林 耀の「真の欲望」へと続く、危険な道筋。

そして、その道は、林 耀自身の「居場所」へと続いているように思われた。


紡は、招待状を強く握りしめた。

その紙片から伝わる微かな熱が、新たな戦いの始まりを告げているかのようだった。

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